サンタの通る道(クリスマス、ワーカーホリック、父親)
『サンタの通る道』
「誠さん、今日も帰りは遅いの?」
赤ん坊を抱えた妻が、玄関先で聞く。
出社前の朝の忙しいときに、当たり前のことを聞かれて俺はうんざりした。
「ああ、残業だ。うちの会社があぶないこと知ってるだろ?」
赤ん坊が泣き出すと困るので、声を荒げることはしなかったが朝からイライラがつのる。
「でも、今日は……」
いつもなら、そのまま黙って見送る妻が、何か言いかけた。
「忙しいんだ。帰ってきてからにしてくれ」
彼女の目が、家庭を省みない自分を責めているかのように感じ、冷たくさえぎる。
俺はむずがる赤ん坊を抱いた妻を振り返りもせず、後ろ手にドアを閉めた。
表に出れば、頬を切らんばかりに冷たい空っ風が吹いていた。
*
俺の会社は、死んだ父から継いだ小さな工場だ。
ベテラン工員たちが、職人気質の手作業で小さな機械部品を仕上げていくそんな町工場。
子どのもの頃は、手間のかかる作業がバカバカしいと思っていた時期もあったが、今はその緻密さ細さがどれだけすごいことか分かるようになった。
機械では出来ないミクロンの組立作業も、うちの熟練の工員なら可能だ。
それを後継する者を育てながら工場もなんとか続けていきたい。
これが、父が残してくれた唯一の財産だから……。
おかげで肩書きだけは『社長』だが、サラリーマンの営業より悲惨な状態だ。
サラリーマンなら、会社がつぶれればクビになれば終わりだが、俺は名前ばかりとはいえ『社長』だ。
会社がつぶれれば、ちっぽけな町工場とはいえ首を吊っても返せないほどの借金が残り、社員も路頭に迷うだろう。
*
年の瀬に、営業をしてまわってもそう手ごたえはない。
何社か周り、夕暮れ時の寒い公園でベンチに腰を掛け一服する。
ここなら大きなため息をついても誰にも聞かれやしない。
くゆるタバコの煙を見ていると心が落ち着いてきた。
ふと、今朝の妻の何かいいたげな目が思い出された。
子供のため、家庭のために働いているのになぜあんな目で見られなければいけない?
二本目のタバコに火をつける。
赤ん坊のために家ではタバコをやめたがここでならいくら吸ってもいいだろう。
子供が嫌いなわけではない、小さいものを可愛いとも思うし、愛らしいとも思う。
ただ、生まれたての赤ん坊のどこを触っていいのかわからず、恐怖すら覚えることも事実だ。
首の据わらない赤ん坊を風呂に入れることも出来ない、役立たずの自分。
決して、家に帰りたくないわけで会社に出ずっぱりだということではない。
残業をするのは、相手の都合に合わせて話をさせてもらって契約を結ぶためだ。
自分には一銭も入らない、サービス残業。
ずっと、家に帰りゆっくり休みたいと思っている。
けれど今は、家は眠るための場所で、家族との安らぎの場所ではなくなった。
家に帰ると、赤ん坊が泣いている。
ただ、つかれて眠りたいのにそれすらも叶わない我が家。
妻の幸恵は、料理がうまいが最近はその味すらよく分からない。
そういえば、出産にも立ち会うつもりだったが、行けなかった。
病院に駆けつけたのも、他県に出張中で3日も後になった。
俺は、家庭をあまり顧みない自分の親父を罵ったことがあったが、自分も同じ道をたどっているじゃないか……。
それに気づき、吸いかけのタバコを取り落とした。
しかし、拾って吸うわけにも行かず、苦い思いで踏み消した。
*
一日中、頭を下げて営業をしてまわったが収穫はなかった。
工場に戻ると、工場長が帰り支度をしていた。
いつもは遅くまで機械の点検などして待っていてくれる彼がどうしたのだろう。
「社長、おかえりなさい」
すべての機械を止め点検が終わったのか、すがすがしい様子で初老の工場長が声をかけてきた。
死んだ親父と長年働いてくれた、心強い人だが技術屋で経営のことはやはり得意ではない。
「今日は、上がるのはやいんですね」
「いやだな、社長。クリスマス・イブですよ。孫が家でプレゼントを待ってるんです」
孫がかわいくてたまらないのだろう、目じりに皺ができるほどの満面の笑顔。
「たまには、家族と暖かい食卓を囲みましょうよ。
誠さんも、家族が増えたクリスマスを祝うんでしょう?
前の社長もそうでしたよ。この時期になると、あなたに何をプレゼントしたらいいのか迷って、仕事もそっちのけで悩んで」
工場長は、うれしそうな足取りで会社を後にした。
「クリスマス……」
一人の残された俺は、愕然とした。
営業のため、何度となく街中を歩いたというのに、クリスマスソングも、賑やかなイルミネーションにも気が付きはしなかった。
何を見ていたのだろう……。
*
工場長は、今の会社の厳しい状況を知らないわけではない。
けれど、それとクリスマスの話がちがうことをよくわかっている。
会社がうまくいかないのは、妻のせいでも赤ん坊のせいでもない。
いまさらながらずるい自分に気が付いた。
そして、朝の妻の何か言いたげな目が思い出された。
あれは、責める目じゃない……。
心配している目だったんだ……。
*
一人でいると、寒さが骨まで凍みる。
親父もこんな思いをしたのだろうか。
会社のことで悩み、子供のプレゼントで困るようなことが。
サンタの赤い服など着たことはなかったが親父も、俺が小学生までは毎年クリスマスプレゼントをサンタからだといって枕元においていてくれた。
それは物心ついたときから、とぎれたことはなかった。
仕事仕事と忙しい人だった。
ろくに一緒に食卓を囲んだこともない、ダメな親父だと思っていた。
しかし、その親父でさえクリスマスだけはプレゼントを買ってくれていた。
――― 俺は、サンタ失格だ。
それは、『父親失格』と同じ意味ではないか?
子供とむかえるはじめてのクリスマス。
このままで本当にいいのか?
時計を見れば、8時だった。
まだ、間に合うだろうか……。
俺は、コートのボタンを掛けるのももどかしく外へ走り出した。
*
外に出ると、いつのまにか一面真っ白の雪化粧だった。
ホワイトクリスマスだ。
シャンシャンという鈴の音が聞こえる。
『ねえ、父さんアレは何の音?』
「ああ、サンタのソリの音だよ」
父に言われたことを自分で言ってみた。
俺も、あの子にそう言う時がくるのだろう。
雪上を走るチェーンタイヤの音だとわかっていても、子供の夢を守るためそう言える大人になれるのだろうか?
運よく、閉店間際のおもちゃ屋へすべり込めた。
この歳になって、おもちゃ屋など気恥ずかしいと思ったが店員の女の子は疲れも見せずに笑顔をくれた。
『大人』が玩具を買いに来たのではなく、『親』が子供のおもちゃを買いに来たとわかっているんだ。
こんな俺でも、他人の目から見ればちゃんと『父親』に映るのか。
そう思うと、妙に実感が湧いてきた。
しばらく、うろうろと店内を歩いた、閉店間際にもかかわらず何を買ってよいかわからない。
『父さん、あの赤いミニカーかって! ボク、車だいすき!』
自分はそういって父親の手を無理やり引いて歩いたが、家で待つ赤ん坊の小さな手がそんな風に強く自分の腕を引く日が来るのだろうか?
その考えは、胸を熱くした。
父さんが通った道と同じ道を、俺も歩いて行く。
今、それはどこか誇らしい気がした。
子供へのプレゼントは、自分が幼い頃もらった赤いミニカーに似たものにした。
「メリークリスマス! サンタさんがんばってくださいね」
サンタの格好をした店員は、サンタの代理を誇らしく思っているのだろう。
最高の笑顔で見送ってくれた。
妻にも、久しぶりに花束を買った。
この日ばかりは、花屋も遅くまでやっているようで助かった。
駄目な父親だがこの先も『サンタクロース』をやっていいか聞いてみよう。
彼女はきっと、抜き足差し足で枕元にプレゼントを置く俺を見て、堪えきれずに笑うだろう。
それでいい。
きっとそれがサンタの通る道なのだから。
★ E N D ★
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