第六章(3)以洋、懷天と夕飯後に散歩する

 一緒に夕飯を食べた後、以洋イーヤン懷天フアイティエンは店の傍の公園を散歩した。夜なので通行人もそう多くはない中、懷天フアイティエンに手を引かれてぶらぶらと歩く。

「この後はまた講習に戻らなきゃならないんだよね?」

 繋いだ手を握り返しながら以洋イーヤン懷天フアイティエンの顔を見上げた。

「そうだよ。でも今日が最終日だから、明日からはいつも通り家に戻れる」

 笑ってそう言った懷天フアイティエンが、以洋イーヤンをもう少し傍に引き寄せる。

「うん……」

 頷いた後、以洋イーヤンは続けて訊ねてみることにした。

懷天フアイティエンの仕事って危険だよね? 銃撃戦があったり、犯人と対峙したりとかするし……」

 懷天フアイティエンが面白そうに以洋イーヤンを見つめる。

「なんで突然そんなこと考えたの?」

「ええと……」

 少し考えてからまた以洋イーヤンは口を開いた。

「心配だから、かな。でも懷天フアイティエンはプロだし、経験も豊富なお巡りさんだから、僕もそんなに心配しなくていいわけなんだけど」

 懷天フアイティエンの足が停まり、振り返った懷天フアイティエンが今度は訝し気に間近から以洋イーヤンを覗き込んでくる。

「それって、何が言いたいんだい?」

「うう……」

 どう答えるのか適切なのかひとしきり以洋イーヤンは悩んだ。

「つまり……懷天フアイティエンのどんな仕事にも危険はあるわけで、だから……」

「だから君もまた何か危険なことをしようと思ってるってわけ?」

 あっさりと以洋イーヤンの言葉を断ち切って、やるせなげな眼を懷天フアイティエンが向けてくる。耐えきれずに小さくなった以洋イーヤンは、それでもしばらく俯いた後にもう一度顔を上げて懷天フアイティエンを見つめた。

「あなたが犯人から逃げないのと同じだよ。どんな凶悪な犯人が相手でも、だからって懷天フアイティエンは犯人の前から逃げ出したりしない。それはそういう犯罪者とどう向き合えばいいかを懷天フアイティエンがわかってるからだよね。僕が今からしようとしてることも同じなんだ。傍から見ればものすごく危険なことをしてるように見えるかも知れない。でも僕は、どうやれば自分の身を守れるかちゃんとわかってる」

 懷天フアイティエンの表情が少し和らいだのを確かめ、以洋イーヤンは更に言葉を続ける。

「だから……心配してほしくないから、先に言っておこうと思って。少なくともあなたには、僕のすることを信じていてほしいから」

「それなのに君が何をする気かは俺に言わないわけ? それじゃ俺だって信じようがないじゃないか」

 やるせなさげにそう言いながら懷天フアイティエンが手を伸ばし、以洋イーヤンの頬を摘まんだ。

「痛た……痛いよ」

 そのままぎゅっと頬をこねられ、悲鳴を上げた以洋イーヤンは慌てて頬を取り戻す。

「だって……説明したら絶対心配するだろうし……、あなただって僕に、犯人と対峙する時はこんな風にするんだなんて詳しく説明したりしないでしょ」

 頬をさすりながらの以洋イーヤンの反論は正論だったらしく、懷天フアイティエンも眉を顰めはしたがそれ以上言い募ろうとはしない。

「大丈夫だって言うのは、本当に確かなんだね?」

 至近距離から以洋イーヤンの目を見つめての懷天フアイティエンの問いに、真剣な顔で以洋イーヤンも頷いた。

「うん。大丈夫だって自信を持って言える」

 それでもまだ懷天フアイティエンはどこか苦しそうな顔で以洋イーヤンを見ていたが、やがてまた以洋イーヤンの手を引いて歩き出す。

「なら、俺ももう何も言わないよ。怪我をしないように気をつけてくれればそれでいいから」

「うん!」

 大きな声で力強く以洋イーヤンは答えた。

 ただし、この点についての自信は実はない。死にはしないだろうけれど、ちょっとしたかすり傷くらいは負うかもしれない。もしくは、致命傷にならない程度の怪我だとか……。

 懷天フアイティエンももうそれ以上は本当に何も言おうとせず、ただ以洋イーヤンの手を引いて公園内を歩いている。さっきまでとは雰囲気も変わっていて、沈黙の中、以洋イーヤンはだんだん申し訳ない気分になってきた。

 決して懷天フアイティエンに心配をさせたかったわけじゃない。でも、事前に何も言っておかなくて、それでいざその時にもしも、万が一のことでもあったら……そうしたら懷天フアイティエンはたぶんもっと怒るはずで。だから話したんだけどなあ……。

 以洋イーヤンは辺りを見回した。ちょうど周囲に人はいない。

 足を停めて、軽く懷天フアイティエンの手を引っ張る。

 怪訝そうな顔で以洋イーヤンを振り返った懷天フアイティエンの前に、以洋イーヤンは歩み寄った。そして手を伸ばして懷天フアイティエンの襟を掴み、背伸びをして……。

 数瞬後、以洋イーヤンは口を尖らせて懷天フアイティエンを見上げた。

「身長高過ぎだよ」

 懷天フアイティエンが笑いだし、少し身を屈めて以洋イーヤンにキスしてくる。

 以洋イーヤンも手を伸ばし、懷天フアイティエンの後頭部に腕を回した。その後、懷天フアイティエンの腕を自分の腰に回させ、ぴったりと抱き合う。

 少し冷たい夜風の中、自分の身体がどんどん熱を帯びていくのを以洋イーヤンは感じていた。自分から唇を開き、舌先を伸ばしてみる。懷天フアイティエンの舌を探し出し、舌を絡めてみた。

 やがて懷天フアイティエン以洋イーヤンを抱き締めていた腕を解き、以洋イーヤンの頬に顔を押し付けてくる。

「君が自発的に動き出すと心配になるな」

 低い声でそうささやかれ、以洋イーヤンはむっとした顔になった。

「心配って何が? 僕が僕でないかも、って? それとも、また僕が暴走するんじゃないかって?」

 懷天フアイティエンがまた笑いだす。

「君が、君か君でないかの区別はもうつくようになったと思うよ。でも、君が暴走するんじゃないかってのは本当に心配してる」

 懷天フアイティエンにきつく抱きつき、以洋イーヤンもささやいた。

「あなたが心配してるのはわかってる。だから僕も気をつけるよ」

 ……どうも……僕もあなたのことが好きだよって伝えるのは、また別の日にした方がいいみたい……かな……?

 告白するつもりで――自分も懷天フアイティエンが好きで、ずっと一緒にいたいんだとそう告げるつもりで、今キスしようとしたのだが、なんだか今の状況でそんなことを言うと、遺言のように受け止められそうで不安だ……。

「うん」

 もう一度以洋イーヤンを抱き締める代わりのように、以洋イーヤンの手を懷天フアイティエンがしっかりと握った。

「俺はそろそろ戻らないと。午後に行ったあの先輩の家まで送るんでいい?」

「それでお願い」

 以洋イーヤンも笑ってそう答える。

『なんで遺言の一つも残さないんだ? 万一死んだ時のために、遺体の回収も頼んどけよ』

 東晴ドンチンの声は無視して、以洋イーヤンはただ懷天フアイティエンの手をより強く握った。

『でなかったらまだ時間はあるんだし、この機会にホテルとかどうだ。道を渡ったところに一軒あるぜ? 今ヤっとかなかったら、今後チャンスはないかもしれねえんだし?』

『お前、こいつが好きなんだろ? 一目瞭然なのになんで言わねえんだよ? てかお前さあ、お前がこいつに相応しいとかそういう勘違いしちゃってるわけ?』

『こ~んないい男がお前と付き合ってるとかマジもったいねえわ。そもそもこいつと吊りあうような価値とかお前にゃ全然ねえんだっつの!』

 一切聞こえていない振りで以洋イーヤンは歩き続ける。

 別にこの手のろくでもない悪口を耳にしたことがないわけでもない。聞いていて気分のいいものでないのは確かだが、悪口を言いながら東晴ドンチンが感じている切なさも、以洋イーヤンには同時に伝わってきていた。

 東晴ドンチンは単に、自分の中に渦巻いている恨みや怒りのやり場がないだけなんだよね。結局、東晴ドンチン賀昱霖ホー・ユイリンを愛してたからそのせいであいつに逆らえなくて、自分自身に怒りをぶつけることしかできなかったんだ。

 今回の件で自分はまた一つ知識を得たなと以洋イーヤンは思っている。死者達は生前に成し遂げられなかったことをやりたいと望む以外に、時には……単に気晴らしをしたいだけなこともあるのだと。

 こっそりと溜め息を漏らし、以洋イーヤン懷天フアイティエンの手の温かさだけを意識した。たとえ何があったところで、この温もりを手放したくはない。

 だから……僕は絶対に死んだりしない。絶対に。

 心の中でこっそりと以洋イーヤンは自分を鼓舞してやる。

 自分のことも、聚魂盒じゅこんばこのことも以洋イーヤンは信じていた。

 聚魂盒じゅこんばこの中身が良いものだろうと悪いものだろうと関係ない。僕はこの箱をコントロールできるし、正しく使うことができる。そしてそれはこの箱の中の魂たちがかつて犯した過ちを解消する手助けにもなるはずなんだ……。

 本気で以洋イーヤンはそう信じている。それが過剰な思い込みなのかそれとも本当にそうなのかは以洋イーヤンにもわからない。ただ、少なくとも自分がしようとしていることは正しいことだと、そう感じていた。

 大きく息を吸い込み、以洋イーヤン懷天フアイティエンに微笑みかける。そして一緒に車に乗り込み、仲瑋ヂョンウェイの家へ向かった。

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