第19話 Self reproach2:志藤 束沙の罪愛

「久しぶりだね」




私は『松野家之墓』と刻まれた岬生のお墓に向かって、話しかけた。

少し枯れた花を替え、汲みたての水を注いだ。

お墓の周りを粗方綺麗に掃除してから、改めて、岬生のお墓と対面した。



「そっちの世界は、どんな感じなのかな? ……こっちはね、岬生が居なくなってからのこの1年で、いろんな事があったよ。」


両手を胸の前で合わせて、目を閉じる。

何事も無かったかのように、風が木々を揺らしている。

脳裏に浮かんできたのは、まだ元気な姿をしていた、高校1年生の時の岬生だった。

……今思えばそれこそが、岬生がしっかり生きている姿の見納めの時だった。



「歩夢は今年の4月から、小学校に通ってるよ。勉強はねー……残念ながら、私に似てあんまり出来ないね、あはは。あ、あと、この間ね、果葉子が結婚したよ。お相手は瀬尾明春くん、っていう子。同じ中学のね、えーっと……確か2つ年下だから、岬生と同い年だね」


私はフッ、と笑ってお墓を見上げた。

もう一生、変わることのできない弟が、然程興味もなさそうに、頭をかきながらこちらを見ているような気がした。



「あんたはそんな事俺には関係ないって思ってるんでしょうね。でもね、関係なくないよ。




ここに、あんたに関係ない人なんていないんだから」




中学生になってからの弟は、人をバカにしているかのような態度ばかり取っていて、正直な事を言ってしまえば全く可愛げのない弟だった。


それでも、いつも申し訳なく思っていた。



「あんたは家族なんて……いや、こんな家族なんていらないって、いつも思ってたんだろうね。でもね、私はいつも、岬生の事が気になってたよ」



だって、きっと、みんなにバカにされていると感じていたのは、他の誰でもない彼なのだから。



「でも、ごめん。私は……」



自己嫌悪に苛まれて、下を向いた。

このまま前を向き続けるには、あまりにも重過ぎた。







「岬生の事を、ずっと疎ましくも思ってた」







言った瞬間、涙が零れ落ちた。

風が正面から吹き荒れ、私に襲い掛かるように木の葉が飛んできた。

風と木の葉が軋む音が、脳髄に響いた。



「"あの日"を境に、あんたが日に日に変わっていって、怖くて……どうしようもなく、嫌だった……っ! 果葉子を振り回す、あんたが許せなかった……」



涙が止まらなかった。

岬生への怨嗟と謝意の念が、複雑に絡み合った結果、今、胸に残っているのは後悔だけだった。






「……本当、最低なお姉ちゃんだよね、ごめんね」





それまで激しく吹き荒れていた風が、突然和らいだ。

ふと振り返ると、数メートル後ろに広成が、歩夢の手を引きつつ立っていた。



驚きのあまり、しばらく声が出なかった。






「………………えっ、ひ、広成、歩夢!? いつの間に?」

「あんたは家族なんて……のあたりから」

「割と最初から居たんだね!? てか聞いてたの!? 耳いいね!」



広成と歩夢が、こちらに近寄ってくる。

羞恥心と安心感からか、涙が引っ込んだ。


私はまた、お墓の方を向き直して、祈りを捧げた。

広成も歩夢の手と手を合わさせた後で、手を合わせた。



しばらく黙祷した後、2人が目を開けたのを確認してから、口を開いた。



「酷いヤツだよね……私」



そう言うと、広成が細い目を少し大きく開けた。



「岬生に、本当の事を言わないと決めたのは、あの子が本当の事を知る前に、家族で話し合った時だったの……。確か、私が中学に上がった時だったかな。だから念には念をと思って、周りにも誰にも言わなかった。それが岬生にとっては最善だと信じて疑わなかった……」



私の独白は静寂に包まれた墓地を、静かに流れた。

私は構わず続けた。



「でも、今考えたら、それは間違いだった。岬生の為にと思ってやった事だけど、結局は、っ全部裏目に出てた! 私たちはずっと、岬生を傷付けていただけだった……! だから」



思わず涙が込み上げる。

岬生の為にと思い上がっていた挙句、空回りして傷付け続けていた。さらにその上、嫌悪感まで抱いていたなんて。




家族を信用していなかったのは、岬生ではなく、私の方だったのだ。







「あの子の存在を罪にしちゃったのは私なんだよ!

私は結局、あの子の"お姉ちゃん"にはなれなかった!」






私は弟、いや、松野岬生に"家族"を失わせ、絶望させてしまった。


私は、家族を手放した罰として、家族"と思い上がっていた"最愛の弟を亡くしたのだ。




私は振り返って、両手を広げ、広成と歩夢の手を片方ずつ握ると、歩夢みたいに泣き叫んだ。

顔は上げられなかった。恥ずかしかった。


懺悔するように、縋るように。

もう、何もかも遅いのに。

ただ俯いて泣いていた。



あぁ、なんて愚かで、醜いことか。








「つかさ……なかないで」



歩夢の柔い声で、ハッとした。

涙で、ぐちゃぐちゃのままの顔を上げた。



「つかさのこと、だいすきだよ。だから、なかないで」



そう言って、懸命に励まそうとしてくれている歩夢が愛おしくて、思わず抱きしめた。

なんて、温かいのだろう。





すると、ぽん、と大きな手のひらに、頭を包まれた感触を覚えた。



温かい手の主を思わず見上げる。

広成は普段の彼には似合わない、キリッとした、真剣な面持ちでこちらを見ていた。




「お前は、酷いヤツなんかじゃない……少なくとも、俺と歩夢にとっては。最高の家族だ」





思わず涙が溢れた。

広成らしい、単純で、言葉足らずな励ましだなぁと思う。

それでも、確かに私の胸に響いた。



その時ふと、まだ幼い頃に、父親に教わった言葉を思い出した。



"人は愛を紡ぎながら、罪を背負い、生きていく"



言われた当時は、よく分からなかった。

高校ぐらいの時には、お父さんはロマンチストだなぁ、なんて勝手に思っていた。

でも、もしかしたら、こういう事だったのかもしれない。



家族の温かさに触れながらも、罪の意識は消えない。

それでも、明日に向かって生きていけると、確かにそう思えるのだ。



「……広成、今日は煩いって言わないんだね」

「煩い」

「あ、言った」

「……煩い、本当煩い」



ふふっと笑った後、歩夢を抱っこしてから、広成の肩に体重を預けた。

突然の事に対応しきれず、広成が少しよろけた。

そんな広成の事も、元気よく笑い飛ばす歩夢の事も愛しいと強く感じる。



この人達に出会えて、家族になれてよかった。



私は今度こそ、家族を信じて生きるんだ。








私の名前は、志藤束沙。

旧姓、松野束沙。


償いなんて言葉は、あまりにも烏滸がましくて、言えない。

だから、その代わりに、私はこれからも、松野岬生という、罪を背負いながら生きていく。


この重さはきっと、罪を生んだ私が受け入れるべき、代償なのだ。


だけど、今の私は「志藤束沙」だから、この先もきっと歩んでいける。





明日もきっと、この人達とともに。

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