第9話 Enervation3:栗村 夢月の思考

ガサッと靴と砂が擦れた音がした。

思わずビクついて、身を縮こめて顔をうずめた。



「おい、大丈夫かよ?」




聞き慣れた声にさらにビクつき、恐る恐る顔を上げると、瀬尾がいた。

瀬尾はキョトンとしたような間抜けな顔で、私の顔を覗き込んで手を差し伸べていた。



……何こいつ、今更何しに来たんだよ。

昔はよく一緒にいたが、ここの所はほとんど喋っていなかった。


数少ない知人に、瀬尾に、イジメられてるなんて事実を知られたくなかった。



「……うわ、ねーわー。お前に助けられるとか毛程も嬉しくねーわー」



思った事をそのまま言うと、瀬尾が頭に「?」をいっぱい浮かべたような顔をした。実に分かりやすい奴だ。

本当お前は良いよな、単純で。

昔から何にも変わっていない。

私もお前みたいになりたかった。


そんな瀬尾は呆れたようにため息をつくと、周りを見渡し、私のボロボロの荷物達を見た。


「お前、どうしたんだよそれ! やべぇじゃん! すぐに買いに行こうぜ」


瀬尾は無様な鞄を指差して叫んだ。

私が通っていた中学は比較的校則の緩い学校で、鞄や靴下等は自由だった。


瀬尾は鞄を指差していた手で私の腕を突然掴んで引っ張り上げた。

そのせいで何故か立ち上がる羽目になった上に、押さえつけられた箇所についた傷が痛んだ。


思わず顔をしかめると、瀬尾はそんな様子に気付いたのかすぐ手を離し、


「ごめんっ!」


そう謝った。

変な奴。

私なんかに謝るんだ。へー。


つーか、こんな風に誰かとちゃんとした会話をしたの、久しぶりだな。

何言えばいいのか分からない。

喋りたくないんだけど。


そう思いつつもゴミ倉庫を出て歩き出した瀬尾の後をついて行くと、瀬尾が突然振り返り、


「ちょっとだけ教室寄っていいか?」

と一言私に言った。

だが返事は求めていなかったのか、瀬尾はまたすぐに前を向きなおし、校舎の方にずんずん歩いて行った。

教室に寄るもクソもねぇだろ。まだ3限目までしか終わってねぇよ。


「授業は?」


思わずそう聞くと、


「今日はいいよ、もう」

瀬尾は振り返りもせず答えた。


うぜぇ。

何がいいんだよ。

お前の言ってること、さっきから全然わかんねぇよ。バーカ。


よく分からないまま瀬尾の後をついて行くと、瀬尾のクラスである1-4の教室に辿り着いた。

瀬尾は教室の引き戸を勢いよく開けると、また勢いよく閉めた。

いちいち騒がしい奴だな。

1-4が私の教室より一つ手前の教室である事に若干安堵しつつ、引き戸の向かいに座り込みながら瀬尾を待った。


人の視線が怖かった。


荷物も自分も真っ黒に汚れてボロボロなのは私だけだった。

私だけ他の人と違うのは今に始まった事じゃないから別に良いけど、ここまで目に見えて人と違うと、注目を集めてしまう。


いやだ、早く立ち去りたい。

何で瀬尾を待たなければならないのだろう。

つーか、この後何すんの? どうすんの?

わかんねぇし、いいや、帰るか。


そう思って立ち上がった瞬間、瀬尾が引き戸を開けた。

空気読めよな……本当。


「お待たせ。行くぞ」


そう言うと瀬尾はまたずんずん出口に向かって歩き始めた。

瀬尾と違って空気の読める私(自称)は、仕方なく瀬尾の後をまた着いて行った。







学校を出て(無断早退……つまりサボりだ。)向かった先は、近所のショッピングセンターだった。


……鞄買いに行くってアレ、本気で言ってたのか?

いきなり過ぎだろ。

コイツ頭おかしいんじゃねぇの?


そんな瀬尾への罵倒を飲み込み、うつむきながら瀬尾のすぐ後ろを黙って歩いていると、不意に瀬尾が立ち止まり、そして振り返った。

下を向いていた私は瀬尾の動きについて行けず、瀬尾の腕に顔をぶつけてしまった。



「ばっ、いきなり振り返んなよ」

軽く打った鼻を抑えながら瀬尾に抗議した。

「……ごめんて。あのさ」


瀬尾が不服そうな表情を浮かべた事に見て見ぬ振りをしながら、次の言葉を待った。





「学校の鞄、どんなのがいい?」










瀬尾の問いかけを理解するのに数秒を要した。



どんなの……? 何それ。

私が持つ鞄、のこと、だよな。

何でそんなこと聞くんだろう。













「………………………………………なんでもいい」



低く小さな声でそう答えた。

……そう答えるのが精一杯だった。



どうせ汚れる。

所詮私が持つ物だ。

私の物に価値はない。

そうさっき、諦めたんだ。


だから……。



想いは声にならないまま、ただ俯向く私に瀬尾は何も声を掛けなかった。






瀬尾と二人、黙ったまま気まずく歩いていた時にふと目についたスクールバッグを指差した。

自分の物なんて悩むだけ無駄だ。

そう強く思った。



瀬尾は何も問わずに頷くと、私が指差した鞄を手に取り、レジへ進んだ。


鞄を買った後、私達はすぐにショッピングセンターを出た。

家路を辿る最中、私と瀬尾はやはり何も喋らず、黙ったまま別れた。






家に帰り、親の目のつくリビングを素通りして自分の部屋へ向かった。


部屋に着くと、今日買ったばかりのスクールバッグを部屋の隅に放り投げた。

そして勢いよくタンスを開けると、中に入ってるTシャツやらズボンやらを次々と引っ掴み、床に叩き付けた。

飽きもせずずっとタンスの中身をほじくり続けていると、やがて、タンスはもぬけの殻になった。

部屋は汚い自分の服で溢れ返っていて、それを見た瞬間に吐き気がした。


気持ち悪い。


なんで、こんな、こんな自分なんかが、服をたくさん持っているのだろう。





いらない。


いらない。


いらない。


いらない。


いらない。


いらない。








全部、いらない。




学校の埃やら塵やら靴裏やらで汚れた制服を乱雑に脱ぎ捨て、のそのそと這い寄り、部屋のドアをゆっくりと開けた。


私の部屋から右に少しだけ歩くと、母の部屋がある。

母の部屋に無断で進入し、着れそうな服を漁った。

いや、正確にはタンスの一番上にあるものを引っ掴んだ。


服であればなんでもよかった。


適当に盗み出したよく分からない柄のTシャツはレディースのLサイズだったようで、中学生の私にはまだ少し大きく、ワンピースのように裾が膝のすぐ上辺りまできていた。



ラッキー。これでズボンまでは探さずに済んだ。



そろりそろりと部屋に戻り、今度は収納棚を開けると、また中身を次々に床へ出していった。



もう、自分の物なんて何にもいらない。

何もかも全部、捨ててやる。


服も本も文集もアルバムも昔から家にあるおもちゃもCDも、全部。全部。


一通り自分の物を全部出した後、床に散らかったガラクタ達を見つめ、ため息をこぼした。


致し方なくリビングへ向かい、ゴミ袋を一パック(この単位であってんのかな。どうでもいいけど)掴むと、部屋に戻った。


リビングには母親も父親もいたが、何も言わなかった。


そういう親なのだ、昔から。


私のやる事に対し何も言わない。

突っ込まない。

私が急に母親のTシャツ1枚しか着ていない状態になっていても。

ゴミ袋を黙って堂々と持ち出しても。

怒る事も咎めるしない。

無関心なのだ。



部屋に戻ると、早速持ち出したゴミ袋を取り出して、散乱しているかつての私物達をひたすら詰めていった。

粗方片付けてから、辺りを見渡してみた。

驚いた。


自分の部屋はこんなにも広かったのか。


大きな家具以外のほとんど全部の物をゴミ袋に詰めて端によけた部屋は、あまりにも殺風景だった。


想像していた空間と違った。

汚い物がなくなれば、部屋が綺麗になるわけではないのか。


突然、何もない床に水が垂れた。







私が、泣いていたのだ。



「うぅ……っ!……ぐずっ、ひっく……ひっく……」





泣いている事を自覚した途端に止まらなくなってしまった涙は、嗚咽とともに吐き出され、部屋にどんどんと溜まっていった。



私は嗚咽を上げながらゴミ袋の端を破ると、中に入っていた大きなぬいぐるみを部屋に放り出した。

先程まとめたばかりのゴミ袋の中から次々とぬいぐるみだけを部屋に戻していった。




もう嫌だ、死にたい。


私はクズだ。

無様だ。

価値のない人間だ。

どうしようもない、人間だ。


何もかも捨ててやると言っておきながら、ぬいぐるみ一つ捨てられない。

死ねばいいのに、栗村夢月なんて。



これが、私のかつての日常。

他人にも自分にも存在を肯定されない、ただ息を吸って吐いているだけの二酸化炭素製造機だ。


……なんだ、別に今と大して変わりないな。



常に死にたいと思っていた。

あの時も、今もだ。

だけど、松野の思惑通り勝手に死ぬのは悔しかった。

それだけだった。



それだけの為に生きてきた。





あの時と今の違うところといえば、イジメがなくなった事と、ぬいぐるみが増え(ほとんどUFOキャッチャーの景品だ)、部屋を圧迫しているぐらい事ぐらいだ。

イジメがあろうとなかろうと、私が生きづらいのには変わりない。


でも別にいいよ。もう。

それぐらいでいい。

栗村夢月の人生なんて、その程度のもので充分なのだ。

もういっその事、ぬいぐるみ達に押し潰されて窒息死したい。


……うわー、具体的。


でも、そんな死に方が可能ならば、どれだけ幸せだろう。

でも栗村夢月が幸せなんて感じてもいいのだろうか。




はぁー、もういい。もういいよね。

これ以上昔の事なんて思い出したくない。

つーか本当、栗村夢月の人生なんて今も昔も良い事ないよね。



なーんか思い出話みたいになっちゃった。

良い思い出なんて無いくせに。死にたい。

まぁ近い内に死んで、この話は走馬灯だったって事にでもすればいいよね。



そんな事を考えていたら、家のチャイムが鳴った。

そういえば、今日は瀬尾が家に来る日だ。

……そもそもこの家に瀬尾以外の人間は来ないな。少なくとも私目的では。








ドアを開けると瀬尾が土下座していた。



そして大きな声でひとこと。






「お願いします! デートしてください!!」










間。











何言ってんだ、コイツ。



酒が入ってるらしい瀬尾は、我に返ったのか突然ドギマギし始めた。


というかいつの間にか瀬尾の横に知らない女が立っていた。

誰だ、名を名乗れよ。





その知らない女は私の想いを無視して名乗らずによく分からない何かを喋り出した。

私自身に興味が無い為か、誰に何を喋っているのか全く理解出来なかった。


そうこうしているうちに、宇宙語を語る女が突然瀬尾の腕を掴んだ。

何かもう、よく分かんない。


けどとりあえず女が瀬尾の顔を引き寄せてるのは分かった。



そのまま、私の思考回路を置いて、





知らない女が、瀬尾とキスをした。
































でっていう。

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