第七章(2)以洋、槐愔に叱られる

 まだ意識が戻っていない振りをしたい。病院で目が覚めた瞬間から、以洋イーヤンの頭にあるのはそれだけだ。

 夏春秋シア・チュンチウ葉冬海イエ・ドンハイ、それに杜槐愔ドゥ・フアイインまで病室に来ている。ベッドの上で小さくなった以洋イーヤンはびくびくしながら、先に謝ることにした。

「ご、ごめんなさい……」

 意外なことに春秋チュンチウは何も怒っていないように見える。

「ビルから突き落とされた立場なのに、何を謝ってんだお前は。大きな怪我がなかったのは運が良かったんだぞ。一つだけ言っとく。今後は二度と気軽に人と話をつけに行ったりすんな」

 眉を顰めながらそれだけ言われ、以洋イーヤンは呆気に取られたが、ここは自分からは何も言わない方がいいと判断して頷いた。

「うん……」

「無事だったんだからいいさ。あんまり怒ってやるなよ」

 冬海ドンハイがそっと以洋イーヤンの頭を撫でる。

「まだ痛むか?」

 慌てて以洋イーヤンは首を横に振った。

「痛くない、痛くないよ。もう全然痛くないから」

 春秋チュンチウがそんな以洋イーヤンを睨む。

「痛くないって言うんなら俺が殴ってもっと痛くしてやろうか?」

「……ほんとはまだ痛い」

 しょんぼりと答えた以洋イーヤンに、春秋チュンチウも表情を緩めた。

「退院したらうちに顔見せに来い。俺は外ではあんまり長時間過ごせないからな」

 頭を撫でながらそう言われ、以洋イーヤンは大きく頷く。

「僕は大丈夫だから、春秋チュンチウは早く家に戻って」

 冬海ドンハイが笑って以洋イーヤンを軽く叩いた。槐愔フアイインに挨拶をし、春秋チュンチウを連れて先に帰っていく。

 病室に残った槐愔フアイイン以洋イーヤンを睨めつけ、椅子を引っ張ってきて腰を下ろした。

「千慮の一失って言葉、お前知ってるか? 過度な自信は身を亡ぼすんだよ」

 槐愔フアイインの声はまだ静かな方だったが、以洋イーヤンは上掛けで顔を半分隠しながら小さく頷くのが精一杯だった。

「ごめんなさい」

「お前が謝るべき相手は俺じゃねえよ。お前の行動に死ぬほどショックを受けながらそれでもお前の行動を隠そうとしてくれたあの先輩と、お前を失うかもしれなかったお前の家族、そしてお前を愛してる高懷天ガオ・フアイティエンに謝れ」

 厳しい眼差しで槐愔フアイイン以洋イーヤンを見据える。

「こんな危険な真似をするようお前に教えた覚えは俺にはないし、聚魂盒じゅこんばこはこんな使い方をするもんじゃない。聚魂盒じゅこんばこはお前の命を守ることができる。ただし、命だけでもあるんだ。盒の中のあいつらが今日、お前が植物人間になろうが手足がちぎれようが気にしなかったとしたら、お前どうする気だった?」

 以洋イーヤンは愕然とした。そんなことは考えたこともない。少し想像しただけでも心底からぞっとして、項垂れながら以洋イーヤンは自分の馬鹿さ加減を心の中で罵った。

 槐愔フアイインが溜め息を吐く。

「今回の件は解決したが、お前が使ったのは最悪な方法の一つだ。同情にも限度ってものがある。お前は自分があいつを救ったと思ってるが、事実上は決してそうは言えない。そしてその結果はお前が自分で背負わなきゃならないんだ。お前はこの先一生、この件を覚えておけ。実際にはお前は決してあいつを救えてなんかいないんだってことを」

 冷たい眼でこちらを見ている槐愔フアイインが何を言いたいのか、以洋イーヤンにはよくわからなかった。しかし、槐愔フアイインもそれ以上話す気はないらしい。そのまま立ち上がるとドアを開け、易仲瑋イー・ヂョンウェイ楊君遠ヤン・ヂュンユエンを中へ通して、自分は帰っていってしまう。

「先輩……」

 申し訳なさでいっぱいになり、以洋イーヤンは顔が上げられなかった。

「大丈夫なのか? 聞いた時には肝が冷えたよ。まさかホー教授がそんな真似をするなんて」

 仲瑋ヂョンウェイもそっと以洋イーヤンの頭を撫でてくれる。その反応にきょとんとなった以洋イーヤンは、顔を上げて君遠ヂュンユエンを見た。視線の先で君遠ヂュンユエンは何も言わず、ただ微笑んでいる。何を言えばいいかわからなくなった以洋イーヤンの目から、涙が溢れ出した。

「おい、泣くなよ! 痛むのか?」

 慌てて仲瑋ヂョンウェイ以洋イーヤンを泣き止ませようとする。その焦った表情を見ながら、不意に以洋イーヤンは理解した。自分がどれだけ馬鹿な真似をしたのかを。

 君遠ヂュンユエン以洋イーヤンが今日、どれだけのショックを与えたか、それをもし仲瑋ヂョンウェイが知ったなら、きっと仲瑋ヂョンウェイはもう二度と以洋イーヤンのことを許してはくれないはずだ。

 そしてもし仲瑋ヂョンウェイが目の前で飛び下りたりしたら、自分がどれだけ取り乱すか、以洋イーヤンは自分でも想像がつかない。君遠ヂュンユエンに対してどれほどひどい真似をしたのかをようやく以洋イーヤンは実感していた。

 自分は単に過剰な自信に基づいて、あれが最上の解決方法だと、そう思い込んでいただけだ。

「先輩、ごめんなさい……、ごめんなさい……」

 こらえられずに泣き続ける以洋イーヤンの頭を仲瑋ヂョンウェイは苦笑しながら撫でてくれる。

小陸シアオ・ルー、どうしたんだよ。なんで謝ってるんだ? ほら、泣くなって」

 小さく溜め息を漏らした君遠ヂュンユエンが、仲瑋ヂョンウェイを軽く小突いた。

小易シアオ・イー、ちょっとコーヒー買ってきてくれないか?」

「え?」

「ほら、早く」

 訳がわからないという顔をしている仲瑋ヂョンウェイを、君遠ヂュンユエンが強引に病室から押し出す。

 何か以洋イーヤンに話す気なのだと、それで仲瑋ヂョンウェイも察したらしい。仲間外れにされるのには若干不満そうだったが、それでも苦笑しながら大人しくコーヒーを買いに行った。

「ほら、もう泣くなって」

 ティッシュを何枚か引き出して君遠ヂュンユエン以洋イーヤンに渡してくれる。

小易シアオ・イーを心配させたくなかったから何も言わなかったけど、心臓が止まるかと思ったよ」

 やるせなげな声でそう告げた君遠ヂュンユエンを、以洋イーヤンは見上げた。

「先輩、本当にごめんなさい……」

 今涙を拭ったばかりだが、視界はまだ霞んでいる。

「ビルの下にすぐ駆け下りたのに君の姿は見つからないし、いったいどうしたらいいのかと。誰に電話するべきなのかもわからないし、小易シアオ・イーに知らせるわけにもいかないしさ。それでとにかくリビングで君を待っていようと思って。そうしたらテレビで、ホー教授が学生を校舎から突き落としたってニュースが流れたから、これはたぶん君のことだと。病院に駆けつけてみたらやっぱり君だったんで、それでようやく小易シアオ・イーにも連絡したんだよ」

 そう説明した後、少しして君遠ヂュンユエンがまた口を開いた。

「君がどういうことをやっているのかは俺には理解できてないけど、君がやるべき何かのために君が命を掛けたんだってことは少なくともわかってるし、その点については俺は君を尊敬してるよ」

 付け加えられたその言葉に、以洋イーヤンは目を瞬かせる。涙がまた勢いよく零れ落ちた。

「僕はただ……馬鹿な真似をしただけなんです。……結局は何も、やり遂げられなくて……」

「それでもそれをやったってことがすごいと、俺はそう思う。だって命懸けで何かをやろうとしたなんて記憶、俺には一つもないからね。それに少なくとも、それだって一つの経験だよ。次は間違ってた部分を直せばいいんだ」

 微笑みながらそう口にした君遠ヂュンユエンが、次の瞬間、苦笑する。

「けど、可能なら、俺の前ではもう二度とビルから飛び下りないでほしいんだけど……」

「しません。もうこんな、馬鹿な事……」

 もう一度以洋イーヤンは涙を拭った。

「ありがとうございます、先輩……。許してもらえなかったらどうしようって怖かった……」

「君があんなに頑張っているところを見ちゃったらね。あれを見たら誰も君を責めることなんてできないと思うよ、俺は」

 君遠ヂュンユエン以洋イーヤンの頭を撫でてくれたタイミングで、仲瑋ヂョンウェイがコーヒーを買って帰ってくる。

「じゃ、俺たちは帰るから、君は何も考えずにゆっくり休んで」

「はい、先輩。ありがとうございます……」

 またもや涙ぐみながら以洋イーヤン君遠ヂュンユエンに挨拶した。

「え? 俺、今帰ってきたところなんだけど……」

 コーヒーを手にした仲瑋ヂョンウェイが目を白黒させている。そんな仲瑋ヂョンウェイをまた病室から押し出したところで、君遠ヂュンユエンはふと何かを思い出したようだった。

 荷物の中から缶入りの何かを取り出し、戻ってきて以洋イーヤンに手渡す。

「なんですか?」

 以洋イーヤンは袖で涙を拭った。

「酒粕。君、買い忘れたって言ってたから。……俺の聞き間違いじゃなければ」

 君遠ヂュンユエンが微笑む。

「お見舞いに何を買うべきか悩んでさ、それで君が買いたがってたものをと」

「あ、今日って冬至だ……」

 以洋イーヤンもようやく笑顔になった。

「ありがとうございます、先輩」

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