第16話 Victim mentality 5:飯田 果葉子の親友

突然ポケットが震えた。

その根源であるスマホを取り出すと画面には「吏沙」と表示されていた。


胸騒ぎがした。

吏沙が私に電話を掛けてくるなんて滅多にない。

LINEが飛んでくる事はしょっちゅうあるけれど。


やや不安に思いつつも画面に表示された赤い受話器のマークに触れた。



「……もしもし? つか」

「果葉子! ごめ……いま、どこにいる……?」


非常に切羽詰まった様子で居場所を尋ねられた。


「な、何……!? 今は、モール近くの公園にい……」

「そうなの!? じ、じゃあ、できれば、その……直接会って話したい。そっち、行ってもいいかな……?……っ」


またしてもやや食い気味に言われ、とっさに「うん」と答えた。

嗚咽のような声も聞こえた気がした。

胸元に嫌な重さを感じた。


「つか……どこにいるの?」

「あたしも、その近くにいるの。ごめん、すぐ行くから!」


そう聞こえた瞬間、ツー、ツー、と電話が切れた音が頭に響いた。

酷く嫌な予感がする。

吏沙はこんな一方的なコミュニケーションの取り方を絶対にしない子なのに。


少し冷や汗をかきながら私はとりあえず明春と栗村さんの元へ戻った。

私が焦っている事に勘付いたのか、明春が心配そうに駆け寄ってきた。


「どうした?」

「束沙がなんか……急に電話してきて。なんか、よくわかんないけど今からここに来るんだって」


そう言いながら痛む胸元を左手で押さえつけた。

強い不安感に立っている事さえしんどくて、しゃがみこんでしまいそうになるのをなんとか堪えた。


程なくして公園の入り口から走ってくる人影が見えた。


「果葉子っ……!」

「吏沙!」


息を切らしながら肩を震わせている吏沙は本当にすぐに来た。

顔を上げようとしない吏沙の左の手の甲が濡れているのが見えた。



「吏沙……!? 何、どうしたの、何で泣いて」

「み、岬生が…………!」



「岬生」というワードに思わず反応してしまう。


「岬生!? 岬生に何があったの?」


すぐさま吏沙に聞いてみた。

吏沙はようやく顔を上げた。

吏沙は涙でぐちゃぐちゃの顔で、嗚咽を上げながらやっとの事で答えた。






「交通事故に……あった……!」




























…………………………………えっ?



なに、何、なに、なに、なに、え、あ……へ?




どういう……こと……!?

なにが、なにが起きているの?

岬生が……? 交通事故……?

岬生って、あの岬生だよね? 松野岬生だよね。

あんなに近くに、いたのにもうどこに居るのかさえわからなかったのに、今それを束沙は何で、え、岬生は、死んだの? どういう事、やだ、嘘だ。



「病院に、搬送されて……せんせい、診てくれてて……けど、助かる見込みが……少ないって……!」



整理がついていない頭のまま、零れ落ちていくように発せられている束沙の言葉を拾った。

束沙がこんなにも動揺しているのを見るのは初めてだ。


でもなんで……?


束沙が岬生の事で動揺する理由が分からない。

どちらかというと、彼女は岬生を恨んでいたのではないのか?

混乱した心情の中、どこかで冷静に彼女を分析している自分をぼんやりと見つめていた。

まだ事実を認められなかっただけだったのかもしれない。



「連絡があった時……っ、何か、分かんない、けど……果葉子に、会わないと……うっ、いけないって………っ、そう思って……!」


地面に向かっているはずの嗚咽交じりの言葉は、私の目を射抜いた。


言葉に表せない。

けれど、今私は、何かしなければいけない。

だが、どうすればいいのだろう。


中学生、初めての彼氏、岬生、連絡をずっと取らなかった、早く忘れたかった、交通事故、未だに好きな人、今までで一番最低で最悪の恋だった岬生との思い出が断片的な単語となって脳裏を過ぎっていった。


それが何か分からないまま、何も言えないまま、束沙の次の言葉を待った。












「ごめん、おねがい……病院まで、一緒に……来てくれないかな……?」



そう言った束沙はようやく顔を上げた。

涙でぐちゃぐちゃになった表情から繋ぎ止めるように捧げられた祈りが、堪え難い焦燥感と共に全身を駆け巡った。


動揺している束沙の目は、それでも私をしっかり捉えていて、何だか泣きそうになった。

受け入れがたい現実が事実であるという事を、如実に知らしめてくるようで、とても怖かった。



突如肩にふわりと落ちてきた手のひらの温もりで目が覚めた。

自分の呼吸が酷く荒くなっていた事に今気がついた。



そうだ、行かなきゃ。







震えの止まらない手を明春に引っ張られながら、ただひたすら束沙の後を追った。


息をしている事さえ忘れていた。

頭の中は岬生の事でいっぱいだった。

苦しいよ、嫌だよ。

あぁもう、何でどうでも良い人にならないんだろう。

結論なんてとっくに出ている疑問が湧いては消えていくというのをひたすら繰り返していた。


病院は公園から案外近い場所にあった。

この近辺では一番大きい唯一の総合病院だった。


「すみません! 松野岬生の病室は……」


束沙が病院の受付で岬生の名前を呼んでいた。

その声を聞いても、まだ実感が湧かなかった。


「……りました、ありがとうございます!」


病室の番号を聞いたらしい束沙は、すぐにでも走りだしそうな勢いで、受付からほんの少しだけ離れた場所で待っていた私達の元へ戻ってきた。

案内された病室へ出来るだけ急いで向かった。


案内された病室のドアの前に着くや否や、束沙はそのドアを勢いよく開いた。


「岬生っ!」


岬生の名前を呼んだ束沙の大声をぼんやりと聞いた。

明春に背中を押され、ようやく我に返った私は急いで岬生の元へ駆け寄った。


頭と右手に何重にも包帯を巻き、両足を垂直方向に釣り上げられた傷だらけの岬生が、ベッドの上で大小様々な管に繋がれて眠っていた。

岬生の周りには医者と2人の看護師がいて治療にあたっていた。


1人の看護師の横にあるモニターには、岬生のバイタルが60、55、61、53……と絶えず数字を変えながらピッピッという機械音と共に表示されていた。

やけにリアルな光景に、いよいよ岬生が交通事故に遭った事を認めざるを得なくなった。


「先生っ! 岬生は……」

「手は尽くしました。後は本人の回復力次第ですが、随分と損傷が激しい……特に脳へのダメージは相当のもの……。今が山でしょう」

「……っ、そん、な……! み、みさ……き……っ」


束沙の涙声が脳髄に響いた。


「岬生っ!」

私も絶えきれず涙を零しながら叫んだ。



「お願い……! 死ぬなんて、嘘だよね……? あんたがこんなとこで死ぬ訳、ないよね……!? そうでしょう!? ねぇ、岬生、岬生!? なんで、なんで返事しないのよ!!」


思いがそのまま声になるように病室のベッドで眠ったままの岬生に叫び続けた。


「果葉子……っ、岬生、岬生! お願い、返事して……」



私達の叫びも虚しくどんどん下がっていくバイタル数に、自分の心臓が止まりそうだった。



「岬生っ! …………………っ!」







…………………………………



ピッピッ……ピッ



…………………………………




ピッ……ピッ



…………………………………






ピッ……ピッ……………










ピッ……ピーーーーーーーーーーーーー











「あっ……? ……あああああ……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



真っ直ぐとした機械音が病室に響き渡るとほぼ同時に束沙が崩れ落ちて泣き叫んだ。


傷だらけでボロボロの岬生が看護師達に看取られていく目の前の光景が信じる事ができず、呆然と立ち尽くした。

明春は唇を噛み締めながら私の背中をずっと摩っていた。




「……みさ、き……? うそ、だよね……そんな……そんな……っ」



ぽつり、ぽつりと言葉が涙と共に零れ落ちていった。



こんなのは嘘だ。

いかないで。

嫌だ、嫌だよ。

ついさっきまで生きていた岬生が、これから徐々に熱を失っていくなんて。




「うっ……うあああああん、あああぁぁぁぁぁ、っうっ、ああああああああああああ……!」

「つ、つかさ……」


岬生のベッドのすぐそばで膝を折って崩れたまま、子供のように泣きじゃくる束沙の声を聞いて、少し冷静になった。





岬生が死んだ。

信じられない。

信じたくない。

だけど。

束沙がここまで尋常じゃない泣き方をする理由が見つからなかった。


疑念と心配の間で揺れながら、私は岬生の左手をギュッと握っている束沙の両手に自分の左手のひらをそっと重ねた。


すると、束沙はようやく顔を上げてこちらを見た。

大きく八の字に歪められた顔は、視点が定まらないながらも確かに私を捉えていた。



「か、果葉子……げほっ、げほっ……ご……ごめんね」

「えっ……?」


咳き込みながら許しを乞う束沙に対して、思わず聞き返した。

謝られる意味が分からなかった。



「ずっと……果葉子に……いや、みんなに……隠してたことがある……っ」



ドクンッ。


大きく鳴った心音と共に、形容しがたい不安感が私を襲った。




「岬生は……岬生は……っ」




止めどなく溢れてくる涙を指で拭いながら束沙は絞り出すように言葉を吐いた。










「私の……大切な、弟なんだ」

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