第四話 天才と魔法

 スイートルームは確かに広く、応接間や客室もあればミニバーもあり、ほとんど部屋の中で十分すぎるほど生活が完結してしまうほど充実していた。生前は恐らく一生このような部屋に住むことはできなかっただろうが、運命のいたずらというのは恐ろしい。


 さてと、天使との約束を果たすとしよう。

 俺はこの世界で生き、ただ死ぬだけでよいらしい。出社をすれば給料をもらえる、というのとほぼ同義である。成果を見ず、行動を起こしただけで報酬を得られるというのは非常に俺有利な契約だ。


 ということで、俺はこの町で最も商売が盛んな場所に出向くことにした。

 獣人のホテルマンにこの町で最も商売が盛んなところはどこかと聞いたところ、シュテールの町の南にある歓楽街が俺におすすめとのことだったので、出向くことにする。


『シュメールの楽園』


 入口の門にいかにもな看板を発見しつつ、ネオンのような光が所狭しとちりばめられたこの場所が某ホテルマンが言っていた歓楽街のようだ。この世界は商売ごとには自由を貫いており、カジノもあればエッチな店もある。

 多種族のキャッチもあちらこちらで必死に客を集めているようだ。


「……お兄さん、いいことしていかなあい? 気持ちよくしてあげるから……ね?」


「え、ええ? こ、断る!」


「なら、こっちはどう? いい子揃ってるわよ……。それともあたしがいい?」


「い、いや、し、失礼しておこう!」


 どこからともなく現れるバニー……。

 ではなくウサギ姿の獣人が俺を引っ張る度に、俺は反射的に腕を振り払う。


 ダメだ、ここにいては無限にキャッチにつかまってしまう。

 

 あのホテルマンは俺がふしだらな店を欲しているように見えたのだろうか。

 俺はただ普通の商店が立ち並ぶ商店街に行きたかったのに。


 バニーの森から逃げているうちに、ネオン街とは離れ、俺は小さな路地裏に入っていた。


「……お客さん、お客さん」


「ひえ!?」


 低い女性の声に驚いた俺は、柄にもなく飛び跳ねてしまった。

 おそるおそる俺は後ろを振り向く。


「……魔導書はいらんかね?」


 とんがり帽子をかぶった人間の老婆が俺に声をかける。

 声をかけられなければ素通りしてしまいそうなほど小さな店だ。裏路地に構えている以上、相当立地は悪い。


 誇り被った棚に無数の魔導書らしき本が詰め込められており、どうやら魔導書専門店のようだ。


「……魔導書?」


「ええ、その通りです、お客さん。……おや、その様子だと魔導書を見たことないのでしょうかねえ?」


 現代日本でも名をそれにした、嘘っぱちの文献は山ほどあるが、店を構えられるほどではない。

 その専門店があるということは、この世界で魔法はある程度信ぴょう性がある能力なのだろうか?


 この世界に降り立ったばかりの俺にはまだ情報が足りない。


「ええ、残念ながら学がないものでな」


 事実である。


「そう、それもしょうがないわねえ。このシュテールの町には、いえ、恐らくここの王家の領土内に学校はないから、魔導書を見るのが初めてというのもわからなくはないわ。……ただでさえ、ここの王家は広大な領土を持っているからねえ」


「学校が……ない?」


 下手に悟られないよう反応は抑え気味する。

 だが、内心はかなり動揺していた。


 確かにこれまで歩いてきた中で学校も、塾も、寺子屋らしき建物も何もなかった。

 それは何に俺が十分に散策をしきれていないからだと勝手に結論付けていたのだが、存在自体がないとは、にわかに信じがたい。


「昔はあったんだけどねえ、今の王様が嫉妬深くて学者を一人残らず処刑しちまったのさ。玉座から引きずり降ろされるのが怖かったんだろうねえ……。だから学校もすべて閉鎖さ。本も王室書庫に保管されているものだけで、他は燃やされちまった。……人々は自分が処刑されるのが怖くて学校を立てることもしてなきゃ、本を書くこともしてない」


「……魔導書はいいのか?」


「これも王様に見つかったらまずいことになるかもねえ」


 老婆は本に載ったホコリを布ではらう。


「わたしゃねえ、死ぬ前に何かを残したかったのさ。これは全部わたしが書いた本だからねえ。……何か自分の傷跡を残したかったのさ。おいぼれの最後の悪あがきみたいなものさ。へぇへぇへぇ!」


 不気味に笑う老婆は、なんだか明るく見えた。

 自分の傷跡……か。前世で俺もいくつもの論文を発表してきたが、そんなこと意識したことなかった。


「……話が長くなったねえ、魔導書はいかがかな? あんたももしかしたら魔法が使えるかもしれんよ?」


「……魔法か。残念ながら俺には魔法というものが良くわからない。ばあさんから見て俺に最も合った魔導書を一式見繕ってくれ」


 金ならかなり余っている。

 もはやこの露店にある全ての魔導書を買い込むことも可能なのだろうが、手ぶらで持って帰るのが面倒になるので、とりあえず持てる量だけ購入することにしよう。


「……そうだねえ、見た感じ、お客さんはあまり魔法には向いてないねえ。マナがほんの少ししか感じられない」


 異世界転生したのだから、少し自分のポテンシャルにワクワクしていたが、残念な結果のようだ。

 あの天使は本当に俺にアドバンテージを与えない。転生者ボーナスなんて空想のもの、ということだ。


「あまりマナを消費しない生産系の魔法がよいかもねえ。……ほら、これが魔導書だよ。集中して読めば、あんたも魔法が使えるようになるかもしれないねえ。もちろん適正もあるから、本を読んだからといって全員が同じ魔法を習得できるとは限らないけれどさ」


 表紙に紋章が描かれた分厚い本が俺に手渡される。

 見た目は単なる分厚い本だが、これを読めば本当に魔法を習得できるのか?


 まゆつばものだが、『この世界に学校がない』という情報は耳に新しい。

 あくまでもその情報料として、このばあさんに金を払うのは別に悪い話じゃない。


「この本の値段はいくらだ」


「大銀貨1枚でどうだい?」


 大銀貨1枚……か。日本円にすると大体1万円ほどの価値になる。下手したらここの下級労働者の一カ月の給料になるかもしれない。本にしてはかなり高いが、情報料だと思えば目を瞑ってやろう。


「よし、わかった商談成立だ」


 俺はホテルマンに両替してもらった大銀貨一枚を老婆に渡す。


 老婆は俺が即決したことに驚く。本ごときにこれぐらいの金額を出せるのは中々いないだろう。

 日本ですら一部の人間だけだ。1万円あれば漫画の単行本を15冊は買える。


 とはいえ、俺も何もなくお金をばらまきたいわけじゃない。

 情報が有益でかつ妥当な値段であれば支払う。ただそれだけだ。


 老婆にお別れを告げると、俺は魔導書を右手で握りながら、引き続き歓楽街を散策することにした。

 過激なキャッチに見つからないように忍び足で歓楽街を通り抜けようとする。


 ――その時だった。


「きゃあああーーーーー!! 助けてーーーー!!! 誰かああああーーーー!!!」


 突如、女性の叫び声が聞こえる。

 俺は叫び声が聞こえるほうへ、咄嗟に振り返る。


 サーカステントのような簡易的な建物が、場違いにもそこにそびえたっていた。

 鞭を叩くような音とともに、その悲鳴は聞こえなくなる。


 大きな木の看板にはこう記されていた。


「奴隷……店?」

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