第2話 出会い2

 慌てて駆け寄り、膝をついて抱き抱えた。身体が冷え切っているのに顔が赤い。少し揺すると僅かに目を開けた気がしたがそれだけで、荒い呼吸を繰り返すばかり。


「くっそ!」


 急いで彼女を背負い、走り出す。


 迂闊だった。少女のことが、まるで見えてなかった。


 後悔もそこそこにひとまず自宅へ。走ればここから二、三分の距離だ。しかし——


 意識のない人間を運ぶことが、こんなに難しいとは思わなかった。気を抜けば、背中から零れ落ちてしまいそうになる。


 それでもなんとか家に辿り着き、玄関扉を開けた。勿論迎える者などおらず、バッグを離して、風呂場へと直行した。


 一旦少女を床に寝かせて、棚からバスタオルを数枚取り出す。


 そこらじゅう茶色く変色した衣服を脱がせたところで、ドクンと心臓が跳ねた。


 可愛らしい下着のみを纏う、痩せぎすで色白な少女の肢体。思わず顔が熱くなる。


 余計なものを見るな。何も感じるな。


 ゴンッ……


 鈍い音が鳴り響く。傍の壁に、右側頭部を打ち付けたのだ。芯まで届く痛みにくらくらする。でも、これくらいで丁度いい。


 ぬるま湯でさっと土を流し、数枚のバスタオルで少女を覆う。


 着替えもさせてやらないと。ひとまず少女をその場に残し、二階の自室からスウェットを引っ張り出して風呂場に戻る。


 彼女の身体の水気をあらかた拭き取ってスウェットを着せた後、抱き抱えて立ち上がる。


「っ……とっ!」


 一瞬ぐらつく。力なく垂れ下がる両手足や頭によってバランスが取りづらい。


 なんとか重心を整えて自室のベッドまで運び、横たえて薄い毛布を一枚かける。


 これだけじゃ心許ない。羽毛布団くらいあった方がいいだろう。部屋のクローゼットを開けて、ビニールの入れ物に仕舞われた厚手の布団を取り出すと、それも少女にかけた。


 一度、彼女の額に手を載せる。やっぱり熱があるみたいだ。


 急ぎタオル二枚と冷水を入れた桶を用意し、少女の寝ている傍まで持っていく。


 一枚目のタオルを冷水に浸し硬く絞ってから首元に巻いた後、二枚目のタオルも同様にして今度は額に載せた。

救急車を呼ぶべきか。しかし、ただの発熱なら、あまり大ごとにするのは気が引ける。


 顔から噴き出る玉のような汗を、額に載せたタオルで拭き取っては冷水に浸して硬く絞り、もう一度額の上に載せること。

首元のタオルを冷水につけて巻き直すこと。


 冷水そのものを替えること。


 これらを逐一行いながら、俺は少女が目を覚ましてくれるのを待ち続けた。






 少女の看病を始めて大体四時間が経過し、ちょうど昼食時となった頃。


 落ち着いてきた少女の傍から一旦離れて、一階のリビングの扉を開ける。


 窓や廊下から差し込む光だけが照らす、薄暗い部屋の中。現実に引き戻されたかのような心地で、電気も付けず少し歩く。


 冷蔵庫には……やっぱり2Lペットボトルのやつしかないか。コップがいるな。


 冷蔵庫の隣の食器棚を開いて取っ手の付いたコップを一つ取り出して底の方を眺める。


 特に汚れはないが、念のため洗っておこう。しばらく使っていなかったし。


 昨日使った食器が放置されたままの流し台。その蛇口を捻って水を出し、コップをすすぎ始める。


 にしても、俺は一体何をしているんだろう。


 少女を助けないという選択肢はなかった。しかしこの状況、彼女かその親が出るところに出てしまえば、俺はまず間違いなく未成年者誘拐罪でしょっ引かれることになるだろう。


 まあでも、それならそれで……ああいや駄目だ。こんなこと、考えてはいけない。


 自暴自棄な考えに染まりかけた頭を強引に白紙に戻す。


 ……あいつと話さなくなってから、一人の時はすぐこんなだもんな。


 改めて彼女の存在の有難みを実感すると共に、自らの情けなさに辟易する。


 ネガティブは敵だ。自分だけでなく周囲も不幸にする。でも、一回憑かれてしまうとなかなか解放してくれない。ほんと厄介な奴である。


 ドンッ


「あ、やべ」


 コップをシンクに落としてしまった。慌てて拾い、具合を確認する。傷とかはできていないようで安心した。


 改めて洗い直し、水気を拭き取ってひとまず流しの外に置く。そして冷蔵庫の中からお茶を取り出し、コップと一緒に二階に上がった。


 部屋に戻ると、さっきまで眠っていたはずの少女が、うっすらと目を開きながら俺の方へ顔を向ける。


「あー、起きたか。身体起こせるか? ……ああ待った待った、無理に起きないでいい」


 自身の身体を、険しい表情を浮かべながら動かそうとするのを止めさせて、ベッドの傍にお茶とコップを置いて膝立ちになった。


 その後、彼女の背中に腕を回して身体を起こさせると、お茶を注いだコップを少女の口元へ持っていく。


「口、開けられるか?」


 小さく開けてくれた口の中にお茶を、コップを一瞬だけ傾けて流し込むと、少女は口を閉めて喉を鳴らした。


「いらなくなったら言ってくれな」


 俺はそう言いながら、再び開かれた口の中に先程と同じようにしてお茶を少しだけ入れる。


 何度か繰り返した後、少女の「もう大丈夫です」という言葉で、俺はコップを床に下ろし、彼女の上体をベッドに横たえた。


「あ、ありがとう……ございます」


「もうしばらく寝とけ」


「はい」


 少女はぎこちなく笑みを浮かべ、静かに目を閉じた。


 首元と額のタオルを取り換えて床に尻をつけ、ほうっと息をつく。


 彼女がパニックにならなくてよかった。あの公園みたいなことが繰り返されるのは、俺としても少ししんどい。と思ったけど、ただ単にそんな体力が残ってなかっただけか? うーむ。


 何気なくお茶に手を伸ばして、引っ込めた。


 俺一人が飲むわけじゃないんだ。気を付けないとな。


 一旦、一階で自分のコップを調達して、また戻ってくる。コップにお茶を注いで、ぐいっとあおった。


 ああ、そういえば昼飯……。


 見れば、既に少女は寝息を立て始めている。なら、わざわざ起こさなくてもいいか。


 ベッドの縁を背に、ふと、左側頭部あたりを手で触ってみる。びっくりするくらい痛くて、声が漏れかけた。たんこぶになっているらしい。


 流石にちょっとやりすぎったっぽい。まあ、ほっといてもじき治るだろう。

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