もう一度、恋してもいいですか?(SFちっく、記憶喪失、カップル)
らんさんの本日のお題は「ラベル」、切ない作品を創作しましょう。補助要素は「想い出の場所」です。
SF設定でいろいろ説明を入れようと思いましたがやめました。高度に医療技術の発達した近未来。脳や四肢の怪我も義肢装具で補える。宇宙旅行も可能な時代という感じです。
* * *
私は、3年分の記憶を失った。
いわゆる『記憶喪失』というものとは違う。
記憶喪失なら、記憶が戻る可能性がある。
けれど、私の場合はそうはいかない。
記憶が失われたというより、事故が原因で脳の一部を損傷したから。
けれど、生命を維持する脳の機能はいくらでも機械で補える。そういう医療の発達した世の中であっても、記憶を再生することはできない。
……そう、記憶はもう二度と戻らない。
ただ、幸いなことに26歳の私の記憶の近々3年など、失ってもさほど問題はない。
学校で勉強した10数年や自分のアイデンティティを脅かしかねないような記憶を持っていかれたのではやり直すのは大変だったろう。
鏡を見ても自分を認識できるし、大人として生きて行けるだけの知識は消えていない。
3年では、容姿もあまり変わらないと思いたい。以前はセミロングを好んでいた髪が治療のために短くなったくらいだ。
入院中に少し痩せたことに加え、頭に巻かれた真っ白な包帯がさらに痛々しく見えるが、自分ではあまり悲観した気分ではなかった。
命を失ってもおかしくない事故の中、運が良かったと周りからも言われるし、自分でもそう思う。
仕事の内容や職場の同僚などもまったく覚えていないが、もう一度覚えればいいし、どうしようもなければ転職してやり直せばいい。
記憶だけでなく、まだ体も自由には動かせないがリハビリをすればすぐに回復するらしい。
前向きに生きようと気持ちが落ち着いてきたころ、病室に一人の男性が現れた。
*
見舞いに来たのは、ラグビーでも似合いそうな体躯の大男。
「俺のこと覚えてないか?」
私より少し年上だろうか? 一度見たら忘れないだろう。怖そうにも見える面構えのこの人とどこで面識があったのか……。思い出そうとしたが、何の情報も出てこなかった。
私が意識のないときも何度も見舞いに来てくれたそうだが、記憶の欠落に伴うカウンセリングが終わらないことには面会が許されず、家族以外の面会許可が下りた今日飛んできたそうだ。
私の瞳にひとかけらでもいい、自分の姿が残っていることを願う彼の視線に耐えられずに私は目をそらした。
「どちらさまですか……?」
その言葉に、彼は目を見開き落胆を隠しきれずにうな垂れた。
失われた3年にいた人なのだろうか?
私には、目の前の男性が誰か分からない。
「そうか……。そうだよな。生きていてくれただけで奇跡なんだから」
そういいながら私へ伸ばされる大きな手にぼんやり見入った。
この手はどこに置かれるのだろう、それによってこの人とどういう関係なのかわかるかもしれない。知りたい。そう思った。
その姿が不審そうに映ったのか、不安そう映ったのか私の視線に気づいた彼は伸ばした手を所在なくひっこめ、自分の太い首の後ろあたりを掻いた。
「その、何から話せばいいか。俺との記憶はまったくない? 付き合う前や出会ったばかりのころのことも覚えてない?」
付き合う……。ということは、私の彼氏だったの?
だとしたら、さっきの手は抱き寄せようとしたのかしら。
なんとも不思議な気持ちになる。
正直、アイドル系の優男がタイプだった私がどうして彼と付き合うことになったのか想像もつかなかったから。
「3年前に出会って、俺たちは付き合っていた」
「そうなんですか?」
「ウソをついてどうする……」
そうとうショックなのか、少し目がうるんでいる。
あわわ。大の男を泣かせてしまった。
そんな顔しないでよ。
私だって、失くしたくて記憶を失くしたわけではない。
けれど、失ったものがどれほど大きなものか私にはわからないから、悲しみも寂しさも共有することはできない。
「……ごめんなさい」
いったいどんな出会いと月日があってこの人を好きになったのか興味はあるが、聞いたところで思い出がない私は、この人ともう歩いていけないかもしれない。
だったら、聞かない方がいい。
そう思ったら胸がきゅうと締め付けられた。
――― 失ってもさほど問題のない3年。
頭ではなく、心が私の考えを否定しようとする。
本当にいいの?
「顔色が良くない、休んだほうがいいな。記憶が戻らないことは聞いていたのに確かめずにはいられなかった。すまない」
彼は、ごく自然に私に触れベッドに横たえた。
暖かい手を背に感じ、安堵する自分がいることに驚く。知らない人の手を借りたのに安心するなんて……。
「退院したら、一緒に思い出の場所に行ってみないか? もう一度、チャンスをくれ」
彼はそう言い、笑顔なのか泣き顔なのか判断が難しい顔で去っていった。
*
彼が連れてきた場所は、普通の公園だった。
池があり、木々が多い、都会のオアシス。
犬の散歩をする人やジョギングをする人、子供連れの家族が通り過ぎて行く。
見慣れた風景なのだろうか、とても落ち着く。
「疲れただろう? 飲み物を買ってくるよ」
まだリハビリ中でぎこちなく動く私の手を取り、ベンチへ座らせた。
彼が買って来たのは見慣れないラベルの缶コーヒーだった。
私はコーヒーがあまり好きではなかったはずなのに……と不思議に思い眺めていると私がよく好んで飲んでいたものだと彼が教えてくれた。
飲んでみると、バニラの香りがする甘いコーヒーでどこか懐かしい味がした。
湯気の向こうで彼はぽつりぽつりと二人が出会ってからこれまでの話を聞かせてくれた。
勤め先が同じですれ違うだけの間柄だったが、私が困っていた時に彼が助けてくれて、以来お礼だなんだと行き来しているうちに付き合うようになったとか。
話を聞いていると、確かに私が言いそうな事やりそうなことばかりだった。
出会った頃の思い出話を楽し気にしていた彼だったが、次第に今にも泣きだしそうな切ない表情になっていった。
どうしてこの人は、辛そうなんだろう。
この人は、記憶を失ってない。
そう、私と違い何も失ってないのだから辛いわけがない。
大切なものを失い悲壮な顔をしていいのは、私のほうだ。
けど、私にはできない。失ったものが何かわからないのだから。
その重さも、大切さも、愛おしさも私には理解できない……。
――― 本当にそうなのだろうか?
何者にも揺るぎそうもない彼が、こんなにも傷ついた顔をしているはなぜか考える。
この人を通じてなら、私には何を失ったのかよくわかる。
彼にとっては、とても大切なものを私は持っていて、それを失くしてしまったということが……。
彼の痛みは、私も感じるべき痛み。
この人にこんな顔をさせたくはないと、脳ではなく心が言っている気がする。
ラベルに見覚えはないコーヒーに覚えがあるように、記憶がなくとも体が覚えていることもあるのだろうか?
自然と体が動いて、彼の大きな手に自分の手を重ねていた。
「あなた、見かけによらず涙もろそうね」
「いつもお前が泣かせてるんだよ。
他の誰も、俺を泣かすことなんてできない。俺を傷つけられるのはお前だけだ」
「あなたのこと、忘れてしまって本当にごめんなさい……」
「謝らないでくれ。でも、ここで終わりにしないでほしい。俺の記憶がなくても君は君だ。記憶がなくてもかまわない。俺にもう一度惚れてくれとも言わない。
だからもう、勝手に死にそうな目に合わないでくれ。それだけは約束して欲しい」
そう言うと気持ちが抑えられなかったのか、彼が強く私を抱きしめた。
私だって、好きで事故に巻き込まれたわけではない。
失いたくて記憶を失ったわけでもない。
でも、この懇願はひどく胸に響いた。
抱すくめられて、身動きできないままただコクンとうなずいた。
暖かい胸の内。心地良いぬくもり。
守られているという感覚がひどく懐かしく涙があふれてきた。
記憶が欠けていても、体が覚えていることがある。
失っていい記憶なんてなかった。
どれも皆、大切な記憶だったはず。
だからこそ、まったく同じではなくとも、少しでも上書きして取り戻したい。
そんな『欲』が出てきた。
生きる意欲かもしれない。
――― 記憶は失っても、この人を失ってはダメだ。
脳ではなく、体が、魂がそう訴えている気がした。
「あの、もう一度、あなたに恋をしてもいいですか?」
私は、勇気を出して彼の広い背に手を回した。
E N D
***
スカイフック管理会社の受付嬢のきれいなお姉さんと、ごつメンだけど優しい警備員の兄さんのカップルというイメージです。
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