第12話 【原罪】

「元気にしているか?


俺はまだ元気で仕事もそれなりに上手くやっている。

母さんも元気だ。だから心配しなくてもいいぞ。

だがもう、あいつとは何年も会えていない。


あいつは現在消息不明だ。

俺も母さんも心配している。

今更かもしれない。

だが、今だからこそ、家族を見つめ直す必要があると思った。


とは言え、捜索願を既に出して数年音沙汰もない現在において、何をすれば良いのか分からないから、取り敢えず過去を振り返ろうと思い、こうして筆を取ってこの手紙を書いている。

知っての通り、俺は文章を組み立てるのが苦手だ。

お前が小さい頃に国語の面で力になれなかった事を申し訳ないと思っている。

だが、拙くとも嘘偽りなく書いていこうと思う。

この話が何らかの手がかりになれば幸いだ。





母さんとは一度別居している。

事の発端はあいつだった。


出張で一週間程家に帰らなかった事があった。

母さんが退院して数ヶ月が経ち、落ち着きつつあった頃だったと記憶している。

この頃は確か、祖父ちゃんと祖母ちゃんにも可愛がられていたお前は、祖父母の家に泊まる事もしばしばあった。

だか出張から帰ったこの日は、いつも通り笑顔で迎えてくれる母さんと少し成長してしっかりした(ように見える)お前が家にいた。

こうして我が家で我が子を見ると、やはり少しずつ父親としての自覚が湧いてきた。

妻と子を守る為に、俺も出来る事はやらなければならない。

そう思った。


毎日が必死だった。

そんな日々が1年程続いたある日の事だ、母さんが妊娠したのは。




生まれた赤ちゃんの性別は男の子だった。

俺は素直に喜んでいた。

これからますます忙しくなるな。父親として頑張らなければと意気込んでいた。


だが、そんな意気込みを感じたのも束の間だった。

とは言え、3年の月日が経過した頃だったと思う。

俺はDNA鑑定の結果を母さんに叩きつけて、家を出て行った。

あいつが成長すると共に感じた違和感が紛い物ではない事を、この紙切れが証明していた。


あいつは俺には似ていなかった。

母さんにも似ていなかった。

隔世遺伝である可能性も視野に入れたが、このような顔立ちの身内は存在しない。


そう、あいつは俺の子どもではなかったのだ。


母さんは他にも男を作ってやがった。

頭に来た。

母さんの訴えなどろくに耳を貸さなかった。

……恐らく、それがそもそもの間違いだった。




それから2年の月日が経ったある日の事。

どうしても、お前の顔が見たくて堪らなくなった。

あいつは違ったとしても、お前は間違いなく俺の子どもだ。


そうして情けなくもこっそりと家の近くまで来た時だった。

声が聞こえた。

正確には女性の悲鳴だった。

よく知った声だった。


急いでその声を追うと、狭い路地裏に行き着いた。

猫の溜まり場にでもなりそうな場所だったから俺の思い違いかと思ったが、次いで響いた悲鳴がその思いを掻き消した。

路地裏の奥に入り、右手の分かれ道を見遣った途端、目を見開いた。



知らない男が、母さんの髪を鷲掴んで引っ張っていたのだ。



気付けば俺は駆け出していた。


母さんと男を無理やり引き剥がした。

男は案外すんなりと剥がれると、俺を見下ろした。

『何してんだ、やめろ』

そう言って睨み付けると、男は何故か笑い出した。


『……………………』


男はこの時、何かを言っていた気がする。

だが、上手く聞き取れないまま、男はその場を去っていった。

母さんは泣いていた。

そして、震えながら膝を折った。




『なぁ、何があったんだ』

『……………………っ』

泣きじゃくる母さんの肩にそっと触れた。


母さんは息絶え絶えに、途切れ途切れに、だが正確に話し始めた。


俺はここでようやく"事実"を知った。


この事はお前もよく知っている話だろうからここでは割愛する。



『すまねぇ……悪かった』


俺は母さんを抱きしめて、静かに泣いた。

簡単に許される事では無いと分かってはいた。

母さんは俺をどれ程恨んだのだろう。

お前は俺をどれ程憎んだのだろう。

お前達に残した傷にこんな謝罪は見合わないだろう。

それでもこれ以外のやり方を見出せない俺は、尚も許しを乞う傲慢な心と浅はかさな自身の行動を呪った。


だが母さんはその刹那、こんな俺の背中に手を回し、泣きついた。


母さんの腕の中はとても温かく、俺はこんな温もりを自ら捨て去ってしまっていたのかと酷く後悔した。


許されたなんて思い上がっちゃいない。

母さんは、俺の罪を受け入れてくれたのだ。


だから俺もこの時、例え血が繋がっていなかろうがあいつは俺の子ども、家族だと受け入れた。

母さんと、罪なく生まれてきた俺の子ども達は、俺が必ず幸せにしてみせる。

そう強く誓った。


そんな想いを胸に秘めつつ、2年振りに戻ってきた我が家には、大きくなった俺の子ども達がいた。

成長の早さに感動するばかりで、息子が俺に対し、ほんの僅かに疑念を抱いていた事等、知る由もなかった。



それからは平和だった。

あの男は母さんの前に現れなかったし、子ども達もすくすくと育った。

きっと、母さんの育て方が上手いのだろう。

俺はただ、お前達が素直に真っ直ぐ育っていっている事が、嬉しくて仕方がなかった。


そんなある日の事だった。

お前はその日、学校で居残りしなきゃならず(理由は忘れたが。)家に帰るのが遅かったから、この話は知らないだろう。


その日、何故かあいつも帰るのが少し遅かった。


部屋のドアを荒々しくあけたあいつは、靴を玄関に放り出したまま敷居をまたぐと、ズカズカと廊下を歩いて自分の部屋へ行こうとしていた。

それをたまたま見かけた俺は、


『こら、靴を揃えなきゃだめだろ。』


と注意した。


ところがあいつはギロリと俺を睨むと、何も言わずその場から立ち去っていった。

あいつが誰かの呼びかけに対し、これほどあからさまに無視をするのは初めて見た。


『おい』


あいつの後を追いかけ肩に軽く触れた途端、ぐるんと振り回され腕を弾かれた。

様子がおかしい。


自室に行くのにリビングを通らなければならないあいつがリビングに差しかかった時、母さんがひどく驚いた顔付きになっていた事を覚えている。

後で聞いた話だが、その時のあいつは、まるで鬼のように憎悪が溢れ出したような形相だったらしい。


『ちょっと、何があったの』


母さんが心配してそう声を掛けた途端、小刻みに震えながらもギリギリの所で均衡を保っていた糸が切れた音がした。




『うっせぇよクソババァ!!』

『おいっ!』


間髪入れずに声を上げた。

だがそれは届いているのかいないのか、振り返ったあいつは顔を歪ませたまま、肩で息をしていた。


あいつは何も言わずに再度ギロリと俺達を睨み上げると、再び踵を返してそのままリビングを出て行ってしまった。


『一体どうしたんだよ……あいつ……』


あいつが去って行った跡を見やってから、振り返ると、母さんは口をあんぐりと開けたまま何も言えずにその場にただ立ち尽くしていた。


あまりにも強い嫌悪感と拒絶に、一瞬声を出すという事を忘れているかのような母さんに、俺も何も言えずにその場から動けなくなった。




それから数日経った日、夜遅くに仕事から帰ると母さんがばたばたと走って迎えにきた。

普段は迎えに来ない母さんの姿を見て、不穏な空気を感じつつ靴べらを手に取った。

靴を脱ぎながらちらりと母さんの方を見やった時、ふと母さんが手にしていた物に目が止まった。


『何だ? それ……』


それは所々鉛筆とマーカーの跡で黒く汚れた学習帳だった。

母さんの指の隙間からマーカーで書かれた平仮名がちらりと見えた。


「にっきちょう」と読めた。


すると母さんはノートを俺の背中に押し付けて突如崩れ落ちた。


『お、おい。大丈夫……』

『あなた、どうしよう……あの子が……事実を……全てを、知ってしまったわ……!』


母さんはぐちゃぐちゃの顔で震えながら俺に縋り付いた。

押し付けられたノートにそっと触れて受け取ると、徐に開いた。


そこにはあいつが経験したと見られる驚愕の事実が切実に示されていた。


震える母さんの肩を背中を撫でながら、俺はノートを食い入るように見つめた。



この時、俺達は思い知った。



子どもが生まれるには"感情"など関係ないという事を。

例え産む側の人間が、どれほど"ほしい"と願ったとしても、"いらない"と願ったとしても。


それでもそうして生まれてきた子どもに、罪はないのだ。

境遇を選べない事が、彼らの免罪符なのだと、そんな事を考えてしまう自分の罪深さに失望した。


あぁ、どうして。

人は皆、罪を持たぬ事を許されて生まれてきたはずなのに、自分の罪の重たさに、こうして涙を流すのだろう。


生まれてくる子どもに罪はない。

歩んできた道にばら蒔いた夢が、罪を産むのだ。


この罪は重い。

あいつが今辛い思いをしているのは、俺のせいだ。


『母さん……あいつを、これ以上傷付けてはいけない。思い出させないように、なるべく、普通にしていよう』


俺は決断するようにそう言った。

半分以上は自分に言い聞かせていた。

母さんは涙を拭く間も無く顔を上げると、何度も何度も頷いた。




これが、お前に話していなかった出来事の全てだ。

上手く伝わっているか分からないが、最初に書いた通り、何らかの手がかりになれば幸いだ。


それから、あいつの日記帳も一緒に同封した。

お前にも見て欲しい。


何か少しでも分かった事があれば教えて欲しい。

連絡を待っている」







手紙に記されている通り、届いた封筒には古びたノートも同封されていた。

ノートを開こうとしたその刹那、ドアの鍵が緩む音がした。

心の端っこで再生され始めていた過去は、足音と共に流れてきた日常に紛れ、気付いた時には霞んで消えていた。

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