第2話 奴隷少女との対話

 王国の辺境。

 東の山脈付近に作られた小さな町の片隅。

 ロルフの家が存在するのは、そんな目立たない場所だった。


「……さて」


 ロルフはじっくりと、ミリアの体を上から下まで舐め回すように眺める。

「最強」まで彼女を育成すると簡単に言ったが、それは並大抵の努力ではなしえない。

 ミリアが復讐を誓った悪竜を含む「魔物」という規格外の怪物を倒せるような強い人間は例外なく魔術師であり、それは「魔術」と呼ばれる技術体系を行使する者の総称である。

 そして魔術師は体が資本だ。

 まずはミリアがどういう魔術に向いているのかを分析しなければ、鍛錬は始められない。

 最初は無表情を保っていたミリアだったが、よく見ると頬が少し朱色に染まっている。身じろぎしながら、ぼろきれのような衣服を抑え、秘所を隠すような格好になった。

 何だか温度の下がった瞳でこちらを見ながら、声をかけてくる。


「……あの」

「何だ?」

「恥ずかしいのですが……」

「おいおい、ガキが色気づいてんじゃねえよ……お前、いくつだ?」

「十五歳です。……これでも、成人しています」


 ムッとしたように唇を尖らせながら、ミリアは視線を逸らす。

 王国では十五歳から大人として扱われるとはいえ、ロルフから見て子供であることに変わりはなかった。


「俺より六歳ぐらい下か」


 そう言うと、ミリアは僅かに目を瞠る。

 最初は能面のような無表情を保っていたが、今は先ほどより少しだけ感情表現が分かりやすくなっている。本音を吐いたことで警戒心が緩んだのだろうか。


「……そうなのですか。せいぜい三歳上ぐらいだと思っていました」


 ロルフは呆れたように息を吐きながら、ソファの肘掛けで頬杖をつく。


「そんなガキに見えるってか?」

「いえ。表情が溌剌としていて、若さに溢れているなあと」


 思ってもないことをしれっと言ってのけるミリアである。


「お前、意外とイイ性格してんな……」


 ロルフが額に青筋を浮かべながら言うと、


「ありがとうございます」

「褒めてねえよ。俺のどこに若さに満ち溢れてるってんだ」

「その死んだ魚のような目とか……逆にお若いみたいな節あるかと」

「逆にって何? 何も逆節で繋がってねえけど?」


 ロルフは思わず本気でツッコんでから、我に返って咳払いをした。

 ガキを相手に熱くなっても仕方がない。


「ご主人さまは、意外と可愛い性格をしていますね」

「やっぱりお前、俺をなめてるよな?」

「なめてはいません。恨んではいますけれど」

「……ていうか、そのご主人さま呼びはマジでやめてくれ」

「貴方は私を買ったんでしょう? なら、貴方は私の主ですのでそのように」


 ツンとした様子で言うミリア。

 ロルフへの嫌がらせになると分かってやっているのは間違いない。


「とんでもねえ弟子を持っちまったな……」

「でも、追い出す気はないのでしょう?」

「ないが。ないけどな? お前に言われるのは釈然としないぞ普通に」

「よろしくお願いしますね、ご主人さま」


 妖しい微笑を浮かべて言うミリア。

 ぼろきれのような衣服が僅かにずれ、胸部の控え目な谷間が視界に入ってしまう。

 その色香を前に、ロルフは思わず唾を呑んだ。

 ミリアはまだ十五歳。ロルフより六歳も年下だ。

 流石に彼女の未成熟な体に性的興奮を抱くほどの少女趣味はしていない。

 ――していないはずだ、と思いつつ、ロルフは視線を逸らす。


「……そうだな。いつまでもその格好じゃ寒いだろ」

「あ……」


 自分のぼろきれのような衣服が落ちそうになっていたことに気づいたのか、ミリアはぐい、と手で衣服を伸ばす。

 暖炉に火を点け、周りが明るくなったので、ぼろぼろの衣服が恥ずかしいのだろう。ミリアはいまだに秘所を隠すような煽情的な体勢をしたままだ。

 そういった仕草が余計に男の情欲を誘うという事実に気づいていないあたり、まだ子供だとロルフは思う。いや別にロルフの情欲が誘われているわけではないが。

 ただの一般論である。多分。


「……そう、ですね。何か衣服をいただければありがたいです」

「おう……」


 ロルフは自分の頭を軽く叩いて首を振りつつ、ソファから立ち上がる。

 そんな仕草を不思議に思ったのか、ミリアは小首を傾げた。


「どうかしたのですか?」

「いや、たぶん気の迷いだろう。そうじゃねえと困る」

「?」

「何でもねえ、こっちの話だ。それはともかく……」


 ロルフは酒瓶やごみが転がり、本が積まれている散らかった部屋を慣れた足取りで進んでいくと、壁際にある箪笥に手をかけた。

 適当に詰め込まれている衣服を取り出し、中身を物色していく。


「……これでいいか。ほら」

「わっ……とと」


 ミリアに向かって放り投げたのは大きめの白シャツだった。

 まともに折り畳んですらいないのでしわだらけだが、ミリアのぼろきれはもはや「着ている」というより、ほとんど「体に巻きつけている」ようなものだ。

 それに比べれば安物のシャツでも、着られるだけマシなことは間違いない。


「うちには女物の服なんかねえが……それよりはマシだろ。着替えとけ」

「……ありがとうございます」


 だが、ミリアはシャツの匂いを嗅いで僅かに顔をしかめた。


「酒臭いです」

「うるせえな。そんなこと言ったら、この家全体がそうだろ」

「思っていたけど黙っていたのに……」

「じゃあそれも黙っとけばよかったじゃねえか」

「でも、このぼろきれのほうが汚れてて臭いですし、もちろん着替えますよ」

「……ああそうかい」

「ご主人さま。後ろを向いていただけますか?」


 ミリアは小首を傾げて、ロルフに問う。

 ソファまで戻ってきたロルフは、大人しく彼女の指示に従った。


「……普通、奴隷って主人にそんなことを言うものなのかね?」

「どうなのでしょうね。あいにく奴隷としての経験が浅いもので」


 どちらが奴隷なのか分かったものではない。

 ロルフは嘆息した。後ろで響く衣擦れの音が少しばかり気になる。


「……お前、なぜ奴隷になった?」


 そう聞くと、ミリアは着替えの手を止めた。

 少しだけ静寂が続く。パチパチと、暖炉の薪が音を鳴らした。


「お姉ちゃんがいなくなって、でも家族のわたしにはたくさんお金が渡されました」

「……悪竜封印の報奨金か」


 それはロルフも王国からきっちりと受け取っている。

 散財しなければ、十分に一生を暮らせるぐらいの金額はもらっていた。


「でも、お姉ちゃんみたいにわたしは強くないから……わたしがたくさんお金を持っていると知ったごろつきみたいな連中に狙われるようになりました。しばらくはどうにか逃げながら生きていましたが……結局は捕まってしまい、お金はすべて奪われ、わたしは非正規の奴隷として裏市場に売り飛ばされました。それが、三か月前ぐらいでしょうか」

「そいつは……災難だったな」

「……生きているだけマシでしょう。死んでしまったら、何もできない」


 それは痛烈な一言だった。

 剣聖ノーラはもう死んでいる。ロルフに力が足りなかったから。


「お姉ちゃんが帰ってくることを信じて、あの家を守りたかった。けれどわたしには、その程度の力もなかった。だから今、こんなところで奴隷になっている」

「……旅をしている時、ノーラはよくお前の話をしていたよ」

「でしょうね。お姉ちゃんは、少し過保護なところがありましたから」

「……」

「こっち、向いていいですよ」


 彼女はロルフのシャツの着心地を確かめつつ、


「ぶかぶかです」


 と言って微笑する。

 先ほどの憎しみに狂っていたときとは、打って変わったような様子だった。


「……不思議な女だな、お前。俺を恨んでいるんだろ?」

「当然でしょう。でも、常に憎しみの炎を滾らせていたところで意味はない。そんな非効率的なやり方で復讐は果たせない。だから意識は切り替えられるようにしています」


 怖気が立つような黒い気配を僅かに滲ませながら、ミリアは言った。

 それは言葉通りの意味だろう。

 ミリアがただ憎しみという衝動に身を任せる人間であったのなら、すでにどこかで野たれ死ぬか、何者かに殺されているのが関の山だ。

 今の彼女は無力な奴隷に過ぎないのだから当然である。


「どれほど強い憎しみだったとしても、その炎は時間経過で薄れゆく。ならば、それを常時展開していることほど効率の悪いものはない。だから、わたしは心の奥底でそれを貯めこんでおくのです。憎しみというナイフを磨いて、磨いて、鋭く、強く、尖らせている」

「……良い趣味とは思えねえがな」

「へえ。同族嫌悪

・・・・

ですか、ご主人さま?」

「……俺は、お前ほど拗らせちゃいねえよ」


 自分の心情を見透かされたことにロルフは顔をしかめながらも、肩をすくめた。

 二人の仲間の命を奪った悪竜に対して憎しみを抱いているのは、ロルフも同じに決まっている。

 だからミリアの頼みを聞き入れた。

 ミリアは奴隷で、ロルフは彼女を購入した主人だ。

 本来なら彼女の望みを受け入れる理由など何一つとして存在しなかったというのに、現にこういう状況になってしまっている。

 ――あの時。

 ノーラとベルトラムを失って、なお封印することが限界だった悪竜。

 そんな怪物を、今度こそ撃滅してみせるというのなら――


「――ただ、やってみる価値はあると、そう思っただけだ」


 ロルフは淡々とした口調で告げる。

 ミリアの育成を決めた理由はもう一つあったのだが、それを語る理由はなかった。


「ところで、似合いますか?」


 ぶかぶかの白シャツを着た美少女は言う。

 服を「着ている」というよりは「着せられている」という印象のほうが強い。

 腕の半分以上を袖が覆い、ズボンを穿かなくても太ももの半ばまで布が隠している。

 ロルフは細身だが、それなりに高身長だ。

そんなロルフの服を背の小さいミリアに着せたのだから仕方がない。


「そんなもんに似合うもクソもあるか」

「自分で選んだのにひどい言い草ですね、ご主人さま」

「それぐらいしかまともな服がねえだけだ」


 ロルフは適当に言いながら、脳内で明日の予定を埋めていく。

 とりあえずミリアの下着と衣服を買わなければならない。

 彼女の分の生活用品も必要になるので、奴隷の世話というのも中々に大変である。

 ――奴隷、か。

 白シャツを引っ張ったりしているミリアを眺めつつ、ロルフは思う。

 衝動的に購入してしまった理由はもちろん仲間の妹を見捨てられなかったからだが、今では思わぬ方向へと目的も変化している。

 ――要するに、ミリアを奴隷のままにしておく理由はとくになかった。


「おい」


 ミリアは着心地を確かめるように腕を上下させたり、くるりと一回転したりしている。

 白く瑞々しい太ももが限界まで見えそうで、いろいろと非常に危うかった。


「何でしょう?」


 こてんと小首を傾げるミリアを手招きすると、彼女は大人しくとてとてと近寄ってくる。

 ロルフは彼女の首元にある鉄製の首輪に手を伸ばした。


「ひゃ……!? え、何……!? くすぐったい……!」

「ちょっと我慢してろ」


 ロルフは体内から魔力を熾し、「強化」の魔術を行使する。

 その筋力を爆発的に増大させたロルフの右手が、ミリアの首輪をバキリと砕いた。


「わ……!」


 ゴトリ、と砕かれた首輪の破片が床に落ちていく。

 身じろぎしていたミリアはそれを見て、驚いたように目を見開いた。

 この鉄製の首輪は「誰かの所有物である」と対外的に示している。

 すなわち奴隷であることを証明するものだ。

 それを破壊するということは――ミリアを奴隷から解放したことに等しい。


「……いいのですか?」

「わざわざ奴隷扱いする理由もねえ。俺の弟子になるんだしな」

「奴隷から解放したとしても、ちゃんと面倒を見ないとダメですからね? わたし、そのへんに放り出したら何もできずに餓死しますので。そのあたり大丈夫でしょうか?」

「分かってるようるせえな。……何でお前に指示されてんだ俺は」

「ご主人さま。わたし、もう奴隷じゃなくなったんですね」

「そもそも裏ルートで出回った奴隷なら、厳密には奴隷じゃないと思うが……ともかく、そう思ったのならまず呼び方を変えろ」

「……んー、気に入ったので、このままで。どのみち主人みたいなものでしょう?」

「何だそりゃ……もう面倒だし好きにしろ」


 ロルフは呆れつつも肩をすくめた。


「それよりも……」


 ロルフはミリアの両肩を掴み、ぐいっと背中を向かせる。

 肌に触れたせいか、ミリアは僅かに緊張したように手をぎゅっと握っていた。


「……えっと、何をするのでしょう?」

「本当に奴隷から解放するんなら、奴隷紋を消す必要がある」


 ロルフは淡々と言いながら、自然な仕草でミリアの白シャツをめくり上げた。


「ちょ……ご主人さま!?」


 まだ未成熟な肢体が露わになり、ミリアはあたふたと慌て始める。

 だが直後にロルフの言葉の意味に気づいたのか、耳まで真っ赤にしながらも静止した。

 ――奴隷紋を消すと、ロルフはそう言った。


「……さっき着替えるとき後ろを向かせた意味……」

「正面から見られるよりはマシだろ」

「そういう問題なのでしょうか……?」


 それは奴隷の背中に刻まれた、「主人への絶対服従」という条件設定の術式。

 奴隷本人にはもちろん解除することができず、高位の魔術師でも難しいといわれている。

 だが、ミリアは裏市場で売られていた非正規の奴隷であり、つまり彼女の奴隷紋を刻んだのはおそらく、犯罪紛いの奴隷商会に所属している魔術師だろう。

 王国が誇る優秀な魔術師団によって刻まれたわけではないのなら――


「――よし、これなら解けるな」


 予想通りミリアの奴隷紋は粗雑な造りで、仮にも四英雄の一角であるロルフなら容易に解除できそうなものだった。

 ロルフはミリアの華奢な背中に刻まれている火傷の跡のような幾何学的な紋様を、ゆっくりと魔力を込めた指でなぞっていく。

 つう、とロルフの人差し指がミリアの背中を滑るたびに、彼女は「ひゃっ……」や「あ……っ!」あるいは「ん、ぅ……」などと艶めかしい嬌声にも似た声を漏らしていた。


「……変な声を出すな」

「だ、だって……、んっ……!」


 ロルフは微弱な魔力を指から放ち、背中の奴隷紋に内包された術式を読み取っている。

 その感覚がくすぐったいのだろうか、彼女はびくりと体を震わせる。

 ミリアはやがて顔を真っ赤にしながら荒い息を吐き始めたが、もう少しで術式の解析が終了する。

 ここでやめるわけにはいかない。


「……解析終了。後は解除術式を組むだけだ」


 ロルフがミリアの背中から手を離すと、彼女はぐったりしたように近くのベッドへと倒れ込んだ。「はぁ……は……!」と、いまだに肩で息をしている。

 背中の白シャツがいまだにめくり上がっていることに気づいていないのか、うつ伏せに倒れ込む彼女の華奢な背中の影から、布団に圧し潰された胸が僅かにはみ出している。

 可憐でスレンダーな体躯とは裏腹に、意外にもそれなりの大きさはあるようだった。

 彼女の姉であるノーラはまごうことなき絶壁だったので対照的だ。


「我、汝の呪いを祓う者なり」


 簡素な詠唱とともに自己認識を変革。

 体内で魔力を熾して術式を起動し、世界の法則に介入していく。

 それこそが「魔術」と呼ばれる技術体系。

 高度な自己暗示によって魔力という伝達物質を媒介に、世界の法則へと干渉する。

 自己の認識で世界の法則を書き換える――それが魔術である。


 ロルフの呟きの直後。

 ミリアの背中に刻まれていた奴隷紋が淡く輝き、ゆっくりと溶けて消えていく。

 ――これで、本当の意味でミリアは奴隷から解放された。

 もともと正規の奴隷ではなかったのだから、あるべき地位に戻ったというほうが正しい。

 何かに耐えるような表情をしていたミリアはやがて深呼吸した後、頭を下げてきた。


「あ……ありがとうございます……!」

「大したことじゃねえよ。これでも魔術師としてはそれなりだからな」


 とくに、この手の「呪い」に似た術式に関しては普通の魔術師よりも詳しかった。

 かつて魔女と呼ばれた人物から知りたくもないのに教わったからだ。

 ここまであっさりと術式を解除できたのはそれが理由だろう。


「さて……」


 いろいろやっていたら、もう夜も深まっている。

 あと数時間もすれば朝になるだろう。

 ロルフは眠たげに欠伸をしつつ、ミリアをじっと見つめた。


「そろそろ、風呂入って寝るか。お前の鍛錬は明日からだな」

「……分かりました。というか、お風呂もあるのですね」

「王国からの報奨金でそこそこの家を買い取ったからな。元々はどっかの大商人が住んでいたとか何とか。部屋は思ったより狭いが、風呂は重宝してるよ」

「部屋が狭いのは、単に散らかっているからでは……」

「いいからさっさと入ってこいよ」


 わざわざ口にはしないが、奴隷だったミリアの体は清潔とは言い難い。

 風呂場に案内すると、水の魔石を仕込むことで作られている魔道具「シャワー」などの使い方を説明しておく。

 高級品ではあるが、石鹸を使うことにも許可を出した。

 どのみち金なら余っている。石鹸はまた買えばいいだろう。

 ――そんなことを考えつつ、ミリアを風呂に放り込むロルフだった。

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