第3話 翌日1

 結局俺は、昨日は学校を無断欠席することになった。


 その一因となった少女は今、目の前で椅子に座り、昼食として用意したうどんをちゅるちゅると可愛く啜っている。


 あれからもずっと看病を続けた甲斐もあってか少女の熱は下がり、俺に対する警戒心も多少は和らいだのか、近づいてももう逃げられることもなくなっていた。


「なぁ、色々訊きたいことがあるんだけど、いいか?」


 唐突ながら、流石に何も訊かないままではいられずそう切り出す。


 慌てるように口を動かし、ごくりとうどんを全て飲み込んでから、


「はい、大丈夫です」


 と、僅かに緊張感を漂わせながらも、しっかりと俺の方へ視線を向けて、明瞭な返事をくれる。


「それじゃあまずは、昨日なんであんなとこにいたのか教えてくれ」


「……逃げて来たんです。急に知らない人たちが家に押しかけてきて、それで……」


 俯きがちながら少女はそう答えた。


 反抗期少女の突発的な家出のようなものではなく、何かしらの事件に巻き込まれたということだろうか。そうなるとあんまり悠長なことをしている場合ではないはず。


「警察に連絡はしたのか?」


 俺はそう言いながら、ズボンのポケットからスマホを取り出すと、少女が悲鳴にも似た声を上げる。


「待って! 警察には、頼れないんです……」


「どうして?」


「それは……ごめんなさい。言えません」


 一介の高校生でしかない俺にすら言えないようなこと。


 ただ単に精神的に言いづらいだけなのか、それとも他にやましいことがあるのか。


 今度は俺の方が警戒しないといけないか……?


 しかし彼女は自身が着用していた服以外のものは持ち合わせていないため、外部との連絡はとれないはず。


 武器を持たず、味方もなしにこんなどこにでもいるような少女が、男である俺に危害を加えられるとは思えなかった。


 まぁ、武器として代用できるものくらい家の中からいくらでも調達できるだろうけど、ちょっとそれはどうなんだろう。


 しかしただ一つ、こんな少女であっても大の男を圧倒できる可能性があった。


 それを確かめたいが、直接それを口にするのはあまりにもリスクが高い。下手を打てば殺される可能性すらある。


「本当にごめんなさい。看病に加え、ご飯もご馳走して頂いたのに、何も答えられなくて」


「ああいや、別に気にしなくていい」


 しゅんとする少女に、俺は咄嗟にそんな言葉を返す。


 彼女を助けたのは、ただの衝動的なもの。何が正しくて何が間違っているのかの一切を度外視した、自分勝手な行いだった。そもそも彼女に声をかけたのだって、今思い返してみても冷静な思考をした上での行動ではなかったように思う。


 だからこれは俺の失敗であり、彼女はまだ、謝るようなことはしていない。


「……ありがとうございます」


 それっきり少女は口を閉ざし、再びうどんを啜り始めてしまう。


 正直、弱った。俺自身、何を話したらいいか分からない。


 とりあえず、残りの麺を全て胃に収めて流しへと食器を運ぶ。


「あ、それそのまま置いておいてください。せめて洗い物だけでも私が……」


「……そうか、助かる」


 彼女がキッチンに立つことに、一瞬、抵抗感を覚えるも、ひとまず今は従っておく。


 俺は自分の席に戻ると、リモコンでテレビの電源を付け適当なニュース番組を映す。


 また物騒な事件が起きたらしい。まあ、現代の日本では日常茶飯事。一億何千万という人が生きているのだから、事件の一つや二つ、仕方のないことだろう。


 テレビをぼうっと眺めながら思索に耽っていると、今話している女性リポーターの背後に見える景色に強い既視感を覚えた。


 考え事を止め、画面を注視する。やはりどう見ても近所だし、それに、いくつか気になる単語が頭の中に届く。


 チラリと少女を横目で見ると、彼女は食事する手を止め、テレビ画面を食い入るように見つめていた。


 ピンポーン……


 突然、家のチャイムが鳴り響く。


 席から立ち上がり、インターホンの画面を覗くと、知らない男の姿が映っていた。


「どちら様ですか」


 インターホンの応答ボタンを押して、画面の向こうにいる見知らぬ男性に声をかける。


「すいません、私こういう者で。こちらの近隣にて発生した事件について、少しお聞きしたいことがありまして。よろしければ玄関先にて応対して頂けないでしょうか?」


 インターホン越しに黒い警察手帳らしきものを見せながら話す男。


「……わかりました」


 俺はテーブル近くに設置された小さめの棚から救急箱を取り出すと、その中からマスクを一枚取り出して装着し、玄関へと向かった。


 開錠し玄関の扉を開けて、ゴホゴホと咳をしてみせる。


「ああどうも、病気でお休みのところすみません。……こちらの写真に写る女の子に見覚えはありませんか」


 男は懐から一枚の写真を取り出す。それには見知った顔が映っていた。


「……いえ、見覚えありません」


 俺は努めて冷静に声を出す。やはりマスクをして正解だったか。


「んーそうですか。すいませんね、お邪魔しました。お大事にしてください」


「お気遣いありがとうございます」


 男は一礼すると踵を返して歩いていく。俺は、はぁ、と溜息をつき、戸を閉めた。


 どうして俺は……。どうして俺は……。


 次々と浮かぶ疑問を無視してリビングに戻ると、先程まで座っていたはずの席に少女の姿が見えない。


「おーい、警察はもう行ったぞ。隠れてないで出て来てくれ」


 家のどこかにいるはずの少女に呼び掛けた直後、リビングの奥にある部屋から物音が聞こえてくる。程なくして、僅かに怯えたような表情の少女が顔を出した。


「安心してくれ。警察はもういないよ」


 玄関の方を後ろ手に指差すと、少女はそれを追うように視線を送る。


「……はぁ、よかった」


 少女は先程の席に脱力するように腰をかけて一息吐くと、置きっぱなしになっていた食べかけの食事に手を付け始めた。


「なぁお前、やっぱり吸血鬼だったんだな」


 俺の言葉に、少女はピクリと肩を震えさせると、食事をする手が止めて俯く。


「……」


「……そうか」


「っ、こめんなさい! 私もうここにはいられません!」


 勢いよく立ち上がり、早足で歩きだす少女。俺はそんな彼女の行く手を阻んだ。


「待った待った、ちょっと落ち着けよ。メシの途中だろ?」


「でも! これ以上は迷惑をかけられません!」


 そう声を荒げて俺を見上げる少女の瞳は僅かに潤んでいる。彼女を止めたのはただの反射的な行動だったが、もう今更なかったことにはできない。


「いいから、座ってメシを食え。それに洗い物もしてくれるんだろ?」


「でも!」


「でもじゃない。いいって言ってるだろ」


 全く引く素振りを見せない俺に、信じられないものを見るような目を向けてくる。


 一応笑顔を作ったつもりだったけど、俺、ちゃんと笑えてるか?


「……ありがとう、ございます」


 お礼の言葉を述べた少女が俯くと、一粒の涙がポトリと床に落ちた。


 そんな光景を見て、溢れ出したこの気持ちを理解して、今まで俺の中にあった疑問への解答と、そして更なる疑問を得た。

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