第11話 突然の来訪者1
「ねぇ、今日バイト休みだったよね? 三澄のうち行くから」
学校に登校してすぐのことだった。
隣の席のとある女子生徒、
「急にどうした? 何か急用か?」
内心戦々恐々としながらも、努めて冷静にそう返すと、
「行ってから話す」
彼女はそれっきり自分の席に戻って友人たちと会話を始めてしまう。
非常にまずいことになった。急なことで訳が分からないが、一昨日の彼女の様子からおそらくは若菜に作ってもらった弁当が原因なんだろう。
……いや、弁当を見てキレるってなんだ。
まぁ今更律の奇天烈さを気にしていても仕方がない。幸運なのかは分からないが、放課後まではまだ十分な時間がある。なんとか対策を考えなければ。
今、律を若菜に会わせるわけにはいかない。俺と出会ってすぐの頃の若菜の様子からして、誰かと会う前にはそれ相応の準備が必要だろうし、実際に顔を合わせた際、律に拒絶でもされようものなら、若菜に深い傷を負わせることになりかねない。
それに律側の負担だって、相当なものになることが予想される。俺とのいざこざにもまだ決着がついていない現状では、抱えきれなくなってしまう恐れがある。
なんとかしなければ。全ては俺の身勝手さと軽率さに因るもの。彼女らへ最大限の配慮は、俺の果たすべき責務だ。
しかしながら授業中、手元のノートの空白をいつも以上に生成しながら対策を練るも、若菜の存在を伏せつつ、しばらくの間、律が家に来ることのないようにするための具体的かつ有効な手段を思いつくことはなかった。
やはり情報が足りない。特に律の目的についてだ。これが分からない以上、作戦のたてようがなかった。
かくなる上は多少のリスクを覚悟してでも、何かアクションを起こすしかないだろう。
そしてその日の昼休み。
今日も若菜の作ってくれた弁当はリュックの中に入っている。探りを入れるとしたこのタイミングしかない。
俺はふぅと息をつくと椅子から立ち上がり、隣の席の女子生徒に近づく。
「なぁ、律。ちょっと——」
「話しかけないで」
彼女は俺の言葉を遮るように、ただ流し目に一言そう告げ、背を向ける。
ぽつりと一人取り残されるように、ただただ立ち尽くす男の姿がそこにはあった。というか俺だった。
自分の椅子にドサリと膝から崩れるように腰を下ろし、左隣の開け放たれた窓の枠にしなだれかかる様にして、腹に溜めに溜めて結局表に出せなかったあれやこれや全てを空気と共に吐き出す。
彼女がそういう手段を取るのなら、俺だって手段は選ばない。そう決意し、俺は放課後を待った。
そうして放課後。
ホームルームの時間が終了した瞬間、俺は荷物を持ち上げ、椅子と床が擦れるけたたましい音と共に立ち上がると、そのまま駆け出す。
教室中の視線が俺に集まる中、担任の教師の横をすり抜けて教室を走り去る。途中、律の声が微かに聞こえたような気がしたが、気に掛けるつもりはない。
廊下を通過し、階段を下りて下駄箱にて靴を履き替え、跳び出すように玄関を後にした俺は、そのままの勢いで校門まで向かう。
騒がしい校舎とは対照的に静かな校門までの道。
校門を抜けたところで一旦一息つく。
たったここまでの道のりを走ったくらいでこの疲労感。自分の身体の衰えに僅かにショックを覚えながらも、両足に意地と気合いを込めて、呼吸を整えないまま再び走り出す。
今度は持久走の要領で、そのまま自宅までの道のりを、休憩を入れることなく走り切った。
玄関の扉を勢いよく開け、そして閉める。
「おかえ——」
「今から大掃除だ!」
階段を下りていた若菜の言葉を遮って高らかに宣言する。
「え?」
「これから知り合いが来るんだけど、説明してる時間がないんだ!手伝ってくれ!」
「は、はい!」
俺たちは二人で協力して家中の若菜の痕跡を、比較的目立ちやすい場所から隠しにかかる。
「それで全部か?」
「はい」
まずは彼女の私物から。といっても彼女は最近ここに住み始めたばかりで私物は少ない。
化粧品やシャンプーの類を全て集めて一旦段ボール箱の中に入れ、俺の父の部屋のクローゼットの奥の方へとに隠す。
「よしじゃあ次。衣服の類を全部持ってきてくれ」
若菜は一旦俺の母親の部屋に向かい、俺はその間に自分のタンスの中からいくらか衣服を取り出しておく。
「あの、あまりこちらを見ないで頂けると……」
背後から、控えめで少し恥じらうような声が届く。彼女のその言葉にピンときた俺は、すぐにタンスの前から彼女の方へ視線を送らないよう背を向けたまま部屋の隅に移動する。
「いいぞ。そのタンスの中に仕舞って、その上からそこら辺に散らかってる俺の服で隠してくれ」
「はい。ありがとうございます……」
背後でゴソゴソと衣服の擦れる音がする。こう何もしない時間ができると、余計に律の到着を気にしてしまう。
「あーそうだ。ハンガーに掛けないといけないやつとかある?」
「あ、いえ、大丈夫です」
その言葉を聞いて、彼女の自身の衣類を買う際の、酷く遠慮がちな態度のことを思い出した。
好きな物を選んできていいと俺は言ったのだが、彼女が持ってきたのは簡素で安価な物ばかり。
今彼女が着用しているのも、その時に買ったゆったりとした上下セットの灰色のスウェットで、機能性として優れているのは俺も承知してはいるが、彼女という素材がいい分少しもったいなくも感じる。やっぱりいずれまた二人で買い物に行こう。
「終わりました」
あれこれ考えているうちに彼女の声が背中からかかる。
俺はクローゼット内に放置していた段ボール箱をひっくり返し、中にあった幼少期の頃の玩具の数々をバラバラとぶちまける。
その後タンスに入りきらなかった分の自分の衣類を空いた段ボール箱の中へ入れ、その上から玩具を全て無造作にぶち込んでクローゼットの奥に押し込んだ。
「さて、他は……」
その後も俺たちは、家中の彼女の痕跡を片っ端から消していくのだった。
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