第14話 Victim mentality 4:飯田 果葉子の自覚

店の外で響いた奇声は、多分男の声だった。

聞き覚えのある声の主を頭の中で探し出そうとした直後、次は女の悲鳴が聞こえた。


多分、栗村さんの声だ。


会計を明春に任せ、急いで店外へ出ると、10メートルほど先で栗村さんが膝をついて泣き叫んでいた。



「まって! ……ちがっ、違う、違う違う違う違う、ちがう、ちがうちがうちがうだから、ちがうちがうちがうって……あっ……」



栗村さんが手を伸ばす先を見ると、派手な色のつなぎを着た赤髪の男がショッピングモールの出口へ繋がるエスカレーターへとちょうど走り去って行くところだった。

恐らく、いや絶対に赤城涼太だ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


再び大声で奇声をあげながら号泣し出した栗村さんを、周囲の人が、興味なんてない癖に注目していた。



「何で……?」



赤城が走り去った後を、ぼんやりと眺めていると、ようやく会計が済んだらしい明春が私と並んだ。


「は? お、おい、何だ、何があった」

間髪入れず聞いてくる明春の様子に釣られ、気持ちが焦りつつも首を振った。

「けど、今赤城が走ってどっかに行った」

「は? 何でだよ!?」

「だから分かんないっつってんでしょ! ……あ、でも……」


叫んだ反動で少しだけ冷静になった頭に浮かんだ一つの可能性に目を開く。


つい先程、店の外で上がっていた奇声だ。


本当にそれがキッカケなのかどうかは分からない。

何の関係もないかもしれない。

だけど、今はほんの少しだけでも、情報がいるだろう。


「さっき……店の外で、聞こえた声。アレ……」


必死に記憶を漁り、辿り着いた答えに確信を持って言った。



「岬生に似てた」



そう言った次の瞬間に、今度は明春が走り出した。


「は!? ちょ、ちょ、待ってよ!!」


慌てて走り出したが、すぐ先の栗村さんの所で明春が止まっていた。

勢いよく走らせた足を止める事が出来ず、そのまま明春の背中と衝突してしまった。


「ってぇ!!」

「き、急に止まらないでよ!!」

「え? 俺のせいなの?」


あぁもう何もかも全部、明春のせいでいいよ。

八つ当たりだとは分かっていたが、今は明春を気にかけている場合ではない。


錯乱状態の栗村さんの元に駆け寄る。

栗村さんは泣きながら、尚も理解不能な声をあげ続けていた。


正直、私はたった2個下の彼女に恐怖を感じた。

この子は異常だ。

公共の、それも徐々に野次馬が集まりつつあるこの状況下で、訳の分からない事を叫び続けるなんて。


理由も不明瞭だ。

つい先程までは普通だったはずだ。

一体、何があったというのだろう。


このまま放っておく訳にはいかないが、何と声を掛ければ良いのか分からず動けない私を尻目に、明春は荒れている栗村さんに近寄ると、躊躇なく肩を掴んで揺さぶった。


「夢月! しっかりしろ!」

「うっあああ」

「おい、大丈夫か!?」


明春に揺す振られ、栗村さんの上半身が勢いよく前後にぶんぶんと揺れていた。

流石に心配になって止めに入ろうとしたその時、栗村さんの虚ろな目の焦点がようやく合った気がした。


「せおっ……ああああああああああ」


「せお」というようやく理解できる言葉が栗村さんから飛び出したが、すぐに崩れ始めた。

栗村さんの瞳からは声と一致していない涙がただひたすらに流れていた。


明春は栗村さんを揺す振るのを止めると、背中をゆっくり撫でた。

子どもをあやす親のような慈悲深さを孕んだその行為が、さも当然のように行われている事自体に恐怖を覚える。


怖い。怖い。

栗村さんが、怖い。


明春に背中を撫でられ、ようやく落ち着き始めた栗村さんは、まだ荒い声でそれでも少しずつ事情を話し始めた。


「死ね、死ねって! あ、せ、せきじょうくん、に」

「大丈夫だ、落ち着け」

「何が大丈夫なんだよっ!!」

「……悪い」


栗村さんの理不尽極まりないと思われる発言にも、一切反論しない明春をただ眺めていた。

沈黙が流れた。

栗村さんが、叫ばない程度には落ち着いてきたせいか、身勝手な野次馬達は、徐々に姿を消していった。


しばらくして、呼吸の速さがだいぶ通常のそれに戻り始めてきた栗村さんの様子を見た明春は、ようやく私達をベンチへ誘導した。

栗村さんも大人しくそれに従い、私達は3人でベンチに並んで座った。

周囲にいる名前の知らない人達は、もうただの買い物客だ。



「なぁ、何があった。」



口火を切った明春に、ファミレスの時の様な焦りと頼り無さはどこにも無かった。

こんな奴だったのかしら。

私が今まで知らなかっただけ? それとも……



「………うえっ……っ、い、ま、……松野の……声がした……!」


考え始めた脳髄は栗村さんの「松野」というワードに全てが支配された。


やっぱり、あの声は岬生だ。

それを栗村さんも聞いていたんだ。

でも、それが錯乱状態に陥った経緯とは結び付かない。


「……あぁ、そういうことか」


私とは裏腹に全てが繋がったらしい明春の独り言を目で追った。

それに気付いた明春は栗村さんの背中を落ち着かせるように撫でながら口を開いた。




「夢月は昔……いじめられてたんだ。その"松野岬生"って奴に」



その瞬間、私は言葉を失った。

いじめ……!? 岬生が、栗村さんを……!?


「服とかドロドロにされたり、カバンも荷物もグチャグチャにされたり……色々な」

「あぅ、ぐ、い、……う、な……っ!」


栗村さんのくぐもった奇声に耳を貸すことなく明春は悔やむような声で栗村さんと岬生の関係を語った。

胸を切り裂くような衝撃が頭まで抜けていった。



私は……今までずっと勘違いをしていたのか。

無知から生まれた感情論を、本気で信じていた。

その感情論に付き従う以外、選択肢なんてなかった。

いや、ないと思っていただけか。


信じていなかった。

栗村さんの事も、明春の事も、誰の事も。

もしかして自分が可愛いだけだったのだろうか?


今まで栗村さんに、酷い事をいっぱい言った。

睨みつけた。

勝手に復讐して、勝手に良い気になっていた。

自分のしてきた事全てが、罪悪感となって私を押し潰した。

あぁ、本当に、とんでもない事をしてしまった。



岬生の隣にいたあの女は、私の人生をことごとく邪魔してきたあの女は、栗村夢月ではなかったのだ。





謝らなきゃ。



「ごめん明春、栗村さんと話したい。ちょっとだけ二人きりにしてくれないかな?」



そう言うと、栗村さんと明春が体をビクつかせてて私を見た。

そろそろ想像のつく展開だけれど、何で明春の方がいいリアクションなのよ。


「えっあ、だ、大丈夫か?」


明春が焦ったように聞いてくる。

明春の心底不安そうな顔に、信用されていない事への不満よりも先に、自分自身の日頃の行いへの悔いを感じた事に驚いていた。


私は、自責の念に苛まれて凝り固まった顔を、無理矢理縦に振った。

少し間を置いてから、明春が栗村さんを見た。

栗村さんはいつも通り無表情で、何を考えているのか分からなかったけれど、そこに拒絶の念が含まれていない事だけは分かった。






栗村さんの希望で、私達はショッピングモールから程近い公園に移動した。

公園になんて来たの久しぶりだな。


木陰の下にあるベンチに腰掛けて、隣に栗村さんを呼んだ。

終始黙ったままの栗村さんは、何の抵抗感もなく言われるがまま座った。


栗村さんと本格的に二人きりになるのは、これが初めてだった。

妙な緊張感と不安を形容するかのように、木陰が揺れた。


一言目をどうすればいいのか分からない。

今日は残念だったね、は嫌味っぽいな。無神経にも程がある。

いきなり自分の事を言い始めるのも違うし。

かと言って、それ以外に言う事ないし。


迷っているうちに、妙な視線を感じて栗村さんの方を見ると、半開きの虚ろな目がじっとこちらを見ていた。


ほんの少し、背筋がゾワっとするのを感じたが、その目に浮かんでいるのは狂気ではなく、疑問と戸惑いのように感じた。多分、こういう風にものを見る子なのだろうと自分に言い聞かせて落ち着いた。

栗村さんはきっと、私の言葉を待っているのだ。



「あの、いきなりでごめんね」


そう言うと、栗村さんの薄く開かれた目がほんの少し大きくなった。

重たい気持ちを押し殺して私は漸く意を決した。

思い詰めていた最低な事を全部、素直に言うんだ。

言わなきゃいけない。



「私、ずっと……栗村さんを疑ってたの」


そう言って一呼吸置いた。

栗村さんの顔を見られなかった。


「中学の時ね、岬生……えっと、松野と付き合ってたの。私はずっと本気で好きだった。


だけどね、あいつはそうじゃなかった。

相手になんてされてなかった。遊ばれてた……」



喋りながら泣きそうになった。

せり上がってくる悔しさに耐えられなかった。



「っ……! 岬生は私と付き合いながら、他の女と、付き合ってた。そいつが、栗村さん、あなたにそっくりだったの」



余裕のある態度で、しかも私の目の前で、岬生とキスをしたあの女。

女に言われて「遊び」だと認め、開き直ったような顔をしていた岬生。

この事はきっと一生忘れられないのだろう。

憎らしくて仕方なかった。

岬生の事が。あの女の事はもっと、ずっと。


あの時の女が栗村夢月だと、ずっと思っていた。

それ以外はないと信じて疑わなかった。


「しかも明春も栗村さんと仲良いしさ、余計にいらいらしちゃって……それで栗村さんの事いっぱい睨んで、突っかかっちゃったの」


やっと気が付いた。

私はまだ岬生の事が好きなんだ。

そう思った瞬間から、もう涙を堪えることが出来なくなった。


あぁ、ダメだ。

人生で一番苦い思い出になっている岬生と別れたあの日から、今までずっと。

岬生の事なんて、もうとっくに嫌いになっていたと思っていたのに。


ずっとずっと忘れられなかった。

引きずっていた。


忘れられない事を、今の彼氏が忘れさせてくれない所為にしていた。

明春の所為にしていた。

恋は忘れるものではなく「忘れさせてくれるもの」だとずっと思っていた。

最低だ。最低だ。最低だ。

あぁ、本当に。



最低なのはずっと、私の方だったんだ。




「今日の事も、せ、赤城くんとくっついちゃえば、もう疑わなくて済むって……邪魔者が消えるって、そう思った。全部……あたしのっ、わがままだね」



本当今更だな。何もかもが……。

そう考えつつもここで全てを言わざるを得ないと思った。


涙がボロボロ溢れているのも構わず、栗村さんに向き直る。

恐らく岬生の一番の被害者であろう、彼女に。



「今まで、本当にごめん……! 全部、その……」


ここで言葉に詰まってしまった。

勢いで色々喋っていたけれど、どうしよう、何を言えば……。


その時突然、栗村さんがベンチから立ち上がった。

驚いて栗村さんの方を見た。


黒くて長い髪の毛がしなやかに弧を描くと、栗村さんの顔が私の正面を向いた。

逆光によって見えない感情を抱えたそれは、私の事をじっと見つめていた。

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