第13話 突然の来訪者3

「え? 大切な話って……」


「弁当の件とも関係のある話だ」


「っ!」


 目を見開き、こちらを凝視する律。どことなく怯えているようにも見えるのは気のせいだろうか。


「どうした?」


「……やっぱり聞きたくない」


「え? いやでも——」


「聞きたくないって言ってるでしょ!」


 律が聞きたがってたことじゃないのか。そう言いかけた俺の言葉を遮って律の叫び声が響く。


 今にも零れてしまいそうな程の涙を溜めた悲痛な面持ちを向けられ、俺は何も言葉が出せない。


「っ! ……ごめん。私帰るね……」


 我に返ったのか、俯き、手で顔を覆いながら俺の横を抜けて玄関へ駆けていく。


「は? ちょっ、律⁉」


 俺が彼女を追おうと振り返り一歩踏み出した瞬間、玄関の扉が勢いよく開き、そして閉じられる音が響いた。


「くっそ!」


 追わなければ。そんな予感から彼女の後に続いて走り出した。


 玄関の外に出て辺りを見回すも、既に完全に日が暮れていて辺りは暗く、申し訳程度の街灯の明かりはあるが、彼女の姿は見えず、足音も分からない。


 俺はひとまず彼女の家へと向かうことにした。ここからも近く、真っ先に向かって籠城を計るんじゃないか。そう判断してのことだ。


 律の家まで、全力で走れば一分もかからない。しかしそんな短い時間でも、俺の胸中は、時間を空け過ぎれば手遅れになってしまうのではないかという不安でいっぱいだった。


 すぐに辿り着き、チャイムを鳴らす。


『三澄君? どう——』


「律いますか⁉」


 少しして、インターホンから聞こえてきた律の母親の声に、俺は息も整え切らぬまま、遮るように問いを投げかける。


『え、律? 三澄君のうちに行ってるんじゃないの? あの子、久しぶりに三澄君とご飯食べるんだってすごいはりきってたわよ?』


 はりきっていた、か。買い物やら風呂やらの彼女の奇行にも納得がいくと共に、胸が疼く。


『すみません。律、うちから突然出て行ってしまって』


『ええ? もしかしてまた喧嘩? ごめんね三澄君、うちの子肝心なことを恥ずかしがって言わないから』


「いえ、今回は多分俺に非があると思うんで。……すみません、俺もう行きますね」


 自宅に律は戻っていない。逸る気持ちを抑えられず、強引に話を終わらせる。


『ええ、頑張って。何かあったら連絡するわね』


 律の母親の声援を背に、俺はもう一度駆け出した。


 この辺りでこの時間、立ち寄れる場所といえば、あの小さな公園くらいしかない。ひとまず俺はそこに向かう。


 そうして公園の前。中に明かりはなく、道路脇の街灯の光を頼りに中に入って全体を見回す。


 いない。こちらの方に来てはいないのか、延々と移動し続けているのか。


「はぁ、はぁ……」


 膝に手をつき、ひたすらに呼吸を繰り返す。ほんの数時間で長距離走やら、全力疾走やらを繰り返したせいか、運動不足の身体が悲鳴を上げていた。気を抜けば膝から崩れ落ちそうな程に震える両足を、気力だけで必死に支える。


 また、あんな顔をさせてしまった。


 どうして律があんなにも辛そうだったのか。俺のいくつかの言葉から、一体何を感じ取ったのか。いくら考えても理解してあげられない、相変わらず不甲斐ない自分に嫌気が差してくる。


 おそらく何かしら行き違いがあって、お互いに誤解をしている状態であるんだとは思う。やはりちゃんと腰を据えて話し合わなければならない。俺には、それしかできない。


 そのためにはまず彼女を見つけなければ。


 俺は公園を出て、再び駆け出す。


 特に当てがあるというわけでもない。だが、こんな暗い中、一人にさせておくわけはいかなかった。


 吸血鬼。日の光を避ける彼らは、こんな夜間にこそ活動を始める。


 今はそれなりに落ち着いてきたが、去年の事件があってすぐは吸血鬼たちによる夜間の犯罪が多発し、人間たちの夜間外出が地域によっては一時的に禁止されたほどだった。


 走りながらスマホを操作し、律の番号に電話をかける。出てくれなくてもいい。着信音さえ聞こえれば、彼女の居場所を特定できる。


 しかしそんな淡い希望は、そうそう叶うことはないわけで。


 結局その夜俺は、律の母親から律が帰ってきたという知らせが届くまでひたすら走り続けた。






 疲れ果てた状態で帰宅した俺を、心配そうな顔をした若菜が出迎える。


「何かあったんですか?」


「あー、えっと……」


 彼女に教えてしまっていいものか、少し迷う。


 本来、これは俺と律だけの問題のはずだった。そこへ弁当という形で、若菜本人が何も知らないまま関係者にさせてしまった。


 これ以上巻き込むべきじゃない。それに、彼女は彼女で十五歳の少女には不釣り合いな重いものを既に背負っている。苦痛は、もうそれだけで十分だろう。


「あの、さっき来た方って三澄さんの彼女さん、ですか?」


「え? いや、あいつとは付き合ってないぞ? 今も過去も。なんでそう思った?」


「キッチンにカレーの具材と、それから冷蔵庫にデザートが二つあったので。二人で夕食を摂るつもりだったんですよね?」


「ああ、そういうこと。あれは別にそういうんじゃないよ。あいつと俺は昔馴染みでさ、前からちょくちょく夕飯を一緒に食べてたから、今日もってだけ」


 俺は当たり障りのない程度に事情を話す。


「……」


 何やら納得がいっていない様子で押し黙る若菜だったが、


「それで、私はもう隠れなくてもいいんでしょうか?」


 と、意外にも自ら話題を変えた。正直、こちらとしてもありがたい。


「あ、ああ。今日のところはもう大丈夫だと思う」


「そうですか。ならひとまず三澄さんはお風呂に入ってきてください。作りかけだったカレー、もう少しで出来上がりますから」


「わかった。ありがとう」


 俺は若菜にそう告げると、靴を脱いで自室にて着替えを用意してから、風呂場前の脱衣所で朝からずっと着っぱなしだったシャツを脱いだ。


 汗を吸い、ぐっしょりと重くなったシャツへと恐る恐る顔を近づけてみると、何とも言えない臭いが漂ってきて、首を捻る。やっぱあいつの鼻はおかしい。


 ぽい、と洗濯機の中へシャツを投げ入れ、ズボンなども脱いで裸になって風呂場の中へ。バスチェアに勢いよく腰を下ろすと、大きな溜息が漏れた。


 膝に腕を置き、丸まった背中のまま、しばらくの間思考すら放棄する。そうしてなんとか気力を回復させ、一気に全身を洗い尽くして風呂から上がった。


 着替えを済ませてリビングに足を踏み入れると、漂ってくるカレーのスパイシーな香りに鼻孔をくすぐられ、ここでようやく自身が空腹状態にあることに気付く。


「あ、三澄さん。もうテーブルに用意してありますから、先に食べていてください」


「ん、ああ、わかった」


 俺は若菜の好意と自身の空腹感に素直に従い、自分の席に着いて手を合わせる。


「いただきます」


 目の前に用意されたスプーンで、端からルウとご飯を一緒に掬って口に運んだ。

律がこの家に来なくなってから、一度だけ一人で作ったっきり口にしていなかった味が口の中に広がって、俺はスプーンを置く。


「あ、あれ? もしかして美味しくなかったですか?」


 少ししてキッチンでの作業を済ませた若菜が、背後から声をかけてきた。


「いや、美味しいよ」


 一人で食べたくなかった。彼女の前では、そんな弱音は口に出せない。


「そうですか……」


 不信がりながらも、持っていた皿とスプーンをテーブルに置いて俺の対面の席に着いた若菜は、手を合わせた後、スプーンでカレーを口に入れる。それを見て俺も食事を再開した。


「……?」


 相変わらず怪訝そうな若菜を尻目に、俺は無言でカレーライスを食べ続ける。小さめに切り揃えられた具材が、記憶の中にあるものとの差異を感じさせ、胸がきりきりと痛んだ。


 結局、若菜から先程の騒動について尋ねられることがないまま食事が終わる。俺は後片付けをしてくれている彼女を尻目に、歯磨きを済ませて自室のベッドの上に倒れ込んだ。


 もう既に、明日俺が取るべき行動は決まっている。身体も疲れ切っていて、眠るための準備は十分に整っているはず。しかし、迫りくるような焦燥感にどうしても目が冴えてしまい、実際に俺が寝付けたのは、それから数時間が経過した後だった。


 そして次の日の朝。


 俺はいつもより二時間程早く目を覚まし、睡眠不足の身体に鞭打って起き上がる。手早く身支度を整えて荷物を持ち、窓から差し込む朝日によって僅かに明るい階段を、音を立てないようひっそりと下った。


 朝も昼も若菜の料理抜きだと思うと少し寂しいが、我儘は言っていられない。そんなことを考えながら階段を下りきったところでふと異変に気付く。リビングから、明かりが漏れていた。


 恐る恐る中を覗くと、


「あ、三澄さん。おはようございます」


 と、柔らかい微笑みを湛えてキッチンに立つ若菜がいた。


「お前、なんで……」


「はい、これお弁当とおにぎりです。朝ごはんを抜くのは身体に良くないですよ」


 若菜はそう言っていつもの弁当箱と、透明なラップで包まれた二つのおにぎりを手渡してくれる。


「ちゃんと仲直りしてくださいね」


「……バレてたのか」


「喧嘩している雰囲気だけは、隠れていても伝わってきました」


「……そうか。ありがとう」


 俺はそう言って玄関へと踵を返す。背後の彼女の気配を感じながら玄関まで歩き、靴を履く。


「行ってらっしゃい」


「……行ってきます」


 陽だまりのような笑顔で見送ってくれる彼女への感謝と、そして決意を胸に、俺は玄関の扉を開けた。

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