第1話「記憶の発現」
うっすらと、僅かに目を開く。未だに意識は覚醒しておらず、思考に靄がかかったままであったが。
「…………ふぅ」
寝起きの怠さとも異なる、独特の倦怠感を抱えながら俺はのそりと体を起こした。こめかみ辺りが鈍く痛みを発している。
指で軽く揉みほぐしながら、その痛みで覚めた頭を稼働させた。……今のところ頭痛以外に身体の不調は感じられないな。よし、好調好調。
一つ欠伸を噛み殺すと、もう幾分か頭が明瞭になる。と言っても、まだぼんやりとしたままではあるのだけど。
「…………ここ、どこだろ」
視界に広がったのは、とても豪奢な作りの広い部屋だった。赤色に金の刺繍がされたふかふかしてそうなソファとか、見るからに貴重品と分かる大きな壺とか、ピカソとかが描いてそうな絵画etc……
あとベッド広い! 俺の部屋にあったベッドなら四つくらい並べられるよこれ。うわぁ、凄い転がりまくりたい。
というか本当になんだここ。俺テレビでしかこういうの見たことないんだけど……凄いなぁ。
「……ちっさいな」
次に俺は、いつもの癖で眺めた自分の手のひらがまるで幼子程度の大きさしか持っていないことに意識が向く。指の妙なムチムチ感といい、これは本当に幼子の身体のようだ。
大体五歳くらいの従弟がこれくらいの体つきだったかな……まあいいか。
ペタペタと自分の顔とかを触ってみるけど、やっぱり触るだけだとよく分からないな……鏡とかないかな。
だだっ広いベッドを這うようにして移動し、床に降りる。このベッド本当に広いな……洗濯とか大変そうだ。
取り敢えず、ここって貴族とかのお家ってことで合ってるのかな? 色々豪奢だし……これが一般的な市民の生活だったらこっちの世界発展しすぎじゃない?
っと、それはともかくとして鏡を発見。三面鏡とかじゃなくて、普通に一枚の鏡だ。強いて言うなら、鏡よ鏡したくなるくらいだろうか。
丁度自分の顔の高さと同じ位置にあるそれを覗き込むと、自分の姿が映り込む。
「おお……!」
鏡に映ったのは、やはり幼い男児の姿であった。その顔は驚愕と喜びで変なことになっている。元は良い顔だけど今のはとんでもない不細工だったな……以降気をつけよう。
ともかく、俺は本当に異世界への転生を果たしたようだ。十五歳の俺が五歳の幼児に生まれ変わったのが何よりの証拠だろう。
さて容姿だが、髪色は前世と同じく……いや、前世以上に深みのある黒色の短髪だ。艶とか放っちゃってるよ俺の髪。
髪が黒なら眼も黒かと思ったのだが、どうやらそうではないらしく、エメラルドのような鮮やかな緑色だった。本当に宝石のような瞳だ、前世の俺とはまるでかけ離れている。
友人らにはイケメンだのなんだの言われてきたが、そんなもの信じてない。いや、仮にそれが本心で言われていたとしてもこの美形には敵うまい。
自分の美形さに満足な気持ちになった俺は、しかし美形繋がりからあの神様を思い出してしまう。
「……はぁ」
流石にあの神様と比べられたら、そりゃあ俺が劣ってますとも。やめよ、凄い劣等感に苛まれる。
──気持ちを切り替えて、と。一先ず状況の整理をするかな。
俺は異世界転生して、美形の男児になった。それも貴族っぽいところの。そして、前世の記憶は間違いなく受け継がれている。莫大なラノベ知識や前世の知人達との思い出があるのでこれは確実だろう。
あと物凄くお腹が空いている。有り得ないくらいお腹が空いている。……今は気にしない方がいいか。
そして……ああそうだ。神様から能力10個貰ったんだよな。これの確認をしよう。
「…………」
待って、どうやって確認するんだろう。あ、あれかな。異世界定番の『ステータス』とかかな。よし、そうと決まればステータス。
……あ、心で思うだけだとダメだな。ということは口に出したら行けるタイプのステータスかこれ。いや、そうであってくれじゃないと俺が困る。
「……ステータス」
よし、言ったぞ!
「…………」
い、言ったぞ。
「…………」
あ、ステータスとかない感じなんだー。へーそっかー……そっかぁ……どうしよう。折角神様から能力貰ったのにそれが確認出来ないとか……
能力の選別をどんな感じにしたかは覚えてるからそれで確認しようと思ったのだけど……そもそも能力が与えられてない? 詐欺られたのか?
……いや、まだだ。まだ他の可能性に縋るぞ俺は。折角異世界に来たのに能力無しの無能にはなりたくない。
何がなんでも自分の能力をチェックする方法を───
「───坊っちゃま?」
「ッ!?」
しまった……自分の能力チェック(未遂)に熱中し過ぎて扉が開いたのに気づかなかった……! い、今の奇行とか見られてないよな? 具体的には鏡の時とか鏡の時なんだけど。
恐る恐る声のした方へ顔を向けると、そこには声の通り若い女性が立っていた。多分、大学生くらいの年齢じゃなかろうか。キャンパスライフしてるレディ見たことないけど。
茶色のロングヘアで、これまた麗しい見た目をしたメイド服姿の女性。これは……この家で働いている使用人的な人なのかな。
というか、ここまでメイド服ってわかるメイド服ってのも珍しい気がする。前の世界とこちらの世界でも、服に対する嗜好は似たようなものなのだろうか。
と、女性がわなわなと震え出す。口元に手を当てて今にもお上品に叫び散らしそうな姿勢をとった彼女に、俺は思わず一歩後ずさる。
「……ぼ」
「ぼ?」
ぼ……?
「坊っちゃまぁぁぁあああ!!」
「えっ……うわぁぁぁあああ!?」
目にも止まらぬ速度で女性は俺に肉薄して、その腕で身体を抱き締めてくる。……おかしいな、状況説明をしたのに何も理解出来ない。
「え、えっと」
というかさっきからこの女性のそれなりに豊満な身体が押し付けられてなんかもう凄い……そうでもないな。恥ずかしいは恥ずかしいけど……もしかして転生の代償に性欲もぎ取られた?
若しくは……精神は身体に引っ張られると言うし、幼児並みの性欲になってしまったのか?
現実逃避気味にそう考えている俺の身体は、今も万力のごとく女性に締め付けられている。ねえお姉さん、俺の身体五歳児なの。か弱いの。それ以上締めると第三の人生に足を踏み出しそうだからちょっと落ち着いて貰っても良いですか。
「──うっ、うぅ……ぐすっ」
あれから数分、なんとか抱殺を回避した俺は目の前で女の子座りをしている女性の前に立っていた。これでも俺の方が低いのだから、幼児というのは本当に小さい。
因みに、自分より圧倒的に年齢が上の女性がボロボロと子供のように泣きじゃくるのを見て、逆に俺は落ち着いた。うん、ここで慌てなかったのは良かった。
「えっと、何があったんですか?」
取り敢えず俺に何かが起きたらしいのは分かった。まことに恥ずかしいことに締めあげられている間ずっと女性が『坊っちゃま』と連呼するものだから、状況を把握せずにはいられないだろう。
俺がそう問うと女性は勢いよく顔を上げ、俺の肩を掴んでくる。待ってだから痛いって。あ、鼻水垂れてる。
「坊っちゃま……ああ、きっと目が覚めたばかりで混乱しておられるのですね……不肖サラ、坊っちゃまに説明をする機会を頂きたく存じます」
「……どうぞ」
何故そんな哀れみの目を向けられなければならないのか。こちとら異世界転生でウハウハだったってのに、水を差されるどころかバケツで水浸しにされた気分だ。
「はい、それでは───」
───どうやらこの女性、サラが言うには俺は五日前にふらりとぶっ倒れたらしい。それはもう豪快に。そして、五日間一度も目を覚まさないのでかなりの人達が心配していたそうだ。
熱もないし、病気でもない。それはまあ、心配もするだろうというものだ。俺だって心配する。
というか五日間かぁ……どうりでお腹が空いている訳だ。全く動いていないとは言え、五日間なにも食べていなかったのだから。
……あれ、待てよ。生まれ変わったのになんで俺はもう五歳児くらいの肉体なんだ? ぶっ倒れたとは言っているが、そんな記憶一ミリもない。
それに、このサラという女性も記憶にない。それを伝えたらまた泣き出しそうなので言わないでおくが。
……記憶。俺のもつ記憶が今朝方この子に宿って、意思の主導権を俺が取った? いや、だとしたらこの身体の馴染みようはおかしいだろ。多分。
だっていきなりサイズの違う身体に意識が乗り移ったからって、それを自由に動かせるか? …………まさか、身体になじませる為の五日間!?
待って、元の子に凄い罪悪感を覚えるんだけど。……待てよ、あの神様は確かに『生まれ変わる』って言ってたよな。
ということは既にこの身体の魂に俺の記憶はあったけど、それが発現したのが五日前ってことか? それで急な記憶の発現に身体がキャパオーバーを起こしてぶっ倒れた、と。
……うん、有り得る。赤ん坊が自分の意思を持つのは四歳児以降とか聞くし、実際四歳児以前の記憶を持つ人は殆ど居ないって前世で聞いたことがあるし。
多分、その自分の意思が俺の記憶だったんだろうな。だとすれば五歳児の脳がキャパオーバーするのも仕方あるまい。何せ十年を超える記憶が蓄積されているのだから。
……これ、もし俺が五十歳とかだったらこの身体脳が焼ききれて死んでたんじゃないか? いや、魂から発現する記憶な訳だし、自分の身体がある程度記憶の負荷に耐えられるようになってからなのかな。
「…………」
ええい! 考えても分からないからもう考えないぞ。取り敢えず、後者の自分の意思が芽生えた説を推しながら話を進めよう。
「あの、サラさん」
「ああ坊っちゃま……五日前は呂律も回らなかったというのに、そんなにもハッキリと私の名前を……」
おい、この人俺が話しかけただけで泣き始めたぞ。もしかして結構駄目人間なんじゃ……いや、やめよう。多分五日ぶりに声を聞いて感動してるんだよ。
あ、でも五日間は呂律も回らないって言ってるし、本当に五日間で自分の意思になったっぽいな。まあ見た目はこんなでも中身は十五だしな……
「……あの」
「ああっ! いけない、早く旦那様と奥様にお伝えしなければ! 坊っちゃま、失礼致します」
「ああ、うん……」
俺の声が小さいのがいけないんだよね。分かってる。別に悲しくないよ、うん。
サラは俺に一礼するとダッシュで扉の外に向かい、一瞬で姿を消した。この世界の人の身体能力高いなぁ……
……そう言えば旦那様と奥様とか言ってたな。恐らく、この世界での俺の両親を呼びに行ったのだろう。
前世ではあんまり親孝行出来なかったし、今度こそしっかり親孝行出来るといいな。肩もみとかしたら喜ばれるだろうか。
と、廊下から慌ただしい音が聞こえてくる。複数人の人が全速力で走ってるようだ。結構音が聞こえるんだな。
さて、俺の両親か……どんな人だろう。血を受け継いでいるなら、やっぱり黒髪緑眼の美形だろうか。優しい人だと良いのだけど。
足音が次第に近づいていき、直後バタンと大きな音を立てて扉が開かれる。ああ、高そうな扉なのに……
そして扉から現れたのは、サラと同じメイド服を纏った女性数人に──金髪の美女だった。
……金髪?
金髪美女は数秒部屋を見渡して俺を見つけると、そのまま数秒固まる。いやぁ、凄い綺麗なドレスだな。あれを売るだけで何百万とか手に入りそうだ。
そして数秒の後。美女の時間が動き出す。
「ノアああああっ!!」
「またかぁぁああああ!!」
責め苦に耐えるべく身を固くするが、サラとは違いこの女性はギュムっと優しい抱擁をする。そしてまたグラマラスな身体が押し付けられて、俺の顔が双丘に埋まる。
幸せなのか、これは。如何せん情欲が死んでるからただただ息が苦しいとしか思えない。というか真面目に苦しい……窒息死エンドが頭をよぎるんだが。
なんとか離れようと試みてみるが、なんとも恐ろしい力で優しく抱き締められているようで、全く動かない。……さっきから出会う女性達が尽く俺を死へと導こうとしているのはわざとなのだろうか。
「……っぷは」
なんとか顔だけ胸から離し、息を吸う。危ない……本当に意識が飛ぶところだった。ある意味凶器だぞその胸。人を殺める的な方面で。
「ああ、ノア……良かった。目を覚ましたのね……」
貴方のせいでまた眠りにつこうとしてましたけどね。
しかし俺が今置かれている状況を知っているので口にも出せず。俺はしばらくの間身元不明の金髪美女に撫でられ続けたのであった。
「──奥様、旦那様がおいでになりました」
女性のなでこなでこタイムはメイドが声をかけるまで終わることはなく、もしかすると俺の頭は禿げたんじゃないかってくらい撫でられた。
この年で薄毛に悩みたくないぞ……
というかこの女性、撫でるのはやめたけど俺のこと抱きしめたままなんだけど。動けないし恥ずかしいから離してもらえないかな……
「……ノア、本当に目を覚ましたのか」
声のする方へ目を向けると、そこには豪奢な服を少し乱したナイスミドルが立っていた。こちらは美女とは違い、灰色の髪だったが。
あれ……旦那様と奥様そろったけど黒髪じゃないな。もしかして俺養子だったりする? 異世界転生早々重いんだけど。
若しくは俺の遺伝子がこの二人の血統から真っ向から反抗したか……だとしたら凄いな、普通灰色と金髪から真っ黒な髪が生まれるかよ。
まあこの女性──もとい母親の溺愛具合を見る限り養子とかでは無いだろう。俺の遺伝子頑張ったんだな。
灰髪ナイスミドル……多分父親は瞳を潤ませながら、俺の頭に手を置いた。こら、イケメンが泣くんじゃない。絵になるからムカつくでしょうが。
「……良かった。よくぞ、目を覚ましてくれた」
男性は慈愛に満ちた表情で手を伸ばす。
そして、ポンポンと。まるで親父が息子を労うかのように、優しく力強い手で頭を撫でられる。
その時、何となくだけど直感的にわかった。この男の人が、俺の父親だと。説明のしようもない、本当にただの直感だけど。
酷く懐かしいその感覚に涙腺が緩むが、気合いで耐える。ここで泣きだしたら余計事態が混乱しかねない。我慢、我慢だ。
「リアム。ノアが起きたのよ! 祝いのパーティをしましょう!」
「落ち着け、フィオネ。ノアだって目覚めたばかりで混乱しているだろう、先ずは君がノアを落ち着かせるんだ」
えっと、母親の方がフィオネで父親の方がリアムか。愛称の可能性もゼロじゃないけど、覚えておこう。そしてさっきから何度も呼ばれているように──俺のこの世界での名前はノア、か。
「それもそうね……ノア、落ち着いて聞いてちょうだい」
「お……僕が五日間眠っていたことですか? それについてはもうサラから聞いたので……」
危ない、俺って言いかけた。一応貴族っぽいし、あんまり俺っていう一人称は好まれないだろう。これからも用心して『僕』で通していこう。
貴族に転生、中々大変なことになったものだ。あの神様も案外意地が悪いのか……?
「…………リアム」
「…………フィオネ」
ふるふると俺を抱きしめるフィオネの身体が震える。どうしたんだろう、もしかして一人称が気に食わなかったのかな。リアムの方もこちらを見て目を見開いているし……
まあ、五歳児だから多目に見て──
「この子、まだ五歳なのにこんなにハッキリ言葉を話してるわっ! やっぱりノアは天才なのよ!」
「え」
「ああ、将来きっと大成するぞ!」
……どうやら俺は、とんでもない親バカの息子に転生したらしい。あと頼むから、五歳児が喋れるくらいで騒がないでくれ。
──心底嬉しそうに笑う両親を見て、満たされたような気持ちになったのは内緒だ。
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