第2話「親バカ先生」

あの後俺が目覚めたことがメイド含め殆どの人に知れ渡ると、もうてんやわんやの大騒ぎだった。若いメイドや執事の人達はずっと泣きじゃくるし、ベテラン感のある人たちも諸手を挙げて喜ぶし……


どうやら俺は、自分が思っている以上にここの人達に大切にされていたらしい。俺が黒髪だから忌み子云々で除け者にされてたらちょっと怖かったな……意外と異世界の人達は懐が広いらしい。


そしてここは……予想通り貴族の家というか屋敷というか、もう殆ど城みたいな規模だった。これはもしかしなくてもかなりお偉い貴族なんじゃないか? そのトップがあの両親というのもなんだか泣きたくなるような話だが。


そして朗報、俺のフルネームが分かった。今のところ『ノア』しか分からなかったけど、家名含めた名前は『ノア・アインス・レオヴィルツェン』。


いかにも貴族と言った名前だけど、他の貴族もこんなに長い名前なんだろうか。もし覚えることがあれば時間がかかりそうだ。


そして……俺には、兄がいるそうだ。名は『ルドルフ・アインス・レオヴィルツェン』。現在は学校の寮住まいで向こう六年はそこで生活するらしい。学校に行ける年齢は十二歳からだそうなので、俺とは七歳ほど離れていることになる。


なるほど、つまり家督やらは兄が継ぐのか。俺としてもそっちの方が都合が良いので助かる。のんびり異世界ライフを貴族のしがらみに妨げられたくないからなぁ……


因みにどうやって俺がここまで情報を得たかと言うと、『目覚めた後で記憶が混濁している』の一点張りで色々母に聞いたのだ。『大丈夫、なんでも教えてあげるわ!』と意気揚々と説明したので、特に聞いていないことまで知ってしまったが。


というか普通五歳児に話す内容じゃなかったろ……多分普段は聡明なんだろうけど、俺が絡むとポンコツ化するらしい。


まあそのお陰で色々知れたけども……特にステータスに関する情報を知れたのは大きい。五歳児の子供が親にステータスについてのことなんか聞いたら変人扱いされるに決まっているから、どうやってそれとなく質問するか迷っていたところだ。


……両親は除くが。


さて、それでステータスのことだが、どうやらこの世界にはそれに関連するシステムみたいなのがあるらしい。


───神託。


神から天啓を授かり、魂にその救済を与えてもらう……とかなんとか母が説明していた。これが恐らくステータス、若しくは能力に関連する事柄だろう。


あの時神様がしていた説明も同じようなものだったはずだ。神が救済云々……


だから多分、その時までステータスを見ることは出来ないだろう。能力自体はあの時魂に刻まれた筈だから、まあ神託の時まで待つしかないだろう。


とは言っても、神託を授かるのは身分関係なく齢十歳の時らしく……神殿側の善意で無償らしいが、やるにしても少なくともあと五年は待たないといけない。億劫と言えばそこまでだが、寧ろ何も知らない状態から能力を得なくて済んだと考えるべきか。


先にこの世界の常識やこの身分での身の振り方を学んでからの方が、悪目立ちせずに済むだろう。


うん、その為にも今日からの五年間は頑張らないとな。俺があの時選んだ能力、それに適した知識と身体が必要だ。しんどいだろうけど、若いときの苦労は買ってでもせよというし。


人知れず拳を握る俺を見て、サラが不思議そうな顔をしていた。





───俺が目覚めてから目まぐるしく時は回り、既に二週間が経過しようかという頃。


俺が五歳児にしては随分としっかりした思考を持っているのを好機と見たのか、父が俺に家庭教師を付けたいという話をした。


父は今のうちから英才教育をして、俺を内政とかでも動けるようにしたいのかもなぁ。親バカなのは母と変わらないが、それとは別に『貴族』としての目も持っている。


俺としても家庭教師というのは渡りに船だったので二つ返事で了承しようとしたのだが……


……結果を言うと、お察しの通り俺に家庭教師が付けられることはなかった。その原因は……


「──そうしてここの領土をお義父さまが受け継いだという訳ね。分かった?」


今目の前で、俺に教鞭を執っていた。俺に振り返った際に揺れる金髪は何を隠そう、俺の母フィオネである。


なんでやねんとツッコミたくなる衝動を全力で抑えて、母に頷きを返す。最近はもう羽根ペンと羊皮紙の扱いにも慣れてきたので、ノート代わりのこれには母の話した内容の要点が纏められている。


母は良き教師でもあったようで、とてもわかりやすい授業が今日も繰り広げられている。ポンコツとか言ってごめんなさい。


ノートに記しているのは無論、の言語だ。俺かて母に教えてもらうまでの二週間、何もせずに過ごしていた訳じゃあない。


サラに言葉を教わり、文字を教わって最低限……日本語でいう五十音順くらいは書けるようになっているのだ。正確にはこの世界で使われている言語──アルセレナ文字は百音順とかになるのだが。


……言葉が通じることに関しては、これはもう神様の采配に感謝と言う他あるまい。どうせなら文字も最初から書けるようにして欲しかったな、うん。


いやあご都合主義って便利な言葉だなぁ……


「それに連なって、アルフベルカ家、カルヘトラス家、パルクレイン家、ルーエンティア家、コルデューレ家、ルベルニオス家、ファスティバ家、リバルシア家、そして最後にロドイシュカ家が王家に従属する貴族になったのよ」


今現在母が話しているのは、貴族の序列についてのことだ。単純に早く王様に従った方が偉い……みたいな。


どうやらかなり昔に決まったものをそのまま受け継いでいるらしく、これまで一度も序列が交代したことはないんだとか。


随分と規律を重んじるというか、慣習に倣うんだなぁ。大概こう言った序列制度は直ぐに退廃するか改定されるかなのに、聞けば300年はこの法を用いているらしい。


まあそれで国が回るのなら、それは良い法なんだろう。少なくともこの国にいる人々にとっては。


それにしても、貴族の名前複雑だなぁ……全部覚えることになるんだろうけど、これは骨が折れそうだ。これも五年以内には完全に覚えておかないとな。


因みにその序列というのは、家名の前にある言葉によって示されている。


俺の家系、レオヴィルツェン家ならば『アインス』が序列の順番を示す訳だ。聞けば、この世界で一を指す言葉なんだとか。


まるきりドイツ語と同じなので、この数字を覚えるのにはさして苦労はしなかったのは幸運だった。しかし、こちらと向こうの世界で使われている言葉が同じっていうのも面白い話だな。


無論綴りは全く違うんだけど、音に出すだけなら同じだ。もしかしたらこの数字以外にも、前世と同じ言語が見つかるかもしれないな。


と、話がそれたが……まあ後はドイツ語の数字が示す通り、数字が若い方が偉い貴族となる。


簡単に表すとこんな感じ。


序列一位。アインス・レオヴィルツェン家。序列二位。ツヴァイ・アルフベルカ家。

序列三位。ドライ・カルヘトラス家。

序列四位。フィーア・パルクレイン家

序列五位。フンフ・ルーエンティア家

序列六位。ゼクス・コルデューレ家

序列七位。ズィーヴェン・ルベルニオス家

序列八位。アハト・ファスティバ家

序列九位。ノイン・リバルシア家

序列十位。ツェーン・ロドイシュカ家


なんと驚き、我らがレオヴィルツェン家は序列一位だった。道理でこれだけ大きな家が与えられてるわけだ。俺、さり気にとんでもないところに転生したのかもしれない。


まあそれはともかく、正直いってこれだけの数の家名を覚え、定着させるにはそれなりに時間がかかってしまう。数字はともかく馴染みのないこちらの言葉にももっと慣れなければ……


そうそう。言い忘れていたが、王様は家名に0を意味する言葉──ヌルが入っている。それを踏まえた上での現王の正式名称は、『アレクシス・ヌル・オルトジア』。即ち、この国の名はオルトジア王国という訳だ。


「そして、この貴族達のことを総称してこう呼ぶわ」


───十聖貴族。


な、なんて安直な名前なんだ……いや別に覚えやすいから良いけど……


うーん、十聖貴族はともかく覚えなければならない単語が数多くある。それと同時に文字の方にも慣れていかないと……ふぅ、やることは多いな。


あと五年、暇なんて与えられそうにない。そんな大変だが充実した生活に、俺は知らず笑みを浮かべていた。




さて、俺がやらないといけないのは勉強だけじゃない。身体の動かし方──正確には、戦闘における身体の動きを五年の間に最低限は身につける必要がある。


理由は俺が選んだ能力の一つ、【体術】にある。実は俺が読んだあの本は能力名だけでなく、その能力の仔細まで記されてあったのだ。


その時に俺が見た【体術】の詳細は、『その者がもつ体術の段階を引き上げる』であった。それはつまり、【体術】をとったからと言って急に拳法の凄い人みたいな動きが出来るようになる訳ではないということだ。


基盤となる体術がなければ、習得する能力も宝の持ち腐れにしかならない。神託までにはどうにかものにしたいところだが……


いや、大丈夫。俺なら出来る……そう信じないと、必ず何処かで折れてしまうから。自分を騙し続けるしかない。


問題はその体術を誰に教わるか、だ。前世で柔術なんか習っていないから独学では難しい。だから家の警備に当たっている兵士あたりに教わりたいところだけど、彼らには暇な時間があまり用意されていない。


今度こそ、家庭教師を雇ってもらおうかな。俺の将来の生き死にに関わることだし、母も反対はしないだろう。


よし。そうと決まれば早速父に相談だ。あの人なんだかんだで俺に甘いからな……家庭教師頼んだら直ぐ呼んでくれそうな気がする。




「……いや、家庭教師は呼ばない」


なんて考えていた時期が俺にもありました。俺の意思を伝えたら、即却下されてしまう。勉強の時は勧めて来たのに、戦いだと何故ダメなのか。


……やはり、前世の記憶があるとはいえ五歳児にそう言った荒事を見せたりするのは良くないのかもしれない。それには納得しないが、理解は出来る。


父はそういうことも懸念しているのだろう、俺を少し厳しい目付きで見てくる。ぐぬぅ……このままだと体術に関して何も出来ないまま時間が経ってしまう……


俺は今すぐにでも経験を積みたいのだ。時間がある内はそれを利用するに越したことはないからな。


ううむ、どうしようか。子供らしくお強請りしてみるか……いやちょっと俺にはそれをする精神力が無いな。やったとしても恥ずか死ぬ未来しか見えない。


と、一人悩む俺に声がかかる。


「ノア」


「……? はい。なんでしょうか、父様」


最初は父上呼びか父様呼びか凄い迷ったこれも、二週間もすれば普通に慣れる。というか、父上より父様と言った方が喜んだからこっちで呼んでいるだけなのだが……


先ずは相手が優先と考えるあたり、親が親なら子も子なのかもしれない。変なところを受け継いでしまったな……


「何故、何故俺を頼ってくれないんだ!?」


ん?


「え、ええ?」


父は俺の両肩を掴み、前後に揺さぶりながら凄い剣幕でそう言ってくる。待って待って、幼子を揺らさないで。脳が飛んじゃう。


あれ? 家庭教師断った理由、もしかしなくても母と一緒じゃないのこの人。


ガクガクと揺さぶられながらも、俺はなんとか声を出す。


「だ、だって父様はレオヴィルツェン家の当主でしょう? 多忙の中僕に時間を割かせるわけには……」


「いや、大丈夫だ! 補佐が優秀だから少しくらい放っても問題はない」


それ父が政において余り役に立っていないということでは。当主がそれでいいのかレオヴィルツェン家。


「それでも暇な時間は少ないでしょう。それを僕の個人的な願いにより潰すというのは」


「フィオネだけノアと一緒に勉強をしているのは不公平じゃないか!?」


父よ。もしやそれが本音か。


「……分かりました。父様が良いというなら、僕としても異論はありません」


嘘です。異論しかありません。父よ、もっと働きなさい。


「うむ、俺も丁度身体を動かしたいと思っていてな。色々と都合がいい」


意外と父はデスクワークが苦手なようだ。人は見かけじゃ判断出来ないな……


「よし! それじゃあ早速鍛錬に向かうぞ!」


「え?」


「決まったことは即行動、善は急げと言うだろう?」


へぇ、その諺こっちにもあるんだな……意外と前世と絡まる事象が多くて度々驚かされるのにも慣れないとな。


父は楽しそうにそう言うと、笑いながら部屋から出ていった。……母以上に自由過ぎないか。あれが当主で良いのかレオヴィルツェン家。


あれ、なんで五歳児の俺がレオヴィルツェン家の未来を憂いてるんだろうな……はは。


父の高笑いとは反し、俺はどこか乾き切った笑いが自分の口をついて出たのを感じた。




所変わって、ここは邸内にある訓練所だ。石造りの大きな広間で、半径凡そ五十メートルほどの円形になっている。警備の兵士たちは時折ここに集まって訓練をしているようで、地面にはまだ新しい足跡やらが残っていた。


それをしげしげと眺めていると、父が何やら楽しそうに身体を動かしているのが見えた。


「いやぁ、身体を動かすのなんて去年騎士団長と一戦交えて以来だ」


「……んん?」


おい今不穏なワードが聞こえたんだが。誰が、何とやり合ったって?


「えっと、父様は騎士団長様と戦ったことがおありで……?」


騎士団長。その名の通り、王を守護する騎士達の長だ。その名は伊達ではなく、現騎士団長の功績は英雄と称されてなんらおかしくないものだと母が教えてくれたのを思い出す。


そんな人間と、父が戦っただって? はは、俺この年で耳鼻科にお世話にならないといけないみたいだ。大分耳が遠くなってしまったようだ。


「まあ、時折な。お互い勘を鈍らせないよう、気晴らしを兼ねて定期的に戦闘訓練をしているんだ」


「は、はぁ……」


聞き間違いじゃないな。母様、俺の父英雄と戦ってるんだけど。だとしたら相当な実力者なんじゃなかろうか。


……五歳児とやり合っても大丈夫なのだろうか。勿論、体裁的な意味合いで。だって騎士団長と渡り合える男と五歳児の訓練って字面から異常性プンプンしてるし……


自分で承諾しておいてなんだけど、凄い怖くなってきた。ま、まあ流石に子供相手に本気でやることは……やらないよな?


……気にしたら負け。気にしたら負けだ。異世界なんだから常識で計っちゃ駄目だろう。


「よし、それじゃあ体術の勉強だったな! あらゆる動作の基礎となるこれに真っ先に目が行くなんて……やっぱり俺の息子天才だな!」


うちの親は子供を褒めないと死ぬ病気にでもかかってるんだろうか。前世であまり褒められたことが無かったから、余計に気恥ずかしく感じる。


……これが親だと割り切るしかないな。流石に十歳になる頃には子煩悩も収まってるだろう。


そんな俺の心配やら諦観を他所に、父はソワソワと身体を動かし始める。


「じゃあ早速やるか。先ずは、俺の動きを真似しながら───」


父がそう言って構えを取ったのを見て、俺も見よう見まねで構えをする。……全力で、訓練に励むとしよう。


「……ははっ」


前世ではかけ離れた行為であった『戦闘』……武者震いくらい、許して欲しいものだ。いや、ビビってない。ビビってないから。


震える膝を叩き、俺は決意を固める。なんとしても、この親バカ親父から盗めるものを盗むんだ。頼んだらくれそうだけど、そこは気にしない。



こうして、俺の神託に向けた特訓が始まったのである。今は、一日目だ。

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