トゲトゲを削った金平糖を疑っています
人間界の、日本という国。さらにその一部の地域で、信仰されている『オオクラさま』伝説。信仰というよりは、恐怖の対象というべきだろうか。
あるところに、小さな姉妹がいました。お姉さんはやさしい子どもで、素直な妹をかわいがっています。おやつの時間には、たとえ大好きなショートケーキでも、お姉さんは妹に半分、分けてあげていました。妹はやさしいお姉さんが大好きで、小さな親切に対しても、感謝の気持ちをしっかりと伝えます。
ですがその妹は、お礼を言えばみんなが何でもくれると思い込んでしまいました。やや強引に、お友達のものも分けてもらっていたのです。成長していくにつれて、妹は乱暴に、人からものをもらうようになっていました。お姉さんはそのことに気づいていません。お姉さんの前では、妹はいつまで経っても、素直でかわいい妹だったからです。
ある日お姉さんがサンドイッチをつくって、妹と一緒に、近所の山へピクニックに向かいました。楽しく汗をかいて山を登り、少し開けた場所に出ると、ふたりは木のベンチで少し休憩。お姉さんは、ふたり分のサンドイッチをリュックから取り出します。
ふたりで仲良く食べていると、自分の分を食べ終えた妹が、いつものようにおねだりをしました。お姉さんは喜んで、残りのサンドイッチを渡します。
「ありがとう、お姉ちゃん」
妹が笑顔でサンドイッチを受け取ったその瞬間、茂みの奥から長い手のようなものが伸びてきて、妹の腕を掴みました。
妹は、茂みの中に引きずられていったのですが、あまりにその動きが早すぎて、お姉さんは何が起きたのかわかりません。がさがさと草の動く音がして、自分の妹がそこに連れ込まれたのだと気づきます。
妹を探そうとお姉さんは立ち上がりますが、今度はお姉さんに、長い手が迫ってきました。お姉さんを鷲づかみにする直前で腕が止まると、茂みの奥から、低い声が聞こえてきます。
「オマエ ハ クイシンボウ ジャ ナイナ」
しゅるしゅると、長い腕は草木の中へ戻っていきました。地べたにぺたんと座りこんだお姉さんは、恐怖のあまり動くことができません。
ようやく立ち上がれるようになって、お姉さんは腕の出てきた草木を掻き分けてみますが、そこにあるのはただの崖で、生き物がいるようには思えませんでした。
その生き物は、姉妹の登った山に住んでいると思われますが、山を降りた街中でも、ときおり食いしん坊の悪い子を攫っていってしまいます。攫われる瞬間に出くわした人も、その「長い腕」しか見たことがありません。もしかしたら神様が、空の上から人間の生活を見ていて、不思議な力で悪い子を懲らしめてるのかもしれない。腕はいつしか、バケモノではなく神様として扱われるようになりました。
攫われた子どもは、誰ひとり帰ってきていません。
ツバキバラ様から話を聞いて、独自に「オオクラ様」を調べてみた結果出てきたのが、こんな伝説だった。人民を助けてくれたというようなエピソードではなく、たしかに悪魔的――人々が日頃の生活を改めようと考えさせられるようなフィクション。
しかしそんなオオクラ様は、今僕たちの目の前で苦しんでいるのである。
「ウア……。ガアア……」
呻き声。ぼたぼたと垂れる涎。落ちた先の地面は、黒くシミになっている。
赤茶色の、タマゴのような何か。高さは、6メートルぐらいだろう。上向きになっているそれの側面には、左右3つほど大きなヒビが入っていて、物語でも登場する赤黒い蛇腹状の腕が、その穴からずるりと伸びている。穴の中の様子は窺えない。いったい、どんなバケモノなのか。脚の数は昆虫に近いが、虫にはあまり見えない。
胴体と思われるタマゴ。正面やや下のあたりから、黒いクチバシのようなものが突き出ている。クチバシの中からさらにクチバシが出てきており、そのクチバシからもクチバシが出ているという、三段構造。非常に、気味が悪かった。上位の神に対して抱くべき印象ではないが。
最後のクチバシはいわゆる口の役割を果たしているらしく、鈍く光る舌から涎が滴る。本来であれば大好きな食事の際に溢れ出すはずなのだが、今は苦しみから唾液の制御ができず、だらしなく垂れ流しになっているだけだ。デカい図体の割にその歯は小さく細かで、そこだけ見れば鳥類にしか見えない。体はタマゴ、腕は昆虫、口は鳥さん、これなんだ? やはりどう見ても、これは悪魔じゃないか。
「先ほどから、まともに言葉を発せないようです。おかげで、いったい何が起きたのかわからずじまいでして……」
龍の仮面の従者が言った。
普段通り金平糖を献上しようとしたツバキバラ様が、オオクラ様の異変に気づいたのだという。こういったことに詳しそうなシダキ様に伝えるべく、たまたま近くにいた龍の従者に声をかけたのだ。
「それで? その第一発見者はどこに行ったの?」
「面倒だから任せるといって、どこかへ……」
報告するだけして、消えたというのか、あの方は。
我が主ながら、ため息が出る。シダキ様は笑っているが。
「見たところ目立った外傷はないし、毒でも盛られたと考えるのが妥当かな。彼にはできるだけ仕事を与えないようにしていたから、妙なところで恨みを買うことはないはずなんだけど……。下がっていいよ」
シダキ様が声をかけると、従者はとことこと歩いて行った。
「さて、まさか毒薬の原液を飲んだとは思えないからね。きっと食事に混ぜられていたものだろう。そうなると、彼の食事を献上していた100の店全てと、ツバキバラを含め形式上オオクラの配下にある20の神々全てに、コンタクトを取らなければならないな」
「……100の店?」
「彼は1日100食という生活をしていたからね」
ええと、この世界でも1日24時間。睡眠は必要ないとはいえ、眠りを好む神や精霊は多いから、実際起きているのは16時間として。16時間で100食ということは……10分に1回くらいは何か食べていたということか。暴食どころの騒ぎではない。
「スルガくん」
「は、はい」
名前を呼ばれて、背筋を伸ばす。
「100の店と、20の神々。その中に毒殺を試みた者が1以上いるとする。いったいどうやってそれを見つけ出せばいいかな?」
「ええと……」
試行回数としては変わらないが、一つひとつをチェックしていけばいいはずだ。店側に問題がある場合、あるひとつの店からの食事をシャットアウトして、しばらく様子を見る。毒が利き始める期間にもよるが、その状況で毒殺未遂が起これば、その店はシロ。また別の店で試行してみるのを繰り返し、これだけで100回。ただし、提供する神それ自体は変えないものとする。
店に問題はないが、オオクラ様の下にいる神々の方で毒が混ぜられていることもありうる。その場合は、食事の直接の提供者である20の神々にも同じように、一定期間関与させない状況をつくって判断する必要がある。
「大々的にオオクラ毒殺未遂を知らせてしまえば、勘づいた犯人が動きを止めてしまうかもしれない。あくまでもひっそりと、ことを進めなければならない」
「しかし、あまりにも試行回数が多すぎます」
100と20で、120。途中で答えに当たる確率の方が高いとはいえ、最大で120のパターンを調べなければならない。毒の性質にもよるけれど、仮に1パターンにつき1週間必要だとしたら、最大で120週。
「そんなに時間をかけていたら――」
シダキ様はこくりと頷く。
「そうこうしているうちに、上位神が毒殺されるだろう。これは結構、やばい事態だよ」
100の店を調査するよう、僕はシダキ様から命じられてしまった。断ることもできたが「解決したらしばらく仕事しなくてもいいよ」という誘いに乗って、こうして27件目の見回りをしている。
「わかっていると思うけど、僕たちは精神体だ。肉体をほとんど持たないのにも関わらずオオクラが苦しんでいたということは――毒を盛られたとは言ったものの、実際には逆の性質であることもありえる」
ツバキバラ様の言葉によれば、オオクラ様は悪魔であった。何をするかわからない精神体は手元に置いておく方がいい。神界は彼を、大量の食事によって買収したが、それは「再び買収されうる」ことも意味している。今は手の内にいるものの、いつ敵に回るのかわからない状態。オオクラ様を始末しようという意見は、神界の内部でも珍しくないという。
そして悪魔であるということは、聖なるものや浄化するものに対して強い拒否反応を示しうるということでもあった。シダキ様やツバキバラ様、そして僕にとっては無害なものでも、オオクラ様には毒であることも十分にありうる。
つまり、シンプルに毒を盛られた可能性と、聖なるものが毒として作用した可能性、どちらのケースについても考えなければならないのだ。そして食事の回数が多すぎるために、原因特定にはかなりの時間を要しうる。
見回りといっても、さりげなく情報を聞き出してみるというようなことしかできない。シダキ様が言っていたように、下手にこちらが危機迫る様子を見せてしまうと、犯人に警戒されてしまうからだ。そもそも、そんなにわかりやすく大々的に悪いことをしているとは思えず、この調査に意味があるのかは疑わしい。時間つぶしというか、もしかしたら何か見つけられるかもしれないという足掻きでしかないのである。食事にストップをかけない限りは、核心に迫ることは難しいだろう。
ところで、神界に給与のようなものは存在しない。誰もが見返りを求めることなく、淡々と働いている――正確には、働かされているのが現状だ。自由と呼ぶべきものも存在しない。ないこともないが、人間に比べればかなり狭いものだ。神々の職務がシャッフルであるように、精霊たちの仕事も、原則的にはランダムに与えられるものだからだ。和菓子が好きだから和菓子の作成に励める、というわけではない。全ては上位の神のため。そしてある意味、人間のためであった。
ツバキバラ様および僕の以前の職務は、追突事故を起こした蚊を対象としたものであったわけだが、基本的に輪廻転生は、人間の世界の内部で起こりうるものだ。地上で犯した罪は地獄で判定され、地獄や人間界で贖罪の一生が始まる。そこである程度罪を償うことができれば、こうして精霊として神界で暮らすことができるというわけだ。
ちなみに転生では、ときおり記憶の初期化に不備が起こるため、完全にメモリをクリアされないまま次の一生を始めることが稀にありえた。僕が中途半端に人間界の記憶を持っているのは、まさにそのためである。あまりにも危険な思想が残っている場合を除いて、こういった事故はスルーされることが多い。少し記憶が残っているんですとわざわざ申告する必要もないので、実際は結構な数の消し忘れがあると見積もられていた。
こういう言い方をしてはなんだが、記憶を残したまま神界で暮らすのは、おそらく苦痛でしかないだろう。繰り返すように、ここには本当に自由がないからだ。働かなければ生きていけないわけでもないので、労働に対する意欲も湧きにくい。与えられた職務をこなさないでいると強制的に再度転生させられてしまうので、ある意味では「働かない=死ぬこと」とも受け取れるが、転生した方がマシという感覚はおそらく、転生前の記憶がなければ起こりえないことなのだろう。逆に、生きていた実感があるからこそ、強制的に生まれ変わりを迎えることに恐怖し、不自由さに苦しみながらも淡々と刺激のない日々を過ごしている者もいるかもしれない。
僕はといえば、たしかに不自由さは感じているものの、ツバキバラ様が職務放棄を繰り返すために変な案件が僕に回ってきて退屈しないので、死んだ方がマシとも、消されるのが怖いというような感覚はあまりなかった。おそらく僕は、精霊という身分でありながら、神界の中ではかなり幸せな方ではなかろうか。
「働いて働いて徳を積めば、精霊から神々に昇進できる。一応そういう目標がある点では、人間の生活と大差ないような気はするけどな」
以前、ツバキバラ様がそう話したことがある。どうやら彼も、人間だった頃の記憶を少しだけ抱えているようだが、それに対しての執着は一切ない。本人曰く、ロクでもない記憶だったそうだ。
「とはいえ、無尽蔵に神の席をつくるわけにもいかないからな。何かやらかして虫の一生からやり直すアホなやつもいるが、それを待ってるんじゃラチが明かん。自分でやつらを仕留めた方が早いって考えつくケースもある。精霊だけじゃなく、勝手に「下位の」神だなんて決めつけられたやつだってそんなことが頭によぎるさ」
面倒くさがりなツバキバラ様は、そんなことはしないだろうけれど。
散歩がてら、オオクラ様の食事に関わっている店を30ほど調査してみたものの、当たり前だが怪しすぎる店などなく、ただ街歩きを満喫しただけだった。前回は「交通安全教室」だったため外に出ることがあまりなく、ツバキバラ様のつくった「穴」から人間界の様子をよく一緒に眺めていたものだ。しかし、やはり自分の足で歩いた方が気分がいい。たとえ刺激のない街だとしても。
それに、今は「オオクラ様毒殺未遂事件」というイベントもある。これがシダキ様毒殺未遂なら僕も慌てたが、今回狙われているのは元・悪魔だ。なんなら、現在進行形で悪魔の風貌をしているような方である。いったい誰が、何のために、なんてことを悠長に考えていられる余裕があった。
あった、のだが。
戻ってきて、段ボールに気づく。マモネさんのところからの金平糖だ。そのうち、これも食べさせないで様子を見なければならないなと思う。
シダキ様の注文によって、総量を変えずにひと粒のサイズを大きくしてもらった特注品。いったいどんなものか――および、いったいどれくらい僕の「ムダな仕事」が楽になるのかを確かめるべく、僕はひとつの箱に近づいて、テープを剥がそうとした。
視界の端に、お猪口と徳利が映る。そういえば、削った金平糖はお猪口の中で洗っていたのだから、あのお猪口よりも大きなサイズになっていた場合、洗うことが難しくなるのではなかろうか。
ため息が出る。こっそりお酒を飲んでいるとはいえど、あまり楽しい作業とはいえない。早いところ、また職務シャッフルが行われ――。
「おさ……け?」
悪魔であるということは、聖なるものや浄化するものに対して強い拒否反応を示しうるということでもある。先の自分の考えを呼び起こした。
酒は、どうなんだ?
アルコールには、消毒の作用があったはずだ。昔ドラマで、焼酎を浴びて消毒する場面を観たことがある。もう何年前かわからない。100年くらい経っているのかもしれない。だが、今はそんなことどうでもよかった。
もしかして毒殺犯は、ツバキバラ様じゃないのか。
(続く)
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