第335話 朱音の気持ち


「その時は仕方がありません。本気で相手になります」


 スマートフォンを持つ手に冷や汗がにじみ出てくる。

 スピーカー越しに聞こえる僅かな音から、蓮見の耳が感じ取る。

 その言葉は言う相手を間違っていると。

 本来であれば絶対に言ってはいけない相手だと。

 それでも後悔はない。

 ただ二人の笑顔の為ならこれくらい安い。


 ――ゴクリ


 挑発されてか、朱音の声が真面目なものへと変わる。


「舐めてるんじゃないわよ? この私を挑発するってことはそれだけ腕に自信があるって事よね?」

(さぁ、どうでる?)


「あるわけないじゃないですか。でも――」


「でも?」


「俺は負けない。七瀬さんと瑠香の笑顔がそこにあるなら、俺は絶対に負けません。だから二人にもう少しだけ自由にゲームをする権利をください。もし二人が望んで俺とは違う世界に行くって言うのなら俺は背中を押すしずっと応援もするし止めもしません。だけど今回はそうじゃないって何となくそう思うんです。だから俺は朱音さんからの挑戦を受ける事にします。それで決着をつけませんか?」


 素人がプロ相手に勝てるはずがない。

 そんなのは当たり前のこと。

 幾らバカな蓮見でもそれくらいわかっている。

 だけど――。

 頭でわかっていても心がそれを認めたくないと否定する。

 誰かが目の前で唇を噛みしめ我慢していたら、ただ黙ってみて見ぬ振りを出来ない不器用な男はそれがお節介だとわかっていても首を突っ込まないと気が済まない性格だった。


「ふっ」

(なんだ、いい男じゃない)


「逃げますか?」


 蓮見の挑発的な言葉にスピーカー越しでも分かるぐらいに口角が微笑んでいるような声色で朱音が答える。


「いいや。そこまで言うなら少し猶予を与えるわ。その猶予で準備を完璧にしなさい。期間はそうね~、一週間後の夜、第二層の闘技場に来なさい。不意打ちではなく、正式な決闘で勝負してあげる。どうかしら?」

(面白い、最高じゃん。最近の若い子は威勢がないと思っていただけに)


「わかりました。ルールはアイテム・スキルなんでも有りで良いですか?」


「いいわよ」

(二人が惚れた理由はこれか)


「ありがとうございます」


「どういたしまして」

(とりあえずは及第点って所かしら)


「最後に一つ良いですか?」


「えぇ」


「もし俺に負けても恨まないでくださいね」


 その一言に朱音が大笑いを始める。

 スピーカー越しでもわかるぐらいに甲高い声。

 それに目から涙を零し、腹を抱えている、となんとなくわかるぐらいに愉快な笑い声が聞こえてきた。


「アハハ!!! 面白い! いいよ、いいよ! ならそっちが負けて七瀬と瑠香がプロの道に行くことになって離れても恨みっこなしってことでよろしく。それなら一週間後にまたゲームの中で会おうね、【異次元の神災者】君」

(この私に勝つ? 本気で言っているなら滑稽。だけど悪くないし嫌いじゃない)


 そう言われると、朱音の方から電話が切られた。

 それからすぐに今日は色々な事がありエネルギーをより多く消費した蓮見は深い眠りへと落ちていった。




 電話が終わった朱音は目から零れた涙を拭いて、一人ホテルのベランダへと出て夜景を見ながら呟く。


「会って間もない男の子に恐怖するとはね。もし【異次元の神災者】が噂通りならと心の中で……いや期待しているのかもしれないわね……私の知りえない戦術を見せてくれるのではないかと、ね」


 その手は僅かに震えている。

 別にビビっているわけではない。

 だけどどうも武者震いして震えが止まらない。

 最後の「負けても恨まないでくださいね」の一言を聞いた瞬間、全身がゾクッとしてしまった。女の尻を追いかけて、女の言葉一つでボロボロになり、女心がわからず不安、と情けない男だと最初は思ったが、どうやら勘違いだったらしい。あの手の人間は情が有り過ぎるからこそ、必要以上に相手の事を知ろうとしているだけ。言い方を変えれば――


「相手の気持ちに寄り添える人間」


 なのだ。

 普段は娘達から聞いた通りの自分の心に素直な人間。

 だけど、いざと言う時は――


「プライドを捨てて、相手に弱みを見せ相談することを躊躇わない。それでいて言わないといけない事は相手が誰であろうと臆することなく言える人間っぽいわね、彼は」


 と、いうのが朱音から蓮見に対する評価。


「それにしても彼は私に心を開くのが早過ぎた。最初から敵対心も感じられなかったし、悪い子ではなさそうだけど……さてどうしたものかしらね」


 朱音はポケットから煙草を取り出して火をつける。

 そのまま一服しつつスマートフォンを取り出して、メッセージを送る。


『近々そっちに帰ると思うわ』


 それからスマートフォンをポケットになおして煙草をふかしながら夜の夜景を見つめる。二十三階のホテルから見る夜景はとても綺麗で夜の街を照らす街灯が眩しく広がって出来ていた。ほのかに吹く夜風も気持ちよくとても快適。そんな中で朱音は考える。


 先日男から聞いた【異次元の神災者】についてだ。


 彼の名は本物であり本物ではないと言った。

 その言葉の意味は一体なんなのだと……。

 それからしばらく一人考えていると、ある考えが浮かび上がってくる。


「まさか……とは思うけど、そのまさかだったら少々めんどくさいことになりそうね」


 朱音は嫌な予感が的中しない事を心の中で密かに願う。

 どちらにしろ、蓮見に実力がないと判断した場合は娘二人にこちらの世界を教える予定だ。仮にあると判断した場合は娘達が自分達の力で強くなり経験を積むと言う事を条件に日本にこのまま残す予定でいる。だけど、もし――。


「もしこの嫌な予感が当たったら彼はきっと絶望するでしょうね」


 それから先、朱音は一言も話さなかった。

 ただ、煙草の煙を吹かしてはぼんやりと平和な夜の街を眺めていた。




 それから一週間が経過。

 ついに蓮見と朱音がゲーム内で二度目の対面をする日となった。




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