第14話 突然の来訪者4
律の家の前。
チャイムは鳴らさない。俺の存在を知られれば、彼女が出て来てくれない恐れがある。とはいっても、そもそも彼女が今日学校へ行かないというのなら、俺の行動の全てが無駄骨となってしまうだろう。まあ、その時はその時だ。
俺は、彼女の家の敷地を囲む塀に身体が隠れるよう道路の上に座り込みながら、背負っていたバッグを下ろした。
傍から見たら完全に不審者だな……。
今はまだ早朝で人通りもない。だが、律が出てくる頃には誰かしら人が通りかかるだろう。そうなったら、あとは通報とかされないことを祈るしかない。
そうしてバッグの中からおにぎりを一つ取り出すと、ラップをぺりぺりとめくって口に運ぶ。
ほんのりと温かく甘いご飯と、身のほぐれた鮭が口の中に広がった。思わず笑みが零れる。やっぱり若菜の作ってくれたものは、以前俺が作ったものとまるで違う味な気がする。材料の差か、技量の差か、それともそれ以外か。
最後の一欠片を口の中に入れ、咀嚼して飲み込む。
十分な満足感が得られた。もう一つは、今はまだ食べなくていい。
ゆさゆさと身体が揺れ、聞き慣れた誰かの声が微かに鼓膜を刺激する。
どうやら眠ってしまっていたらしい。やはり、慣れないことはするもんじゃない。
覚醒していく頭の中で、今隣にいる人間が誰かを理解すると、俺の身体を揺するその腕を慌てて掴んだ。
「……」
「っ、ちょっ、離して!」
「いや、離さん」
律は咄嗟に身体を引くも、俺はその腕を、がしりと掴んで抵抗する。
落ち着いた声音を出したつもりだが、律にはどう聞こえただろうか。内心焦りに焦り、心臓をバクバクいわせながらも、こうして彼女と顔を合わせられたことで、全身が安心感に包まれていた。
俺はそのまま立ち上がり、深呼吸をしながら凝り固まった身体の筋肉をほぐした後、コンクリートの上に置かれたままのバッグを右肩にかける。その間に、するりと掴んでいた位置を移動させて手を握ると、律がピクリと震えた。
「今から学校だろ? 行こうぜ」
俺は律の手を引き、歩みを促すと、急に腰が引けたような姿勢になる律。
「え、待って、このまま行くの?」
「ああ。また逃げられても困るし」
「……もしかして、学校まで?」
「話が終わんなきゃ、そうなるかもな」
「……そんなの、無理。恥ずかしすぎて死んじゃう」
顔を真っ赤にして俯く律。まあ相手が俺だとはいえ、恥ずかしがり屋の彼女にとってこの状態のまま多くの人の視線に晒されるのは辛いものがあるのだろう。正直、予想通りの反応ではある。
「それならどうする? ここで話すか?」
俺の問いかけに考え込む律。そのまましばらくした後、
「……うん」
と小さく頷いたことを受け、俺はフッと息を吐く。
もう、一つの誤解も生まれてはいけない。今回の件の核心部分を、単刀直入に事実のみを包み隠さず伝えよう。もし伝えきれなくても、何度も話せばいずれ分かってくれるはずだ。
そうして弁当のことを話しかけた俺の言葉を、
「待って」
と、律が遮った。その言葉と不安そうに歪む顔に、俺はハッとさせられる。脳内が湧き出るように生まれてくる後悔の念でいっぱいになっていく。
明らかに強引すぎた。自身の事情にばかり目がいって、彼女のことを考えられなくなっていた。どうして俺はいつまでもこうなんだ。これじゃあ、去年と何も変わらない。
思わず謝罪の言葉が口をつきそうになって、ギリギリで押し留める。
彼女は今、本当に謝罪を欲しているのか。自分のための謝罪になってはいないか。
「私から、先に話させて」
という言葉と共に、僅かに視線を泳がせながらも必死に思い悩む律の姿が目に映る。何か声かけてあげたい。しかしなんて声をかけたらいいのか。彼女の思考の邪魔をしていいのか。でも……。今度はそんな考えが、ぐるぐると頭の中を巡る。
結局俺は判断を下せず、苦しそうな律をただただ見守り続けた。そして、
「三澄」
と覚悟を決めたかのような視線が俺を射抜く。なぜか言葉が発せず、気付けば肩に力が入っていた。
「私、三澄のことが好き」
「……え?」
何を言われたのか。言葉としては認識できても、その意味が頭の中で上手く消化できない。
「異性として、一人の男性として、三澄が好き」
予想外過ぎるその言葉は、俺の思考を更に漂白させた。
赤みを帯びた頬と、僅かに涙ぐんでキラキラと光る瞳。不安に押し潰されてしまいそうな、か弱さを感じさせる表情。背中の辺りまで伸びる黒髪とスカートが、ゆらゆらと風に揺られている。
梅雨の曇天の主張のなさが、その立ち姿を一層際立たせているようで、俺は気付けば彼女に見入ってしまっていた。
全身が熱を持ち、心臓が加速していくのがはっきりと分かる。ほんの少しずつ回復してきた思考も、正常に働いてくれない。
そして何を思ったか、彼女はだんだんと俺の方に近寄ってくる。
反射的に後退るも間に合わず、あっという間に彼女の唇が俺の唇と重なっていた。
ほんの数舜の後、唇を離した律は、ゆっくりと俺から少し距離をとると、
「私、負けないから」
と、決意の籠った視線を俺にぶつけ、一目散に駆けて行った。
その後ろ姿をボーっと見つめていると、ふっと身体から力が抜ける。ドサリと鞄が落ち、塀に背を預けてずるずると背中を擦りながら尻もちをついた。
「~~~~‼」
全身を暴れる熱が、声となって口から飛び出しそうになるも、なんとか両手で口を塞いで抑える。流石にこんな場所で取り乱せば、色々と面倒なことになるのは分かり切っていた。
しかしながら熱は収まらず、俺はその場でしばらく悶え続ける。
そうして、なんとか落ち着きを取り戻して立ち上がった頃には、もうとっくに一時限目の授業の開始時間を過ぎていた。
学校、今日は止めとこうかな……。
俺は一瞬、自宅へと足を向けようとしたが、家にいる若菜のことが脳裏に過り、思い留まる。
結局俺は、その足で学校へと向かい、律の隣の席で黙って授業を受け続けた。色んな意味で、マジでしんどかった。
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