第3話 食事
「ご主人さま……けだものだったのですね……」
「別に何もしてねえだろうがよ」
ミリアはベッドの毛布にくるまりながら、何事かを嘆いていた。
彼女はぶかぶかの白シャツの中で体育座りをすると、俯き気味にロルフを睨んでくる。
「わたしの体、あんなにじろじろ眺めたくせに……」
「人聞き悪い言い方すんな! 単にシャワーに仕込んである水魔石の魔力が切れたみたいだから補充しにいっただけだろうが! てか呼んだのはお前だろうよ」
ミリアの全裸を見てしまったのは事実だが。
誓ってじろじろは見ていないし、不可抗力だったのは間違いない。
「確かにシャワーが使えなくなって呼びましたけれど……わたしが何か着るまで待ってくれてもよろしかったのでは?」
「分かった分かった。悪かったって……」
「ごめんなさいお姉ちゃん。わたし、ご主人さまに汚されてしまいました……」
「……実際は風呂に入って綺麗になっただけなんだがな」
ロルフは遠い目をしながら、自身の濡れている髪をタオルで拭いていく。
ミリアの後にロルフもシャワーを浴びたのだ。
「ほら、こっちに来い」
「何でしょう?」
「いいから」
「また全裸にするつもりではないのですよね……?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
「子供が好きな特殊性癖を持つご主人さま」
「どうやら俺の弟子になりたくないようだな……?」
「滅相もございません。わたしはいつでもご主人さまの傍に」
ミリアは途端に愛想笑いを浮かべながら、ロルフに近づいてくる。
ロルフはミリアの頭にばさっ、とタオルをかぶせると、わしゃわしゃと拭き始めた。
「わ……っ!」
「せっかく綺麗にしたんだから、ちゃんと髪も整えとけ」
ロルフは適当に拭いてから、バスタオルを籠のほうに投げると、
「風よ、人肌の温もりとともに」
簡素な詠唱によって風の魔術を起動。
掌から温風を放ち、ミリアの銀髪を乾かしていく。
ミリアは少し憮然とした表情で黙っていた。
「……それにしても」
「あん?」
「わたしを弟子にするというだけの話ではなかったのでしょうか?」
「そのつもりだよ」
「では、どうしてわたしの世話を……?」
「……俺と違って可愛い顔してんだから、綺麗にしなけりゃもったいねえだろ」
「…………かわいい。わたしが、ですか?」
なぜか小声で呟いているミリアの髪を乾かし終えると、ゆっくりと櫛で梳いていく。
「それに……」
「?」
その銀髪の髪質が、ひどくノーラに似ていると思った。
「……いや、何でもない」
ロルフは首を振り、自分自身に呆れたように嘆息した。
「よし、これで大丈夫だろ」
「……ありがとうございます、ご主人さま」
ミリアの身だしなみを整えたロルフは疲れたようにベッドへと身を投げる。
冬の訪れを告げているのか、最近は少し寒いので暖炉の火を灯したままに目を閉じた。
「あ、あの……ご主人さま」
「何だよ? 俺はもう眠いんだが」
「わたしはどこで休めばよいのでしょうか……?」
「ん? ああ、そうだな……」
ロルフは部屋を見回した後、無言でベッドの隣をぽんぽんと叩く。
「何だかそんな気はしていました……」
「他に寝る場所ねえだろ。ソファは酒臭いし」
「裸を見られたというのに同衾を気にするのも今更ですし……失礼いたします」
「やけにすんなり入ってくるな」
「あれ、もしかしてわたし、感覚が麻痺しているのでしょうか……?」
「いいから寝ろ」
「はい。ベッドがふかふかで気持ち良いです……」
隣から漂う僅かな甘い香りと、背中に触れる温もりから意識を背けつつ、ロルフはゆっくりと意識を闇に沈めていった。
◇
翌朝。
窓から穏やかな日差しが差し込み、心地良い暖かさがロルフを包んでいた。
キッチンから漂う空腹を刺激する香りに促され、ロルフの意識は水面に浮上していく。
「……ふあぁ」
大きく欠伸をしながら、ロルフはむくりと起き上がる。
腹にかけられていた毛布をどかしながら、ぼやけた目を手で擦った。
ベッドにはもう、ロルフの隣で寝ていたはずの少女はいなくなっている。
「……あれ?」
ロルフがミリアを探して周囲を見回すと、あれだけ散らかっていた部屋がいつの間にか綺麗に片付いていた。
そこら中に放り捨てられていた酒瓶は一箇所にまとめられ、適当に積み上げられていた本の山は、隙間だらけだった本棚にきっちりとしまわれている。
ゴミは袋にまとめられ、蔓延していた埃は綺麗に取り払われていた。
「……おいおい、どうしたんだこれは」
ロルフは頭をかきながらベッドから立ち上がる。
キッチンにはぶかぶかの白シャツを着たミリアの後ろ姿が見えた。
彼女はロルフの声が聞こえたのか、くるりと振り向いて挨拶してくる。
「おはようございます、ご主人さま」
「……おう」
「勝手に部屋を片付けてしまったのですが、大丈夫でしょうか?」
「今更ダメって言ってもどうしようもねえだろ」
「……もしかして、ご迷惑をおかけしてしまいましたか?」
「別に責めてるわけじゃねえよ。……まあ何だ、ありがとな」
ロルフが視線を逸らしながら言うと、彼女は微笑を浮かべて頷いた。
「お役に立てたのなら、わたしも嬉しいです」
「……しかし、何で掃除なんて面倒なことをやってんだ? そこまでやる義理はねえだろうに」
「ご主人さまの弟子にさせて頂くのですから、身の回りのお世話ぐらいはわたしにお任せください」
丁重に告げるミリアに、ロルフは「なるほど」と頷く。
「そういうことか」
「……いや、まあ散らかった部屋に住むのは単純にわたしが嫌なので……」
「……あ、そう」
なぜか申し訳ない気持ちになりつつロルフが相槌を打つと、ミリアは、
「あ、えーと……朝ご飯を作ったので、よかったらどうぞ」
――話を逸らした。
ロルフはがっくりと肩を落としつつ、木製の長方形テーブルに沿うように並べられたいくつかの椅子の一脚に腰を落ち着ける。
そんなロルフの前に、愛想笑いを浮かべたミリアが料理を並べていく。
「……勝手に食材を使わせて頂きましたが、よろしかったでしょうか?」
「気にすんな。いくらでも使ってくれ。金なら腐るほどある」
「腐った食材もたくさんありましたが……」
「……すまん」
ロルフが憮然とした表情で目を逸らすと、ミリアはくすくすと笑った。
――こんな顔で笑う少女が、昨夜、あそこまで憎しみに狂った瞳を浮かべていたのか。
そのことがふと、ロルフの胸中に影を差す。
しかし、その狂った瞳にはロルフが魅入られる魔性の色香があったのも事実だ。
性的な意味ではなく、単純に、同じ復讐心を持つ者としての「共感」にも似た何か。
「……どうかしましたか?」
こてんと小首を傾げて、不思議そうに目を見開いているミリア。
我に返ったロルフは眼前で湯気を立てている料理に手をつけようとして、
「……お前の分はどうした?」
自分の分の料理しか用意されていないことに気づいた。
「……あ、えーと、奴隷がご主人さまと一緒に食事をするのはどうかと思いまして」
「お前はもう奴隷じゃないが」
ロルフがそう言うと、ミリアは「……あ」と呆けたように口を開いた。
どうやら忘れていたというよりは無意識下での問題だろうか。
「……そうですよね。ニ、三か月ぐらい奴隷としての教育をされたので、本能的に」
「もともと非正規の裏市場。お前を奴隷に落とした連中は明確な犯罪者だ。そんなの気にすることはねえよ……と言っても、難しいだろうが」
「いえ、大丈夫です。確かに食事や衛生は酷かったのですが、あまり痛めつけられたりはしなかったので」
ミリアはそう言いながら、自分の分の食事もテーブルに用意する。
ロルフは彼女が準備を終えるまで、食べ始めることなく待機していた。
「……たぶん処女の性奴隷は高値で売りさばけるから、体に傷はつけられなかったんだろうな。お前、ノーラに似て容姿も良いからな。やけに高かったのはそのせいだろう」
「……そうなのでしょうか」
僅かに顔を赤くして目を逸らしながら、ミリアは曖昧に返事をする。
この初々しさから見ても、あの犯罪奴隷商会にトラウマを抱くほどの扱いは受けていないようで何よりだった。
「……それに」
ミリアは食前の祈りを捧げた後、それまでとはまるで異なる平坦な口調で言う。
あまりにも急激な、雰囲気の変化だった。
「わたしの憎しみは、姉を奪い去った悪竜と、それを見過ごした貴方に捧げている。あの程度の連中に対して無用な憎しみを抱くのは、非常にもったいないと思いますので」
氷よりも冷たい感情を宿した一言だった。
は、とロルフは僅かに笑う。恨みは消えていないようで何よりだった。
「……とりあえず、食べていいか?」
「はい。いただきましょう」
ころっとミリアの表情は一転し、笑顔を浮かべてロルフに言う。
ロルフに言えることは何もなかった。
だから大人しく、大地の恵みに食前の祈りを捧げる。
眼前に佇むのは湯気を立ち昇らせるポトフと、ハムとレタスのサンドイッチである。
「……美味いな、これ」
朝の空きっ腹に、塩気の薄い穏やかな味が染み込んでいくような感覚があった。
ロルフは黙々と、ミリアの料理を食べ進めていった。
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