第21話 梅雨終わり

「ん……」


 湿り気を帯びた風に煽られたカーテンが、バサバサと顔を叩き、日差しが肌に刺さる。


 思わず顔をしかめ、カーテンを抑えつけるが、窓を閉める気にはならなかった。


 梅雨が明け、本格的な夏を迎えようとしていた今日。この学校はエアコンを各教室に設置しているにも関わらず、使用許可を出していない。


 従って、教室内のリモコンをどれだけいじったところで、あのただ大きいだけの賑やかしにもならない飾りは、何の反応も返ってくることはないのだ。


 救いなのは、まだ風がそこそこ吹いているということ。それを一番間近で浴びることのできる窓際は、カーテンとの戦いに勝つことさえできれば、教室内でもまだ生きていられる。


 つまり、他の生徒のほとんどは死人だということ。


 持参した団扇をパタパタと、非常に気怠そうに動かす者たち。


 団扇さえなく、じっとりとした熱にただ耐えるだけの者たち。


 まだ登校直後の朝だというのに、教室内の雰囲気はだらけ切っていた。


「セェーーフ!」


 弛緩した教室内を切り裂くように、1人の女子生徒が走り込んで来た。


「美月おっそ!ってか汗ビショビショじゃん!」


「ほら!これで拭きなよ!」


「いやー、悪いねぇ、みんな」


 美月の周囲に群がるように集まる女子たち。制汗シートやタオルで美月の汗を拭いていたり、茶化したりしながらも和気藹々とじゃれ合い始めた。


 見れば彼女ら以外の、溶解したかのような表情をしていた生徒たちにも笑顔が浮かんでいる。


「おーい、お前ら席に着けー」


 担任の教師の登場により、この場はこれで区切りとなった。






「三澄、なんか最近朝会わなくない?」


 朝のホームルーム終了直後、俺の席の前まで来た美月が、開口一番そんなことを言い出した。


「俺はもう遅刻魔を卒業したんだ」


「うええ~なんでだよ~。もっと遅刻しようぜ~」


 俺の肩を揺らしながら、悪の道へと引き込もうとする美月。


「揺らすな揺らすな。……悪いけど俺はもう心を入れ替えた。これからは真面目路線でいく」


 聞かせなければならない相手にも聞こえるよう、はっきりと口にする。


「三澄が真面目!?似合わな過ぎでしょ!どうしちゃったの!?」


「まぁ、いつまでも適当してらんないなと思ってな」


「何、もしかして受験勉強ってこと?まだまだ先じゃん」


 窓枠のレールの部分に腰掛けながら、足をぶらぶらさせる美月。


「今の俺の成績、正直やばいからな……」


「あー、そういえば中間、悲惨だったもんね……」


 本当に悲惨だった。ほぼ全ての教科において平均点を下回り、一歩間違えば赤点を取るところだったのだ。


 お互いに笑い飛ばすことができず、少ししんみりとしてしまう。


「ま、3日持ったらお祝いしてあげるよ」


「お、なんだ?メシでも奢ってくれるのか?」


「今度、三澄のバイト先のとこで1品何でも奢ってあげるよ。でも、3日間みっちり勉強できたらだからね?」


「3日くらい余裕だな。財布、ちゃんと用意しとけよ?」


「強気だねぇ。言っとくけど、出来なかったらそっちが奢るんだからね?」


「分かってるよ」


「それじゃあ今日から3日間、三澄んちで勉強会だね」


「いやそれは無理だ。バイトがある」


「1日も持ってないじゃん!三澄の奢り決定じゃん!」


「いや待って!仕方ないんだよ!シフト入れちゃってたんだから!」


「じゃあいつから始めるの?」


「……7月入ったら」


「……もうなんかあれだね。絶対頑張らない人の常套句」


 美月は呆れるようにニヤニヤとした笑みを向けてくる。


「違う!いや、それっぽく聞こえるけど、ほんとだから。7月入ってから勉強会な」


「オッケー。私が手取り足取り教えてあげるよっ」


「お前がちゃんと教えてくれたことなんか1度もないけどな……」


 からからと笑いながら窓枠から降り、自分の席へと戻っていく美月。それを見計らったかのように、横の席の律が立ち上がった。


「勉強頑張るって、ほんと?」


 呟きのような、抑えられた律の声が届く。


「……ああ」


「どうして?」


「っ」


 どうして。その言葉の響きが、なんとなく悲壮感や怒りや、他に俺の想像のできない何かを含んでいるように思えてしまうのは、俺の思い過ごしではないだろう。


 少しでも刺激すれば、その瞳から涙が零れてしまいそうな危うさが彼女にはあった。


 守りたいものができたから。


 本心を口にしてしまうのは、彼女にはあまりにも酷に思えて。でも嘘は吐きたくなくて。


「俺、また警察官目指してみようと思ってる」


 なんて中途半端な言葉を返してしまう。


「っ!……そっか。頑張ってね」


 短くそれだけを呟き、小さく、辛うじて作ったかのような微笑みを浮かべて自分の席に戻っていく律。


 とても痛ましく、しかしそれを労われるだけの言葉を俺は持っていなかった。

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