第六章(2)以洋、幽霊と約束をする
キャンパス内に街灯が灯り始めた頃、ようやく学生らしい年頃の女性が一人、研究室から出てくる。見覚えのある顔の持ち主だった。
あ、今朝、
どこで会ったのかを思い出す。
どうやらもう帰るらしい彼女の後をこっそりとつける。まだ営業中だったキャンパス内の野外学食に入った彼女が、注文した料理をカウンターで受け取り、席に着いた。そこまで待ってから、
「すみません、ちょっといいですか?」
声に反応して女生徒が顔を上げ、笑顔で立っている
「……何か用?」
「僕は
躊躇いがちに問い掛けてきた女生徒にそう返し、
「僕がなんであなたに会いに来たか、その理由はわかりますよね?」
穏やかな口調を
「わからないわ……あれは私とは関係のないことだもの。彼がお金を盗ったって言ったのは教授よ。私じゃない」
ようやく彼女が口にした言葉に、思わず
「でもあなたは知ってますよね? 実際には、誰がお金を持ち出したのかを。もし知らないなら、帳簿なんてどうやってつけてるわけ?」
「あなたが私に何をさせたいのか知らないけど、現実には私は何もしてないわ。私はまだ卒業してないし、卒業できるかどうかは教授次第よ。私の家が金持ちだとかいう噂があるけど、実際には私の父は私が院に進むことにただ頷いただけ。卒業までの学費は私が自分で払ってるの。卒業が延びればその分私の出費も増えて、海外留学する機会も消える。あなたに手は貸せないわ。悪いわね」
口早に言い終え、夕食の載ったトレイを手にしてその場を離れようとする彼女に、
「留学の機会が、とか口にしないでくれます?
その場で凍りついた彼女に続いて、
「何かをするようにあなたに強制することは僕にはできないけれど、もしあなたが何もせずにやり過ごす気なら、この件はずっとあなたにつきまといますよ。あなたは一生罪悪感から逃れられない。さっき、
呆然とした顔で女生徒が
「
蒼白な顔で立ち竦んでいる彼女を、やりきれない思いで
「こんな言い方をするのはひどいって僕もわかってますし、罪悪感をネタにしてあなたを動かしたいわけでもないです。でも罪悪感っていうのは、あなた自身が自分の行動を間違いだと思った時に初めて生まれるものですよね。自分の行動が間違っていたって、もしもあなたがそう思っているなら、どうかそれを正してください。後に残されてしまった
言いたいことを全て言い終え、その場を後にする。
歩きながらまた溜め息が零れた。彼女と話したことが無駄だったか無駄でなかったかはわからない。自分の言葉がどこまで彼女に届いたかもわからない。
それでも、これは良心の問題だ。もし、誰にも影響がなかったなら、教授が研究費を横領するのをただ見過ごして済ませることもできただろう。
しかし何の罪もない人がそのせいで死んでしまった今となっては、どうあってもこの件に目をつぶるわけにはいかない。この間違いをそのままに捨て置くことはできなかった。
『お前さ、なんでこんな余計な真似すんだよ?』
あ、起きたみたいだ。
「君のお母さんのためだよ。君のためじゃなく」
並木道を歩きながら、どこかやるせない気持ちでそう答える。緩やかな風が正面から
「けっ! 親切ぶりやがって。てめえに礼なんか言わねえからな」
「感謝なんてされたらそれこそ不気味だよ。……僕は単に君に置いていかれたお母さんが気の毒なだけ。まさか銀行からお金借りて、君が使い込んだわけでもない研究費を返そうとしてるだなんて。君、知ってた?」
『……』
むっつりと訊ねた
「僕にどうしてほしいのか、言ってみてよ。僕にできることなら手伝うからさ」
真剣な顔でそう提案した
『てめえのおせっかいなんざいらねえよ。ビルから飛び下りろって俺が言ったらお前も飛び下りるのか? できもしないこと言ってんじゃねえや』
……そもそも一番最初に、君と一緒に飛び下りてるんだけどね……。
「僕がビルから飛び下りたって、それは君にとってなんにもならないだろ? なんでそういう無意味な条件出すのさ?」
「なんで無意味なんだよ、やな野郎だな! お前が俺みたいにビルから飛び下りる勇気を持ってるってんなら、俺だってお前から離れてやるよって言ってるんだ。俺ほど高いところからじゃなくていいぜ。お前が今晩泊まるのって、あれ六階だろ。あれで充分だ。やれるか?』
そんなのは勇気があるって言わない。馬鹿って言うんだよ……。
「わかった。僕が飛び下りたら君も出ていくって言うんなら、それでいいよ。けど、嘘吐きとか言われないように先に言っておくけど、六階から飛び下りても僕はたぶん死なないからね」
そう言って
「ふん、度胸もないくせにごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ。お前がマジに飛び下りたなら、虫の息になってようが骨折しただけで済んでようが、無条件に離れてやる」
「OK、約束成立だ。もし、君が約束を破ったら……僕は
『誰があいつのことをまだ愛してるだと!』
痛たた……痛、痛いって……。
またもや
キャンパスを出た
しかし少し考えただけでも落ち着かない気分になってくる。これはやっぱり間違ったやり方なのではないだろうか。たとえ……何事も起きないはずだとしても。
胸元の
君達は……あの日みたいに僕を守ってくれるはずだよね……。
大きく
そもそも、
それで
小さく溜め息を吐いた後、少し切ない気分で
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