第18話 Victim mentality 6:飯田 果葉子の清算

2日前。

岬生が亡くなった。

その日に仮通夜、次の日に本通夜が行われた。

そして今日は、告別式が行われる。


喪服を着用し、告別式場へ向かい、自動ドアが開くと同時にゆっくりと足を踏み入れた。

中に入って、真っ先に松野家の告別式場を探した。


エレベーターで上がり、指定された場所に辿り着くと、ドア付近に、同じく喪服を着用した束沙が静かに立っていた。

俯いたまま悲しみを堪える束沙の元へ、気持ちだけ急ぎながら近寄った。


「束沙」

「……あ、果葉子。来てくれて嬉しい。ありがとう」


束沙も、少しだけ私の元へ歩み寄ってくれた。

すぐそばで受付を済ましてから、束沙の方を向いた。


束沙は私の方へ向かって、やんわりと微笑むと、今度は束沙の両親の方へ振り返り、


「ごめん、ちょっと果葉子に言いたい事があって……席外すね」


そう言ってから私の元へ来た。

私が首をかしげると、束沙はやや目線を下げたまま頷いた。

よく見ると手には、古びたノートを持っていた。

ノートの表紙に記載された名前に、目を見開く。



「まつの……みさき……?」

「そう、これは……岬生が小学生の時の日記帳なんだ」


そう言ってノートを、ぎゅっと抱いた束沙は、さらに俯いて私の肩に手を置いた。

思わずびっくりして束沙の方を見た。

束沙の顔は見えなかった。



「ごめん、ちょっとここじゃ話しにくいから。ちょっとだけ場所変えない? ……あ、と言ってもそんな離れるんじゃなくて、ここの階段付近とか」




耳元の付近で、囁かれるように聴こえた束沙の声は、不安で満ち溢れていた。

それでも、ようやく私と合った束沙の目は、まるで何かを決断したかように、芯が通っていた。


「式まではまだ、時間があるし……ダメかな?」

「ううん、いいよ」


そう言うと、私は束沙に言われるがままについて行った。



階段付近の、人気の少ないところで立ち止まると、私の少し前を歩いていた束沙が振り向いた。



「……いきなり、ごめんね」

「ううん、何?」

「実は……」



言い掛けたところで、束沙は自身の左手で胸元を掴むと、目を閉じて前屈みになった。


「つ、束沙!? 大丈夫……」

「っ、大丈夫。ちゃんと、言うから」


そう言って束沙は、意を決したように前を向き直した。



「果葉子に、ちゃんと知ってもらいたかったの。岬生の生い立ちの事を」


そう言った束沙の言葉に、目を見開いた。


「ちょっと長くなっちゃうかもしれないけど……聞いてもらえるかな」

「もちろん」


私は即答すると、束沙の言葉を待った。



「……前に、岬生は私の弟だって話はしたよね?」


少し小声気味で言った束沙の言葉に頷いた。





「でもね、実は岬生とはね、半分しか血が繋がってないの」





束沙の言葉に息を飲んだ。

血が半分しか繋がっていない……? え、どういう事?


「何、どういう事……? 束沙の親って再婚してるの?」

「うーん、ちょっと違うかな」

「えっ?」


否定された言葉にますます意味が分からなくなった。

理解できず首を傾げながら束沙を見つめた。


「岬生は……っお母さんが、私を産んでから、退院してすぐの頃に」


束沙は少し目に涙を溜めながら、言葉を詰まらせつつも話を続けた。











「レイプされてできた子どもなの」











…………………………………………………えっ?








頭を、撃ち抜かれたような衝撃を感じた。

言葉に紡がれた事実は、私の想像をはるかに超えていて、すぐには理解が追いつかなかった。



「その時お父さんは出張で、一週間ぐらい、家に帰れなかったの。私はその時熱を出してて、大事をとって病院で、長期間検査を受けてたの。その私を、……っ、引き取りに、出掛けた時、お母さんが、お母さん、が……拉致、監禁されたの」



あの温厚で穢れない、普通の女の子である束沙から飛び出した話は、想像もつかない程に複雑で重たい家庭事情で、耳を塞ぎたくなる感情と、詳しく聞きたい感情が入り混じった。

何も言えないまま、食い入るように束沙を見つめた。



「拉致されてから一週間後、何とかお母さんは抜け出した、けど、子どもが……できちゃって……それが、岬生なんだ」



堪えきれず涙を零しながら語る束沙の声は、小さく、それも震えていた。

それでも、しっかり事実を伝えようとする束沙の言葉は、私の耳にしっかりと届いていた。



「お母さんの妊娠に気付いたお父さんはね、最初は、自分の子どもだと思って喜んでた。でもね、自分の子どもじゃないって分かった瞬間、お母さんが浮気したと思って、家を出ていったの。その時、岬生はまだギリギリ物心が付いていない頃、だったみたい。私は物心付いていたけど」



一呼吸置きながら、少しずつ事実が語られていく。

私は岬生の生い立ちの重さに、ただ呆然と立ち尽くしながらも、続きを待っていた。



「でもね、2年ぐらい経ってから、お父さんは戻ってきた。本当の事をちゃんと知ったから、なんだけど……。でも、岬生は、急に増えた父親っていう存在に、違和感があったみたい」



違和感……そうだよね。

束沙はお父さんの存在を認知していたが、岬生はそれまで「お父さんという概念」が存在しない世界で生きていたのだ。



「お父さんは、優しいから、岬生も何も言わなかった、けど。大きくなってから、事件が起きたんだ」


そう言うと、束沙は胸に抱えていた「にっきちょう まつのみさき」と書かれたノートを徐に開くと、パラパラとページを捲った。



見せてくれたページに、殴り書きされた小学生の字面の意味をなぞった刹那、思わず口元を押さえた。






「おれだけ、なんにもしらなかった

あいつらずっとこそこそしやがって!!!

こっそりおれをばかにしてたのか!!


さいていだ。あんなやつら、家ぞくじゃない。

じゃあおれの家ぞくは、一体だれなんだよ」




「その前後のページも見てほしい」と言った束沙の言葉に従い、ページを捲ると、さらに驚愕の事実が書かれていた。




「お父さんは、おれのお父さんじゃない。きょう、おれをずっとぶんなぐって、けったひでぇヤツが、おれの本当のお父さん? ふざけんな!!!」

「あんなひどいやつ、お父さんなんて思いたくねぇ。でも家にいるのはおれのお父さんじゃない。なんだよ、なんだよ、なんなんだよ!」

「お姉ちゃん、これぜんぶ知ってたんだろ。きらいだ、しんじまえ。お母さんも、お母さんなんかじゃない。」

「あいつは、おれいがいのやつらはみんなしってるって言ってた。ほんと、ふざけんな、ぜんいんしんじまえ」

「あんなの、かぞくじゃない。おれは、これから一生、ちがう、まえから家ぞくなんていなかったんだ」




ノートをペラペラと夢中で捲った。

岬生の家族に対する憎悪と、その裏に読み取れる辛さ、悲しみが、まるで自分自身に直接流れ込んできたかのように胸が痛んだ。



「岬生、本当のお父さんに会っちゃったの?」

「そう……岬生が確か……小5の時だったかなぁ。家に、帰る途中、知らない男の人が、急に、目の前に現れた、んだって。その人に、強引に路地裏とかに連れ込まれて、……っ、岬生は、その人に暴行を、受けたの。……その時、その人は岬生に、事実を全部話した。……で、日記帳にも書いてるけど、その男の人は岬生に『お前以外の家族はみんなこの事を知ってる。お前は騙されてるぞ』みたいな内容の事を言ったのね。……多分、岬生は、それが何より許せなかったんだ」



束沙は左手で、胸元を強く押さえながら、悔やむような表情でそう言った。


「その日を境に岬生は変わった。それまで素直な子だった岬生が、小学校でも中学でも高校でも問題を起こすようになった。連絡もしないで家に帰らないなんて事もしょっちゅうあった……中学の時の事は果葉子も知ってるよね? 果葉子にもたくさん迷惑かけてたし、いっぱい傷付けたよね……ごめんね」


私はぶんぶんと首を横に振った。


「なんで束沙が謝るの。束沙は何にも悪くない」

「ううん、元はと言えば、私達家族が岬生の信用をなくすような事をしちゃったのが原因だから……」


そう言って束沙は、右手を軽く握りながらおでこに付けて頭を下げた。束沙が後悔した時に出る癖だった。


「岬生は、高校入ってから……タバコ吸ってるのが数回バレて、結局半年ぐらい経った頃だったかなぁ、学校を中退したの。その日から岬生は、家を出て、そのまま連絡がつかなくなった……捜索届けを出してたけど……それもついこの間打ち切られた。……えっと、確か、その日記帳が、実家から送られてきたのが、2週間前ぐらい前だったから……4、5日ぐらい前だったかな」



そう言うと束沙は一息ついて、改まったように私の方を向き直した。


「これが……今までずっと話していなかった事……。家族の間で、岬生に出来るだけ嫌な事を思い出させたくなくて、今まで通り、触れないで普通にしていようって決めたの。だから、絶対に岬生の耳に話が入らないように、誰にも何にも言わなかったんだ」



束沙の告白に、今まで知らなかった事実に、自身の愚かさを嫌でも思い知らされた。


バカだ……私は……。

岬生の事、何にも知らないじゃない……!

……いや、知ろうとしていなかったのか。


上辺だけの愛で満足していた。

表面上だけの薄っぺらい関係に、気付きさえしていなかった。



だから遊ばれたんだ。私は。



バカだ、バカだ、バカだ、バカだ。





「束沙は……何で、私に話してくれたの?」



そう疑問を口にすると、束沙はキョトンとしていた。

当然の事だと感じていたのだろうか。



「だって、私と岬生が付き合う事には、反対だったよね? ……何で」

「でも果葉子は、岬生の事を、本気で好きになってくれたでしょ?」



ハッとして束沙を見た。

束沙は頰を涙で濡らしながらも、優しく微笑んでいた。



そうだ……私は……



「つか……」

「二人とも、もう大丈夫か?」



男性の声にビクッとして束沙と同時に振り向いた。


「お父さん」


束沙がそう呼ぶと、声の主__束沙のお父さんはコクリと頷いた。


「もうそろそろ式の時間だ。話は済んだか?」

「あ……う、うん。大丈夫。行こう、果葉子」

「あ、うん」


心の奥底で複雑な感情が渦を巻き、ぐちゃぐちゃと鳴っている音を、ただひたすら聞いていた。






岬生の告別式が始まった。

会場に響き渡るお経を聞いても、今一つ実感が湧かなかった。


それよりも頭の中は、さっき束沙から聞いた岬生の生い立ちの事でいっぱいになっており、今まで感じた事のない感覚に戸惑っていた。


自分が何を考えて、何を感じているのか分からなかったのだ。


それは感覚がないと言う意味ではなく、今胸元を渦巻く感情が、あまりにもごちゃごちゃとし過ぎて、整理がついていないという意味だ。

……いや、そもそも自分の感情というものに対して、ここまで注目している事自体が、初めてなのかもしれない。


ひょっとすると、私は今まで自分自身と向き合ってきていなかったのだろうか?

もしかして、岬生の生い立ちを知った今、私がすべき事はそれなのではないか?


私は今、どう思っている?

岬生の生い立ちを聞いて、何を感じた?

私は岬生の事を、どう思っている?

気付けば頬を伝っている涙は、一体何を意味しているのか?


ぐちゃぐちゃと考え続けているうちに、火葬の時間になっていた。

岬生の遺体が、真っ白な棺桶と共に運ばれて行く。


それを見た刹那、私は自身の認知が追いつく前に立ち上がった。

参列者が一斉に私に注目していたが、不思議と気にならなかった。



そして、想いを大声で吐露する。

泣きながら、叫びながら、それでも確かに。






「みさ、き……! 好きだよ」






今にもはち切れんばかりに無理矢理詰め込んで封じ込めていた蓋が、ついに耐えきれず勢いよく中身が飛び出したように言葉と涙が溢れ出た。



「好き、だった……! ずっと、ずっと、あんた、だけ……! あの時から、今までずっと……!」



少しずつ移動されて行く棺桶に向かって、叫び続けた。

今まで素直になれなかった本当の気持ちに、やっと気付いたのだ。




「何を犠牲にしても、岬生の事だけ見てた!!」




遅すぎる事は分かっている。




「っ……たとえ、あんたが、あの時、あたしのことなんて、みて……なかったとしても……! あたしは……あたしは……っ」





それでも、言わずにはいられなかった。












「幸せだった……!」





この世界には、私の声に構わず去って行く岬生と、私だけしかいないかのように感じた。

もう、何も聞こえなかった。

聞こえるのは、今まで無視され続けていた自分自身の声だけだった。





「岬生っ、みさき! ……付き合えて、良かった……! 待って……! ねぇ、岬生、岬生っ……!」






火葬場へと向かう岬生を、必死で追いかけた。

何かに腕を抑えれ、動けなくなっても、とにかく腰を折って前へ叫んだ。









お願い、届け!













「ありがとう……!!」








この世から、岬生の存在が、消えていく瞬間が見えたような気がした。

自然と零れていく涙は、悲しくもすっきりとしたものだった。



そうだ、答えなんて本当は全部、最初から分かっていたんだ。











「叫んでしまって、すみませんでした」



告別式が終わってすぐ、私は束沙の両親に頭を下げた。

我ながら、何て事をしてしまったんだろう。

すごく恥ずかしい事を、平気でしていたと今更ながら気付き、自己嫌悪に支配される。


しかし、束沙のお父さんは私の頭にぽん、と優しく手を置いた。


「あいつを、そこまで想ってくれてる人がいると知れて嬉しいよ。ありがとう」


あたたかな手のひらと言葉に涙が溢れた。

ダメだな、まだ簡単に泣いちゃうよ。

それに、私には……



「ありがとうなんて、言われる事は……だって私は束沙を……」



そう言いかけた瞬間、束沙が私の手を両手で包んだ。


それから首を振って



「私からも……ありがとう」



そう言って涙を零した。

泣きながらもすっきりとしている束沙の笑顔に、安心した。










岬生の告別式の翌日。



今日は仕事が休みだった。

自分のベッドからのそのそと起き上がり、スマホを探していると、ふと、部屋に綺麗な朝陽が射し込んでいる事に気付いた。



松野岬生という存在が、私の中ではっきりと「過去」になった事を感じた。

今まではずっと、何かに対する苛立ちや虚しさが募っていた気がするが、今日はそれがなかった。


忘れるというのは、ずっと、自分の中から、何もかも綺麗さっぱり消えて、もう考える事すら無くなる事だと思っていた。

でも違った。




そうか、これが「忘れる」という感覚なのか。




私が長年求め続けていたそれとは違うけれど、思っていたよりもずっと、ずっと心地いい。


私の過去は、どう足掻いたって消えない。

無かった事にはならない。

それでいいんだ、きっと。





だって、過去なんか変えられなくても、次のこの瞬間はいつだって変えられる。


私に残されている時間は、案外たっぷりあったのだ。





私はようやく見つけたスマホを取り出すと、いつになく緊張しながら電話を掛けた。





「……もしもし、明春? あのねーー」

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