「執書」

 俺は真面目に生きてきた。

 できるだけ人に優しく、規則を守り、生きてきた。人間関係は良く、生活に不満も不自由もなく、余裕があり、およそ関わるほとんどの人間には優しく接することができたと自負している。

 だがそんな俺にも嫌いな人間がいた。彼らは一度か二度、顔をあわせた程度の、その程度の知り合いである。挨拶した事があるかも、記憶に怪しい。ほとんど彼らの事情は知らないが、とにかく、何故か俺は彼らがいやであった。

 ふと気付けば、彼らが不幸になることを願っているのだ。噂で病気になった、事故に遭ったなどと聞けば心の中で笑み、それが快方に向かえば気が悪くなった。

 どうしてこのような気持ちがあるのか、自身に問い掛けても、答えは出ない。何か危害を加えられた覚えもなく、やはりその関係は幾度考え直しても、ただの顔見知り以上のものではなかった。

 だがしかし、どうしてか、彼らが失墜し、地を這い、泥水をすするような生活を送ることを想像し、心に安らぎを得ている。

 その感情は憎悪のように禍々しく黒光りし人を狂わすようなものではなく、俺を呑み込んでしまうような大きな感情の奔流では決してなく、何度振り払っても気がつけば周囲にある、モヤのようであった。どうしようもないしつこさから、俺はそれを「しゅう」と名付けた。

「執」は消えない。失せろ失せろと念じてもその存在感は薄まらず、忘れたかと思えば次の瞬間には胸の中にある。

 天井のシミのように、鬱陶しく、目障りで、しかし気付けば常に視界の隅にあるのだ。

 過ぎていく日々の中、幾重に苦労と幸福を積み重ねていっても「執」は絶対に失われない。

 俺は遂に気付いてしまう。これをなんとしてでも消し去らなければ、この先、曇りのない、清々しい未来は永劫に訪れないだろうと。

 このようなわけのわからないモノをずっと気にして生きるなどと、そんなことは我慢ならなかった。

 俺は「執」の原因が何かを突き止めるために、その原因が何かもわからないまま、自身が持つ物をあてずっぽうに捨て始めた。

 最初は本を、次は机を、服を、車を、靴を。

「執」は消えない。

 友人を、職を、家族を、人間関係を、そして世を。

「執」は、やはり消えない。

 ずっとちらついている。

 最後に欲と名を捨てようと、この寺に訪れた。

 修行をし、自身の中にある、ありとあらゆる不浄は追い出されただろう。

 物欲も、食欲も、性欲も、もはや無い。

 煩悩のほとんどは消えただろう。

 しかし、「執」は消えなかった。

 ふと気が付けば、俺は未だに彼らの不幸を願っている。

 こうして、もう捨てられるモノは命と、これを書いている人格くらいになった。

「執」は、この二つに並ぶモノであった。

 そして、明日はもう此処を出て、人格すら捨て去ろうと思う。

 しかし、それでも「執」は消えないのだろうという確かな予感がある。

 だが命までも捨てようとは思わない。

 俺は、ようやくその正体に辿り着き始めている。

 命の次にある、「執」。

 それとは、つまり――。

 ……俺の人生で、秘してきた想いをここに書き記す。俺はもう、これを誰かに伝えないと、どうしようもなかったのだ。

 できれば、この書が誰にも見られないことを願う。

 しかし、見知らぬ誰かにこの気持ちが知られる事を願う。







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