風に向かう花(ファンタジー、姫、用心棒)

お題:意味


「今日からお前の名前は『サンダー・ソニア』だ」

 シルヴァン・ウルフが静かに告げたとき、14歳だったフィオレはその名が体に染み渡るのを感じていた。



 荒野を渡る風の音。


 揺れるオレンジ色の釣鐘花。


 新しい太陽。


 生まれ変わった瞬間を、

 今でも鮮明に覚えている。




   * * *



 

 数日前、偶然にも荒れ野で倒れていたフィオレを救ったのは、銀髪のシルヴァン・ウルフと呼ばれる用心棒だった。

 やっと起き上がれるまでに回復した少女を、ウルフは無理やり外へ引きずり出し剣の稽古をつけようとした。

「死にたくないなら、腕を磨け、復讐がしたいなら苦痛に耐えろ!」

 亡国の末姫だったフィオレは、他人に怒鳴られることなど初めてのこと。

 しかし、十歳は年上と思われる男に怒声を浴びせられても表情は変わらなかった。

(今までのわたしなら、震えて泣き叫んだでしょうね。けれど、今は何も感じない。

 ここにたどり着くまでに、心が死んでしまったのかもしれない……)

 少女は、髪が強風で絡まることも気にせずに思った。

 両親である王も王妃も殺され、姉姫たちとも別れ、城を追われ一人残されたフィオレはわずかな騎士に守られて逃げ延びた。

 けれどその途中、敵に討たれ彼らは次々に死んでいった。

(ジェイドも、私のために命を落とした……)

 フィオレは、大きな瞳をぎゅっとつぶる。

 ジェイドとは、姫付きの親衛隊長であり、彼女が密かに想いを寄せていた相手だった。


 彼の最後の言葉が思い出される。

 血で汚れた精悍な顔、荒い息の下で発せられるかすれた声。

『決して自ら命を絶ってはなりません。姫が生き延びることが国王や皆の願いなのです。苦しくとも、どうか生きてください。私の姫……』

 そして、彼は一振りの剣を姫に託した。

 フィオレはすぐにでも、その剣で騎士の後を追いたかった。

 しかし、愛する者の最後の願いを破り、自らの命を絶つことはどうしてもできなかった。


  *

 

 不意に、想い人との別れを思い出しうずくまるフィオレ。

 足元に咲く花など、気づきもしない。

 何もかもが色あせ、現実味を持たないから……。

 ウルフは、フィオレの胸倉を掴み無理やり立ち上がらせ氷のような瞳で見据えた。

「毎日怯えて過ごすことは、生きるより苦痛だ」

 彼にはその経験があるのだろうか?

 辛酸を嘗めたかのように顔をゆがめたウルフを見て、フィオレはそう感じた。

 けれども、次の瞬間には、ウルフの瞳には迷いのない切っ先のような鋭い光があった。

「剣で身を立てる覚悟がないなら、俺がこの場でお前を殺してやる」

 フィオレは、目を見開き息を呑んだ。

 ウルフは、確かに行き倒れていたフィオレを助けた。

 だが、それはどこか距離を感じるものであった。

 彼女はその態度を、命からがら逃げてきた厄介者の姫君をいつ売り渡すか考えているのだと思っていた。

 それならそれでかまわないとフィオレは思っていたが、次第にそうではないことが分かった。

 必要以上には近づかないのは情が移ることを避けてのこと。

 野生の動物を助けたときのように、自分で生きられるようになれば手放すことを考えているからだ。

 もしくは、生きられるようにならなければ、殺すことも厭わないのだろう。

 助けてもらってから気になっていた違和感がようやく理解できたような気がした。


「お前が鍛錬を怠れば、敵国の兵につかまり嬲り殺される。これは、俺の慈悲だ」

(わたしは本当に生きたいのだろうか? 周りの騎士たちに守られて、ここまで生き延びたけれども、そんな価値のある人間じゃない。ただの無力な小娘。けれど、皆に守られた命だから、ジェイドとの最後の約束だったから……自ら命を絶てなかっただけ)

 足元に咲く花は、強い風に揺れている。

 

 フィオレは、騎士の形見の長剣を抱き寄せたが抜き放つ気配はなかった。

「わたしは、死ぬわけにはいかないわ……」

 ぽつりとつぶやいた力ないフィオレの言葉をウルフは聞き逃さなかった。

「『死ぬわけには』ね。お前は本当にお姫さんだな。なんにもわかっちゃいない」

 彼の声には、怒りと侮蔑が込められていた。

 フィオレは、困惑しながらウルフの顔を見上げた。

「『死ねない』っていうのと、『生きたい』ってことは違うんだ」

「言っている意味がわかりません。わたしは、死にたくないし生きたいと思っています」

「それが、本気かどうか見せてみろ。俺を納得させたらお前に剣を教えてやる。生きていけるだけの強さをお前にやろう」

 ウルフの傲慢なもの言いにフィオレはあきれ果て、同時に彼ならば本当にそれが出来るような気がした。

 自分をただの『深窓の姫』から、一人前の『女剣士』に変えることが。

 

   *


「さあ、かかってこい」

「嫌です。剣は人を殺めるもの」

「それは分かってるんだな。身をもってというところか? けどな、生きるっていうことはその剣で敵の命を、人間の命を奪うってことだ。

 なら、まず俺を殺れ。俺は、さっきお前を殺すといった。生きたいなら戦え」

 彼は、研ぎ澄まされた長剣を抜き放った。

 そして、殺気で身動きひとつできないフィオレの髪をいたぶる様に剣で払う。

 やわらかな長い髪が地に撒かれる。

 ウルフは、間を置かず姫の喉下に剣を据え嗤った。

「剣は、抜かなければ役にたたん」

 一瞬の鋭い痛みに、彼女は我に返った。

(こんなところで死にたくない!)

 反射的に後方へ飛び退くと、騎士の形見の剣をぎこちない手つきで鞘から抜く。

 少女の細腕には、鋼の剣は重すぎる。

 構えようとすると、切っ先が勢いよく地面を突いた。

(なんて重いの? これが命の重さなの?)

 フィオレはその重さを確かめながら、足を肩幅に開き、渾身の力を込め両手で剣を正面に構え直した。

(生きるためには、この剣を振るわなければならない!)

 後のことは、よく覚えてはいない。フィオレは見よう見まねで無我夢中で剣を振った。

 何度となくウルフに剣を叩き落とされ、小さな手は痺れ、次第に剣を握ることも難しくなってきた。

 しかし、肩で息をしながらも、彼女は剣を放そうとはしなかった。

「どうした? 休んでいる暇はないぞ! 来ないなら俺が行く」

 剣を構えるだけで精一杯のフィオレをウルフの剣が襲う。

 閃光のような剣が袖を刻んだ。

 焼けるような鋭い痛みと共に、白い腕にうっすらと血がにじむ。

 浅いながらもその身に確実に傷をつけられ、フィオレの鼓動は速くなる。

(こんなところで、死ねない。

 こんなところで、死ぬわけにはいかない。

 こんなところで、死にたくない!)

 辛うじてぶら下がる袖を引き裂くと、痺れている手と剣に巻き付け歯で縛り上げた。

 これで、剣が手から離れることはない。 

「わたしは、もっと生きたい……。

 生きたいの!」



 フィオレは、翡翠の柄石が光る剣をきつく握ると先へ進むことを、生きることを選んだ。

 切っ先をまっすぐに、ウルフに向ける。

 彼女の目の前に見えていたのは、助けてくれた恩人の姿ではなかった。彼女の大切な者達を奪った敵国の兵であり、彼女をずっと追って来た死に神の姿だった。

「はぁぁっ!」

 フィオレが、掛け声と共に剣を振るうとウルフはその手ごたえに満足そうに口の端を上げた。

 フィオレが剣にこめている力は、彼女の持てる力すべてだと感じたからだ。

 全身全霊で生きたいと叫んでいる。

 再び剣を交えたとき、ウルフは遠慮なく横に薙いだ。

 彼の剣撃を受け、立っていられるものなど大の男でもそういない。フィオレは剣ごと勢いよく吹き飛んだ。

 か細い体はしたたか地面に打ち付けられ、気が遠くなる。

 フィオレが意識を失う前に目に映ったのは足元に咲いていたオレンジ色の釣鐘花。

 すべてが色あせて見えていた昨日、けれども、今は力強い朝日のようなその花の色が分かる。

(わたしは、生きていいのね……)

 何かに許されたとフィオレは思った。

 安堵の涙が一筋こぼれ、頬をつたい地を潤した。

 それは、とても暖かな涙だった。

 ウルフは、大きな手で涙を拭ってやると、気を失ったフィオレを抱き上げた。

 死に神が去った少女は、とても安らかな顔をしていた。

 


   * * *


 

 翌日、フィオレが目覚めるとベッドの上だった。

 壊れた人形のようにぎこちなくしか動けず体中に痛みを感じたが、頬の擦り傷も腕と喉の刀傷も手当が施されていた。

(生きているということは、ウルフはわたしのことを認めてくれたの?)

 フィオレは、重いまぶたを開け天井の木目をぼんやりと見つめた。


「目が覚めたか」

 扉を開け入ってきたウルフを見て、フィオレは反射的に体を起こしそうとしたが、めまいで頭を抱えた。

「熱があるんだ、寝てろ」

 ウルフに促され、フィオレはベッドに沈み込んだ。

「ありがとうございます」

「ふん。そう言ってられるのは今のうちだ。熱が下がればすぐに剣の稽古だ。生きていることを後悔するかもしれん」

「後悔などしません」

 フィオレは、新緑の瞳で真っすぐに見つめ返した。



 熱のある額に冷たいタオルがあてがわれた。

「お前は過去を捨て生まれ変わる。覚悟は出来ているな?」

 フィオレは、力強く頷く。

「今日から、お前の名前は『サンダー・ソニア』だ」

 ウルフがそう告げたとき、フィオレはその名が体に染み渡るのを感じていた。

「あの荒野に咲く、オレンジ色の釣鐘花の名だ」

 窓の外に目を向けると、荒野に群生する鮮やかな花が目に入った。

「花の名前だって聞かなかったら、なんだか強そうね」

 彼女はくすくすと笑った。

 城を追われた日々を忘れたわけではなかった。

 けれど今、自然と笑うことが出来た。

 ウルフも、満足そうに口元を上げた。

「笑ってる暇などない。お前はこれから、自分の身は自分で守らなければいけない。お前の国はもうない。お前の騎士も一人もいない。言っておくが、俺は剣は教えるが、お前の騎士になるつもりは微塵もない」

 その言葉が何よりも、フィオレにとってうれしかった。

(この人は、わたしの為に死ぬことはない。もう誰も、わたしの為に命を落とすことはない)

 フィオレは、ソニアとして生きることを選び、心の中で強く誓った。

(強くなろう。そして、わたしの為に命を落とした者たちの分、他人を守れる強い人間になろう)



   * * *



 決して折れることなく、風に向かうオレンジ色の釣鐘花。



 すべてを捨てて生き直せと言ったウルフ。

 けれど、名前にだけは彼女の『心』を残してくれた。

 


 ――― サンダー・ソニアの花言葉は『望郷』



 その事実を知るのは、厳しい稽古に耐え、彼女が独り立ちする数年後のこととなる。







   E  N  D



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