この恩を返しきれるか
花屋は服からさっきの軟膏と同じものを取り出してあたしの傷に塗る。
不思議だ、傷に薬を塗ってるのに痛くない。
「それじゃ、これ食ってこれ飲んで下さい」
手渡されたのは白い丸薬みたいな粒と茶色い瓶。
「なんだこれ?」
「栄養補給用のブドウ糖……あー、滋養をつけるための砂糖でさあ。
んでもってこっちも滋養をつけるための薬でさ。瓶の開け方はわかりますかい?」
茶色い瓶は白いふたがついててよくわからん……
「わからん!しかし砂糖だと?高いのではないか?」
花屋は瓶のふたをキリリと回すと甘い匂いがした。これが薬?
「今の時代砂糖はいくらでも取れるんですよ。とりあえずブドウ糖だけでも早いところ食ってください。
じゃないと傷を治すので体力取られて低血糖になっちまう」
「傷?おおっ!すごいぞもう治りかけてる!」
頭を半分吹き飛ばされかけて、腹を撃たれたのにもう血が止って薄皮が張ってる!
一体どんな霊薬を使ったんだ。
そういえば腹も減ってる。砂糖なら食べてみよう。
「甘い!舌がしびれるほど甘いぞ!こんな砂糖食ったことない!」
口の中が弾けそうに甘い!ものすごく甘い!
薬はどうだろう。甘い匂いがしてる。
「この薬は薬のくせにおいしいな!なんの果物を使っているんだ?蜂蜜?もは入ってるな」
「ええと確かニンジン・オウギ・ハゲキテン・ローヤルゼリー……要は蜂蜜みたいなもんでさあ。
刺五加、枸杞子、タウリンにアルギニン、カフェインにイノシトール、ニコチン酸アミド」
ほほう、種々の薬草に蜂蜜まで!美味しいはずだ。
これはひょっとしてかなり高いのではないか?
「それに非時香実に変若水、ソーマ、九光丹にマンナ。そんなところですかね」
非時香実に九光丹?!
それは神話に出てくる代物ではないか!
「ごほっ!ごほっ!こ、これはおいくらくらいするんだ……?高いのではないか?」
「安くはありやせんね。2類医薬品ですから……たしか一本千円」
あたしは瓶をまじまじと見た。
『マナビタンDデラックス』
よくわからないがすごすぎる……
体が軽く、妖力がみなぎる。傷もすっかり治ってしまった。
「まあそれよりも傷薬のほうが高いですし、もっと言やあお前さんがぶっ壊した家や道路の修繕費もアタシ持ちなんですが」
さーっと血の気が引くのが解った。
これはもしやとんでもない恩ができてしまったのではないか。
「道路と屋根で三十万くらいですかね……まあ経費で落ちるんでとりあえずアタシは困りません。
あー……上役が持ってくれるってこってす」
花屋は遠い目をして煙草を吹かした。
大変な恩と借金が出来てしまった……!
「すまん!恩に着る!たしか仕事の世話もしてくれるのだったな!
この恩は働いて返す!金は……金ができたら返す……」
「おっ、良い心がけですね」
「当然だ!恩には報い、仇は返す!誰にも従わない!それが鬼だ!」
花屋は少し困ったようにあたしを見て笑う。
「浪花節ですねえ、ま、あたしもそういうのは嫌いじゃない。
むしろ三百年前から蘇ったにしては物わかりが良い。
うまくやれそうです」
あっ、そうだ!仇と言えばあの殺された鬼は……?
「おう、それは良かった!ところで、一つ聞いて良いか?さっきの事なんだが」
「どうぞ」
「あの鬼は黒づくめの奴らに殺されたのか?」
花屋は少し考えると顎をかきながら話し始めた。
「ああ、あれね。ありゃあもう一個の死体がありましたでしょ?そいつが下手人です。
鬼さんが殺されたところに狩人が駆けつけて下手人を殺った。そこにお前さんが来たんです」
今度はかーっと体が熱くなる。
つまり何だ。全部勘違いだったのか。
「ということは、全部あたしの勘違いだったのか……?」
「そうなりやすね」
花屋は無情にも淡々とうなずいた。
あたしは思わず立ち上がって頭を抱える。
「ウワーッ!なんてことだ!すまないことをしてしまった!どうしよう!どうすればいいのだ!」
「ま、もう終わった事です。とりあえず今日は休んで明日から働きましょう。あの連中にはもうアタシが頭を下げたんで」
「ウウ―ッすまない……恥だ……」
顔を隠すあたしに花屋は自分の上着(コート)を肩からかぶせる。
これは暖かいな……思ったより分厚い着物だ。
そう感じるあたしが恥で千々に乱れたあたしを冷静に観察していた。
「結果オーライですわ。お前さんもあの連中も死なずにこうしてうまいこと回った。
アタシはなんとかお前さんを捕まえられましたしね。元はと言えばアタシが封印をちゃんと見てればよかったんです。
なんでお互いいいっこなしでいきましょうや」
「おまえはいいやつだなあ……」
「さ、車まで歩きましょう」
花屋はあたしの背中を軽く叩くとさっさと先を歩き始めた。
なんというかひょうひょうとしたやつだな……先祖にそっくりだ。
しかし車とはなんだろう。牛車か?
■
「また粥か……」
あの後、花屋の家に車とやらでたどり着いて、あたしは粥を食った後即座に寝た。
くるまとやらは凄まじい乗り物だった。速すぎる!なんだあの妙な駕籠は!
だがこの時代でも布団は布団なんだな……
そして起きたら花屋が珍妙な台所で飯を用意していた。
「そりゃあお前さん、三百年なにも食ってない胃でいきなり良い物食ったら腹がびっくりして死にますよ。
秀吉の兵糧攻めで降参した奴らに肉を食わせたら死んだ話は有名でしょうが」
今日の粥は鮭が入っている。すべて白米で贅沢だな……
うむうまい。
たしかに胃に染みいる優しい味だ……
「ああ、あの話はまことだったのだな……ん?では昨日の砂糖と薬はどうなんだ?」
「賭けでしたね。あんたの胃が丈夫でよかった」
「いつの間にかであたしの命を賭けるなよ!まったく心臓に悪い……あいつにそっくりだ」
花屋はじつに嫌そうな顔をした。
心音からしても相当いやなことらしい。これは良くないことを聞いてしまったな。
「似てますかねえ?あたしゃ親親戚とは似てないってよく言われるんですが」
匂いから感じる心は悲しみと後悔と嫌悪。
どうも家族仲はよくないらしいな……ううむ。
「先祖返りと言うやつだろう。ま、まあそれは良いじゃないか。
ところでさっそくだが何からすればいい?働きたいがこの時代を何も知らん!」
「そう思って昨日用意してきやした。これを見て下さい」
おっ、心音が元に戻った。話題はそらせたらしい。
昨日街で大勢の人が持っていた光る板に指をしゅっと滑らせると、壁際にあった板が光り出した!
なんだか健全な気分になるさわやかな音楽が流れる。
<中世の方向け、現代教育Ⅰ歴史概略編>
光板にはそんな文字が躍っている。
「これか!昨日見たぞ!動く浮世絵だな!」
「まあそんな感じのもんでさあ。影絵とか幻灯みたいなもんと思って下さい。
これであんたの時代から今の時代までのだいたいの事を教えてくれます」
「誰が?」
「絵巻物みたいなもんでして、勝手に流れますから聞いてりゃわかりますよ」
なるほど……よく目になじんだ浮世絵風の登場人物が京訛りで話し始めた。
<遠い昔からようおこしなさいました。わしは講釈師の神威亭楽宝と申します
今日はみなさんに、今の世について知っていただければと……>
それからしばらくはのんびりした歴史の講釈だった。
あれから徳川の治世は長々と続き、太平の世だったらしいとか。
黒船が来たとか。二回も世界中で大戦があって今の種子島はえらく強くなったとか。
結局、あたしら妖怪は明治時代とやらくらいには姿を隠して、いないものと思われたとか。
<日本は二度の天下分け目の大戦に……第二次世界大戦は……
しかしこの時代、妖怪に陰陽師といった神秘の力は隠されましてな
この時代、さまざまな物が作らはれました>
ほほう飛行機に車、ラジオ、新聞、かあ……
爆弾に銃。戦車。
人間達は一体どこに行こうとしてるんだ……?
ロケット。
宇宙か。いやはやとんでもないやつらだったのだな人間とは。
というか月は丸い大岩だったのか!知らなかった!
「いやあ世界と二度も大戦をしたのか!夷狄と戦ったのか!
日の本はスゴイ国になったのだな!しかし銃、か……昨日のあれか?」
「昨日のあれですよ。まあ『鉄槌』の御仁のはとびきり大口径のやつですが」
「ふーん……しかし、我ら妖怪は陰に隠れ忘れ去れてしまったのだなあ……」
<そして花の高度経済成長!>
ほうほう、テレビに洗濯機、冷蔵庫!
便利なものだなあ……まるで夢のようだ。これもテレビというやつの一種なのか。
コーラにハンバーガー!う、うまそうだ……肉かぁ……
しかし楽しそうだなこの時代の人間は!
<この時代にはすっかり神も妖怪も呪い師も空想の産物と思われていました。
これは何を隠そう、かの大妖怪『鬼院楼蘭』によるものだったのです。
彼女は巨大な策略を巡らし、全てを隠しました。ある意味これは賢明な措置だったでしょう。
少なくとも、人間と異種族が争い合う事はなく。人間達は科学技術を発展させることができたのですから>
鬼院!あの何の妖怪かわからんとんでもなく強いやつか!
あれも捕らえ所の無い女だったなあ。
「鬼院!知ってるぞ!あれは頭の良い大妖怪だった」
「らしいですねえ、実際世界中から神秘を隠したのはとんでもない神算鬼謀でしょうよ。
実際、しばらくはうまくいきやしたしね」
<しかし、平和は長く続きません。人間社会で隠れる妖怪や魔術師たちは日常ではインチキだと笑われ、陰では陰惨な戦いに明け暮れ。
そんな悲惨な境遇でありながら、たやすく犯罪を犯せ、そして法律では裁けない、という状況はあまりに甘いものだったのです>
よ、よくわからないぞ……
しかし、いつのまにかしゃべり口も顔もえらく垢抜けてきたなこの講釈師。
<現代社会の中で隠された魔法や神秘はとてつもない数の犯罪を隠蔽することになりました
そして、人間社会と断絶した異種族の隠れ里は停滞し、定期的に外部の人間をさらっては食うようになりました>
「ちょっと待ってくれ。どういうことだ?
妖怪や呪い師は鬼院の作った隠れ里でたのしく暮らしてるんじゃあないのか?」
「楽しく暮らしてましたよ。外から捕らえてきた人間を生け簀に詰め込んでね。
それよりマズかったのは外に残った呪い師連中でさあ。
呪いなんざない、魔法なんざない、って世の中だったんですぜ?
金盗もうが人殺そうが隠したい放題でしょうが……」
ああ、そうか。表向き妖怪も呪い師もいないことにされて。
それでじわじわとみんな腐っていってしまったのだなあ……
たしかにバレなければ使ってしまうよなあ……
<ここで一人の魔術師「パトリック・R・ハルマン」が登場します。
彼はこの状況に極めて不服でした。
彼の著書ではこうあります。
『私があこがれた魔術とはこんな醜いものではありません』
彼は自分の人生八十年近くをかけて計画を行います。
鬼院の仲間を暗殺し、少しつづ秘匿を行う勢力を弱めていきました。
秘密を守る者たちが十分に減った後、彼は世界に向けて少しづつ真実を公開していきました>
全部バラしちゃったのか。
いいのかこれは。
しかし気むずかしそうなジジイだなあ、ハルマンとやら。
<何度も秘密を守る者たちを挑発し、経済的にも追い詰め、とうとう事件は起こりました。
1990年『永田町事件』です。この国の政を行う国会議事堂という施設のある場所で、彼らは白昼堂々魔法を打ち合いました。
これにて鬼院の巡らした巨大な秘密と秘匿は破られます>
ほほう、これが国会議事堂。荘厳な城だなあ。
あっ、鬼院だ。妖術で光る球をやたら打ち出してるな……
きらきらして花火みたいだ。ああ、そういえばそんな術を使うなあいつは。
こっちはハルマンか。うわなんだあれ。
『パチンコ』とやでら使うような弾をとんでもない速さで撃ち出してる……ははあ念力使いだな。
おいおいおい、『びる』とやらが崩れてるんだが。
こりゃあバレるのも仕方ないな……江戸城で妖怪たちと人間の兵士が戦ってる。
頭おかしいんじゃないかあいつら。
<ここから全ての秘匿は崩れ、私たちの前に無限にも等しい数の魔法と、数多の種族の妖怪と出会うこととなります。
何度も悲惨な争いが行われ……ハルマンも鬼院も死亡しました。あくまで現段階では>
まあ、世界中にあたしら妖怪の存在を隠して、その後やっぱりいますとバラしたらそれは討ち死にするまで戦うしかなくなるだろうなあ……
<鬼院たちの残党『百鬼』および世界中の隠れ里『ファーサイド』は次元干渉魔道兵器により世界中を爆撃。
これにより彼らは全世界の三分の二の国土を手に入れます。
現在でもこれら異種族による国家は既存国家と戦争が続いています>
妖怪の国、かあ……興味はあるな。
そしてあたしのいるのが人間と妖怪の国、ってわけだ。
<今現在では、人間に味方する妖怪やその他の異種族は人間と等しい扱い、すなわち人権を得られました。
これはすなわち人と同じ法で裁かれるという事と、人として守られるという事です。
この人権を得るために必要な手続きが『異種族人権申請宣言』通称『宣言』です>
おお!あれか!役所でもらえるやつ!
なるほと今は妖怪であっても人として扱われるのか……
しかし人の法も守らねばならないと。
ううむ……人として暮らせ、か。
厳しくもあり優しくもあるなあ……
どうせ、さもないと狩人が来て殺しに来るんだろう。
<呪い師や退魔師の扱いも法律で保証され、今では準公務員であり、警察活動の一部を行っています。
彼ら退魔師はもちろん、警察も緊急時における射殺の権利を持っています。
くれぐれも早まった事はしないで下さいね。では、楽しい現代生活を!>
どっと疲れた……
300年分の歴史だものなあ。激動の時代すぎるだろ!
「……」
「大丈夫ですかい?起き抜けに300年分の歴史はしんどいでしょ。休みやすか?」
「う、うん……すごい時代だったんだなあ……その時に花屋は何してたんだ?」
「秘匿が暴かれた頃はまだガキでしたね。戦場で右往左往してたかと思えば、いきなり子供扱い。
わけがわかりませんよ。
それからはケツの青い若造なりに暴れましたよ。戦争も何度も。
つきあいきれませんや……まあ、あれはあれで面白かったですがね」
「苦労してるのだなあ……」
その後昼飯まであたしはこの手の「ビデオ」とやらを見た。
なるほどなあ、いろんな便利なものが出来たのだなあ……
ええと、一〇〇円が三文くらいで、一両が一〇万円くらいで……
あたしの借金がおおよそ三〇万円だから……三両!三両も立て替えてもらったのか!
どうやって働いていけば良いんだ……
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