元英雄冒険者、奴隷の少女を弟子にする。

雨宮和希

第1話 元英雄と奴隷少女

 ――悪竜。

 それは一年前、王国に破壊と暴虐の嵐をもたらした世界最強の怪物。

 ある都市はたった一度の炎の息吹で焼き尽くされ、強烈に振るわれた翼によって生み出された竜巻は、また別の都市を根こそぎ吹き飛ばした。

 このまま暴れ狂う悪竜を止められなければ、間違いなく王国は滅ぼされる。

 民は皆、胸中に不安を抱えながら、重苦しい日々を過ごしていた。

 そんな時。

 四人の英雄が、悪竜を倒すために名乗りを上げた。


 一人はロルフ・アウデンリート。王国に名を轟かせる天才冒険者。

 一人はノーラ・ヘンチェル。剣聖の異名で知られた世界最巧の女剣士。

 一人はエルザ・ライヒヴァイン。呪いを操るがゆえに怖れられた悪名高き魔女。

 一人はベルトラム・エルンスト。王に忠誠を誓った栄誉ある近衛騎士団の長。


 世界最高峰の実力を持つ四人は、七日七晩を超える死闘の末に悪竜を封印。

 宣言通りに王国を救った英雄として無限の賞賛が浴びせられた。

 ――たとえ王国に帰還した者が、四人のうち二人しか残っていなかったとしても。


 ◇


「……どうしてこうなった」


 深いため息をつく青年の傍らには、ぼろきれのような服を纏う少女が佇んでいた。

 肩まで伸びた銀色の髪に、透き通るような蒼い瞳。

 白磁のように美しい肌にはシミひとつなく、まだ未成熟ながらもすらりと伸びた手足は何とも艶めかしい。

 ちゃんとした格好をすれば、誰もが見惚れるであろう美少女だった。

 彼女はため息をついた青年を不思議そうに見やると、小首を傾げながら尋ねてくる。


「……どうかしたのですか、ご主人さま?」


 青年は額を右手で押さえながら、面倒臭そうに歩みを進めていく。

 とてとてと、少女は慌てたように足早な青年の後を追った。

 駆け足で青年に追いすがる彼女の首には、鉄製の首輪がつけられている。

 それが意味しているところは単純だった。

 すなわち、奴隷。

 人間だと認められず、モノとして扱われる最下級の労働力。


「俺はお前の主人じゃねえよ」


 寝ぐせがついたボサボサの黒髪をかきながら、青年は淡々と言った。

 ――どうして一介の冒険者に過ぎない青年が、奴隷の美少女を購入してしまったのか。

 それには深い理由があった。


 ◇


 時間を少し遡る。

 太陽が沈み、夜の帳が下りて数時間が経過した頃。

 青年――ロルフ・アウデンリートは、とある奴隷市場に立ち寄っていた。

 眠たげな瞳を浮かべた冴えない顔立ちと枯れ木のように痩せ細った肉体には、かつて王国を救った英雄の面影など微塵も窺えない。

 それはロルフ自身が誰よりも自覚していた。

 彼はそんな情けない外見を隠すように、厚手の外套を身に纏っている。

 手に持っているのは安酒の瓶。中身は空だった。つまりロルフはそれなりに酔っていた。

 だから非公式であり犯罪紛いの奴隷市場をふと見つけた時、何となく顔を出していた。

 別に奴隷が欲しかったわけではない。

 あえて言うのなら、やることが他になかったから――それだけに過ぎない。

 だが、ロルフはそこで見つけてしまったのだ。

 人で賑わう裏市場の壇上で売り出されている一人の美少女。彼女が今は亡きロルフの仲間――ノーラの妹であるミリアだと気づき、ロルフは反射的に行動してしまった。

 そして現在に至る。


「金貨五枚が消え去ったぜ……いや仕方ないとはいえ」


 ぶつくさと言いながらもロルフは自宅に辿り着き、ギィと扉を開けた。

 なぜかここに来て尻込みしているミリアの背を押し、強引に中へと入れる。


「わっ……!?」

「お前がさっさと入らねえと鍵を閉められねえんだよ」

「……申し訳ございません」

「……謝ることじゃねえ。気にすんな」


 ロルフとミリアはそんなやり取りをしながら廊下を進み、大部屋に入った。

 時刻は夜だ。光源は存在せず、部屋は真っ暗で何も見えない。

 とはいえ、すでにロルフはこの一軒家に何年か住んでいる。

 どこに何があるのか程度、これまでの経験と勘で何となく分かった。


「ちょっと待ってろ。危ねえから動くな」


 キョロキョロしているミリアを注意しつつ、ロルフは部屋の奥へ。

 窓側にある暖炉にいくつか薪を放り込むと、簡単な詠唱を呟き魔術で火をつけた。

 ぼう、と指先に炎が灯る。

 薪に燃え移った火はパチパチと音を鳴らして燃え盛り、徐々に部屋を照らしていく。

 散らかった部屋だった。

 本の山が乱雑に積み上げられ、酒瓶が辺りにいくつも転がっている。

 衣服はソファにかけられていたり、テーブルに放られていたりして、しわくちゃのよれよれになっているものが多かった。

 部屋自体は広いのだが、やたらと雑多で小汚く手狭な印象を感じさせる。

 この部屋に慣れているロルフから見てもそうなのだから、ミリアから見れば相当だろう。

 ミリアのほうを振り向くと、案の定、彼女はあんぐりと口を開いている。


「適当に座れ」

「と、申されましても座る場所が見当たらないのですが」

「座る場所ってのはな、作るもんだ」

「違うと思いますが……これはわたしが間違っているのでしょうか?」

「さあな」


 適当に返事をしながらも、ロルフは内心で驚いていた。

 ミリアは奴隷だ。

 しかも裏市場で売り出されていた以上、正規の手続きによるものではない。

 つまり相当にひどい扱いを受けていたことは想像に難くない。

 現に明るくなった部屋でミリアの姿を見ると、体のあちこちに傷跡が窺えた。

 だというのに、ミリアの言動には「怯え」が見えない。

 淡々とした、冷たく無感情な瞳でロルフを眺めている。

 これは恐怖という感情が麻痺してしまうほどに痛めつけられたのか、それとも――


「――俺のことを覚えているか?」


 ロルフはソファに腰を落ち着けながら、立ち尽くすミリアを見据えた。

 対して、彼女は怪訝そうに小首を傾げる。


「……どこかで、会ったことがあるのでしょうか?」


 ミリアはしばらくロルフを見つめていたが、分からないとばかりに首を振った。

 当然ではある。なぜならロルフは、ミリアがノーラと一緒にいるところを見かけたことがあるだけだ。彼女と直接の面識があるわけではない。

 奴隷商人が「ミリア」という名前で売り出していなければ、顔を見ても気づかなかった可能性のほうが高い。所詮はその程度の関係だ。


「……わたしを知っていたから、わたしを買った、と?」


 粗雑な口調のロルフに対して物怖じせずに、ミリアは淡々と尋ねてくる。


「……まあ、そんなもんだ」

「失礼ながらお名前を伺ってもよろしいでしょうか、ご主人さま」


 ロルフは考える。

 ミリアはロルフという名を知っているだろうか、と。

 仮にも四英雄の一人とはいえ、ロルフの名はその中では些か以上に劣る。

 剣聖。

 呪いの魔女。

 近衛騎士団の長。

 そんな顔ぶれの中で、ロルフは一介の冒険者に過ぎなかった。

 探索や旅の仕方に長けているだけの支援要員。

 それが国民のロルフに対する認識であり、間違っているとも思わなかった。

 ゆえにミリアは剣聖ノーラの妹ではあるが、ロルフの名を知らなくてもおかしくない。 ロルフはここで名乗るかどうか、躊躇った。

 ミリアがロルフの名を知っているのなら、きっと彼女に恨まれているだろう。

 帰還したのはロルフとエルザの二人だけ。ノーラを殺したのはロルフの力不足だ。


「……俺は、ロルフ。剣聖ノーラの仲間だった男だ」


 それでもロルフはミリアに真実を告げた。

 王国の未来を担うはずだった英雄を二人も殺したロルフの罪は、糾弾されるべきだ。

 決して我が身可愛さに隠していい名ではない。


「ロルフ………?」


 対して。

 ミリアの反応は劇的だった。

 彼女は一瞬、その瞳に地獄の窯を開いたかのような憎しみを滲ませると、


「――なんで」


 はらり、と。 

 一筋の涙が頬を滑り、地面へと滴り落ちた。


「なんで、お姉ちゃんは死ななければならなかったの?」


 ロルフに答えられることは何もなかった。

 四英雄。

 その呼び名は、悪竜封印のほんの数か月後に廃れた。

 剣聖と近衛騎士団の長は死に、残った冒険者と魔女は姿を晦ましたのだから当然だ。

 ――耐えられなかったのだ。

「英雄」などというふざけた呼び名で称えられることが。

 だからロルフはこんな辺境の街で、酒を呑んだくれる生活を送っている。


「……答えて、くれないんですね」


 ミリアは言う。

 俯き、その小さな拳を強く握り締めながら。


「――わたしは、あなたが憎い」

「そうか」

「でも、それ以上に、悪竜が憎い。わたしたちが暮らしていた街を焼き尽くし、さらにはお姉ちゃんまで奪ったあの怪物が何よりも憎い……っ!!」

「……そう、か」


 ノーラは言っていた。

 悪竜を倒すために名乗りを上げた理由は、故郷を滅ぼされたからだと。

 圧倒的な炎の暴虐に家族を奪われ、生き残ったのはノーラとミリアの二人だけ。

 それゆえに、ノーラの瞳は復讐の炎に燃えていたことを覚えている。


「けれど、私には戦う力がない」


 そして今。


「ロルフ・アウデンリート……いえ、わたしのご主人さま」


 ミリアの瞳には、あの時のノーラと同様の炎が渦を巻いている。


「どうかわたしに、封印されたあの悪竜を、今度こそ滅ぼす方法を教えてください」


 天涯孤独。

 自分以外のすべてを失い、挙句の果てに奴隷に落とされた少女が、絶望と憎悪の波に精神を呑まれた少女が、ただ復讐の意思を叫んでいる。


「あなたよりも、お姉ちゃんよりも、ずっと強くなって、仇を討つ方法を教えてください」


 ミリアは涙を流しながら、ゆったりとした仕草で頭を垂れた。

 そこにあるのは、ただ純粋で綺麗なまま狂ったような憎しみだった。


 復讐は、何も生まない。悪竜の封印はおそらく百年前後は破られないはずで、誰かが危機に陥っているわけでもない。ミリアが無理に挑んだところでノーラはきっと喜ばない。

 憎しみに狂う彼女を、説得する言葉ならいくらでもあって。

 ――ノーラを殺したロルフに、そんなことを言う資格などあるはずもなかった。


「何でも、します。だから、わたしを鍛えてください。お願いします……っ!!」


 ――ならば。

 ならば、彼女の意思に従おう。

 やるべきことはただ一つ。

 最弱の奴隷少女を、最強のドラゴンスレイヤーに育成すること。


「……いいだろう」


 ――ついぞ英雄にはなれなかったけれど。

 彼女を英雄に成り上がらせることなら、ロルフにもできるかもしれない。


「お前は今日から俺の弟子だ。俺が、お前を最強に鍛え上げてやる」

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