第20話 休息2

 食事を終えた俺は、盆を持って部屋から出ていく若菜を尻目に、しばらくの間眠りについた。


 そうして、少し夢を見た。


 目の前に寝かされている2人の身体。彼らの顔には白い布がかけられ、表情が見えない。


 見たくない。どれだけ叫んでも、身体は勝手にその布を取り、2人の青白くなった顔を露わにさせる。


 すうっと体温が下がるような感覚と共に、足の力が抜けてその場にへたり込んだ。


 涙は出ない。すごく寒くて、それでも心臓はうるさくて。


 ふっと目が覚めた。


 夢の中と同じように心臓はいつも以上に動いているはずなのに、やたら寒気がして、布団を引き上げる。


「あ、三澄さん。もうお昼過ぎてしまいましたけど、お腹空いてませんか?」


 そう笑顔で話しかけてくれる若菜に、つい手を伸ばしたくなって、伸ばさなかった。


「……?どうかしましたか?」


「……いや、腹減ったなと思って」


「じゃあ、何か食べたいものとかって、ありませんか?」


「あー、それじゃあ、お粥で」


 食欲はない。あるわけがなかった。


「お粥ですか?うーん、わかりました。あとこれ、体温計です。自分で測れそうですか?」


「ああ」


「それじゃあちょっと待っててくださいね。すぐに作ってきますから」


 そう言い部屋を後にしていく若菜の後ろ姿を、なんとなく細い糸で身体を引かれるような心地で眺めていた。


 




「……ごちそうさまでした」

 

 生姜とネギが使われたお粥を食べ終わり、ふぅと息をつく。


 寒気は軽減されたものの、気怠さ、頭痛、耳鳴りと朝よりも症状は悪化していた。


 食事前に測った際の体温計の数値は38度7分。ここまで高熱が出たのは随分と久しぶりで、先程の夢も相まってつい昔のことを思い出してしまう。


 顔に濡れたタオルが触れ、玉のように浮き出た汗が優しく拭き取られる。とても心地が良く、症状が軽くなったかのような感覚がした。


「お水、換えてきますね」


 そう言って若菜は桶を持って部屋から出ていく。


 もし若菜が、あの頃も俺の傍にいてくれたなら、もう少し違った今が、あったかもしれない。


 優しくしてくれた律が理不尽に傷つくことは、なかったかもしれない。





 

「三澄、今日うちにご飯食べに来ない?」


 両親を失った俺に、最初に手を差し伸べてくれたのは、律だった。


 俺は律と、律の両親、そして真島の手助けがあったおかげで、俺の日常は落ち着きを取り戻していく。


 でも、それだけだった。


 朝、起きても両親はいない。


 夕方、家に帰って来ても両親はいない。


 どれだけ待っても、両親は帰ってこない。


 いつか守ると決めた2人の姿は、どこにもない。


 目の前が真っ暗になったかのような心地だった。


 そんな俺のことを、ひたすら心配し続けてくれたのは律だった。


 三澄、何か困ったことない。三澄、今日そっちにご飯作りに行くよ。三澄ごめん、料理失敗しちゃった。


 俺は初め、ただ流されるままに彼女の好意に甘え続けた。


 しかし、それも長くは続かない。


 律は、いつまでも腑抜けのようになっている俺に前を向かせようとした。


 勉強もトレーニングも全てを放棄した俺に、それではだめだと、叱咤激励を繰り返した。


 それが俺には、とても不快だった。

 

 目標もないまま、努力を続けられる人間なんてなかなかいない。


 行く先も分からなくなった俺は、ただただ理不尽に尻を叩かれているような心地だった。


 何を努力すればいいのか分からない俺に、律の声はひたすらに耳障りなだけだった。


 そうしてとうとう、俺は律を拒絶した。


 




 今、律は一体どうしているんだろう。


 まだ昔のこともちゃんと決着を付けられていないうちに、彼女に負担を強いてしまった。


 でも彼女にこれ以上誤解をされたままでいたくなかった。


 もし彼女が今苦しんでいるのなら、今度は俺が助ける番のはずだ。


「うっ……」


「え、三澄さん!?いきなりどうしたんですか!?寝てないとだめですよ!」


 手をベッドにつき、身体を持ち上げようとしていたところを、若菜が止めに入る。


 そのまま特に抵抗もできないままベッドの中に押し戻された。


「どうしたんです?何かあったんですか?」


「電話、しようと思って」


「電話?誰にです?」


「律」


「律さん?あー、そういうことですか。……はい、あんまり長話しないようにしてくださいね?」


 渋々といった様子でベッド傍に置かれていた俺のスマホを手渡してくれる若菜に短く礼を言い、俺は律の番号に電話をかける。


 数回のコール音の後、


「……もしもし?」


「もしもし、律か?」


「うん、どうしたの三澄」


「いや、ちょっと様子が気になって」


「……もしかして昨日のこと?」


「ああ。……律にもさ、若菜のこと、できるなら自分の目で見て、決めて欲しくて」


「うん、大丈夫。三澄だってそうしたんでしょ?だったら私にだってできるから」


「……そっか」


「それよりもさ三澄、今日体調悪い?」


「ああ、風邪引いたみたい。まぁ大丈夫だよ、そんな酷くない」


「そうなんだ。……もしかしてあの子に看病とかしてもらってたりする?」


 なんとなく、電話の向こうの律の雰囲気が変わったような気がする。


「ああ、そうだけど……」


「……そう」


「えっと、律?どうかしたのか?」


「どうもしてない」


 何もないという割には、声色に少し棘があるような気がする。経験則から、俺はそれ以上突っ込むのを止めた。


 少しの沈黙が、2人の間に流れる。


「ねぇ三澄、昨日あの子のこと家族って言ってたけどそれって……」


「……うん?」


「ううん、やっぱり何でもない。じゃあね、お大事に」


 それっきり、一方的に通話を切られた。


 律は何を聞こうとしていたんだろう。よくは分からないが、聞きたいことも聞けたし、今はとにかく休みたかった。


「電話、終わりました?」


「ああ、ありがとう」


 通話が終了したのを見計らって、すかさず手を差し出してくる若菜にスマホを渡し、俺は再び眠りに就くことにした。

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