椅子の聖母(殺し屋、少女、切ない)
お題:3つの願い
夢や希望、
まして願いなんてありやしない。
俺がいるだけで周りが不幸になる。
おふくろは俺を産んで死んだ。
ろくでなしの父親は、そのせいで飲んだくれて死んだ。
姉は、俺を育てようと身を売りどこへ連れて行かれたのかさえわからない。
結局、俺は路地裏でゴミのように転がっていたところを組織に拾われた。
それから、銃を手にして二十数年。
今では、闇社会で知らない者はいない『殺し屋』だ。
*
今回の依頼は、入院しているある女を期日までに殺すこと。
依頼主によれば、どうしてもその女が病気で死ぬ前に、頭に一発お見舞いして欲しいそうだ。
『必ず脳に銃弾を』というのが今回の依頼だ。
あたりをつけるため、病室の臨める向かいのビルの屋上へ行く。
そこから、長い銃身を向けスコープをのぞきこんだ。
照準の入る小さな丸い黒枠。
そこに映し出される標的の姿が俺にとっての遺影だ。
しかし、その姿を見てハッとする。
スコープに映し出されたのは、女というには早すぎる可憐な少女だった。
15.6歳だろうか、別れたころの姉の年頃に近かいと思った。
絹のような長い黒髪に白磁の肌。
意志の強そうな瞳が青空を見つめている。
――― 恨みを買うようには見えない。
何かが引っかかり、銃を下げた。
病気で余命もわずかなら、殺す必要もないのでは?
別に美学などというものは持ち合わせていないが、謎解きくらいしても悪くないだろう。
俺は、依頼期限まで様子を見ることにした。
*
少女のもとには、誰も見舞いに来ない。
かわりに、見張りかと思えるほどに看護婦と医者が入れ替り立ち代わりやってくる。
病気は、重いのだろう細い腕には常に点滴を打たれ痛々しい。
それでも、毎日ベッドを起こし外の景色が見えるようにしている。
おかげで、俺はいつでも少女の顔が見ることができた。
それに加え、少女は日に一回かならず窓際に座る。
太陽の光を浴びながら静かに瞳を閉じ、 祈るように……。
丸いスコープの枠の中に映し出される少女を見つめながら、こんな絵画があったなと俺は思った。
ボスの屋敷で見た絵。殺伐とした裏社会の者には不釣り合いな温かな聖母子の絵。
聖母マリアが椅子に座りながら、キリストを抱いている。
それは他の絵画と違い、丸いカンバスに描かれていた。
絵の名前は、確か……『椅子の聖母』と言ったな。
*
俺の標的はたいがい俺の同業者か、人を陥れて富を得る者、利害関係で生まれる邪魔者など犯罪者ばかりだった。
何人もの命を奪ってきたが、この少女のように無垢な相手はいなかった。
どうして、あと数か月くらい生かしてやれないんだ?
この仕事をしてきて嫌になることは何度もあったが、生きる為にしかたがないと納得していた。
しかし、今回ばかりはこの可憐な標的のために自分を犠牲にしてもいいと思えた。
今までなるべく考えないようにしていたが、生きる理由などすでに失っているからだ。
誰かを守るために死ねるなら……少しでも生きた意味が残るのではないだろうか?
ぼんやりと考えていると携帯電話が唸った。
「はい。黒須です」
今や『椅子の聖母』と心の中で呼んでいる少女を見つめながら電話を取る。
『なぜ、早く殺してくれないの?』
電話から小鳥のような声が聞こえ、同時に聖母の口が動いた。
『何をしているの、早く私を殺してちょうだい!』
少女は、照準の向こうから真っ直ぐにこちらを見据えている。
――― 依頼主が標的。そういうことだったのか。
「……余命わずかにも関わらず、なぜ殺しの依頼を?」
いつもなら依頼主には絶対に聞かない理由をあえて問う。
それを知らなければ、俺はこの依頼を遂行できないからだ。
『嘘をついていたことは謝るわ。けれど、誰にも知られたくなかったの。特別な依頼だと目をつけられる危険を避けたかった』
「裏世界はペラペラしゃべる奴は生きていけない」
『それでも、お金を積まれれば寝返るでしょ』
「俺は、何があっても依頼は先着順だ。でなければ、信用が得られない」
『殺し屋が信用ね……』
少し呆れながら、少女は初めて笑った。
『あなたになら話してもいい気がする。私の脳は普通の人間の3倍の処理能力があるんですって。おかげで、いろいろ新薬も開発したんだけど残念ながら自分の病気を治す薬はできなかった。皮肉なものよね。他人を助けても自分は助けられないなんて』
「それで、憎い自分の脳をつぶしたいと?」
『あなたは、まだ意味がわかってない。私の体が死んでも、研究者たちは私の脳を奪い合うわ。切り刻んで成分を取り出して、誰かに注入するかもしれないし、もっと怖いのは私の脳だけを生かし続けること。丸ごと培養液につけて生かされたりしたら、死にたくなっても死ねない。分かる?』
「お前のものは、お前のものだということだな」
『ご名答』
「少し期日を延ばさないか?」
『何日も、窓際に立ってあなたを待ったわ。これ以上は……』
「お前の脳を誰にも渡さないようにすればいいんじゃないか? ならばお前の寿命ぎりぎりまでどうだろう」
*
そうして、俺たちは『友達』というものになった。
電話だけの細いつながりだが、俺には特別なもの。
ふいに彼女がこんなことを聞いてきたことがあった。
『3つのお願いごとを叶える妖精がいたらあなたはどうする?』
「頭がいいのに、子供みたいなこと考えるんだな」
『一応、女の子だからね。私だったらこの変な脳みそを普通にしてもらって。この病気を治してもらう。それだけで十分。あとのひとつはあなたにあげる。人間よくばってはダメだわ』
「欲がないな。でも、ありがたく受け取っておこう」
『あなたのお願いは?』
「そうだな……。お前に幸せになってほしい」
あまりにも柄にもないことを言ったことに気付き思わず赤面した。
しかし、それは心からの願いだった。
『だったら、簡単よ。依頼を終わらせて。そうすれば私は満足よ』
満足と幸せは同義語だろうか?
どちらも味わったことのない俺にはよくわからなかった。
*
数か月などあっという間に過ぎた。
彼女と話をすることは、失われた過去を取り戻せるようで心が満たされた。
だから、別れが突然に思えた。
彼女の病状は確実に進行し、ついに昏睡状態となった。
覚悟を決めなければならない。
この機会を逃しては、連れて行かれてしまう。
彼女が望まぬところに、望まぬ形で……。
彼女の願いを叶えことができるのは、俺しかいない。
それがうれしくもあり、悲しかった。
夕闇の中、一発の銃弾に想いを込める。
――― どうか、彼女が天国で幸せになれますように……。
小さな銃声とともに、命の手ごたえを感じる。
彼女の願いと俺の願いは叶ったんだ。
そうだろう?
少なくとも、今はそう思いたい。
銃を下し、堪え切れずに天を仰ぐと、星がにじんで見えた。
E N D
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