第五章(1)以洋、幽霊の葬儀に行く
翌朝、
昨日は結局眠りに落ちるまでずっと
頬から始まって耳、喉、それから、鎖骨……。考えているだけでまた頬に血が昇ってきた。中でも一番恥ずかしいのは、我慢できずに自分が漏らしてしまった声だ。
穴があったら埋まりたい。いや、なくてもいっそ自分で穴を掘りたい。
おまけに『暴発』という言葉の意味まで自分の身体でわかってしまった。もちろん本当にそこまで行ってしまったわけではないが、それでももう充分過ぎて、考えただけで顔が熱くなって足取りが怪しくなってくる。
「これじゃ仕事にならないよ……」
溜め息を吐きながら事務所に入ると、予想外なことに
無意識に時計に目をやった後、
「おはよう、随分早いね。朝ごはん食べた? 僕作るけど」
「別に腹は減ってねえよ。お前の方は今日はどうなんだ?」
どうやら
「悪くない状態だよ。昨日の午後は頭痛に悩まされたけど、今日はなんともないみたい」
「ならいい」
そう言ったきり、
「
「出ていこうとそいつが自分から思わない限りは、じきに盒によって消化される」
「しょ、消化……? それって、……存在が消えるって意味?」
ぎょっとして
「ああ。消え去るんだ」
「消えてしまえば、二度と人の世に生まれ変わってくることもない」
呆然となりながら
「じゃあ、じゃあ彼はいったいどうやって
「人には三魂七魄ってもんがある。お前はそいつが死ぬ最後の一瞬にそいつの目を見ただろう。だからそいつの魂魄は、お前の目を通ってお前の身体に入ったんだ。けど、お前は
「そんな……、じゃ、どうしたら……」
胸元の
「そいつ、いつもお前の身体を使ってお前の彼氏を引っ掛けようとしてるじゃんか。親切心を発揮して、お前が彼氏と一発ヤってやったらどうだ?」
「けど……、って、え? なんで知ってるの?」
恐れ戦いて
「んなことくらい、頭で考えるまでもなくわかるんだよ」
そのまま
これは若干悩ましい問題だった。
しかしだからと言って、そんな風にして
「ぐだぐだ考えんなよ。今のお前がやるべきことは、ここにいるか、
新聞がバサッと
立ち上がった
六日に亘って母親が
……そりゃ、魂は僕のところにいるんだから、呼んでも来ないよな……。
どうするべきか
ありゃ、行っちゃったよ。……解決しようと思うなら、
今日になって以来、
まさかこれって、もう
幾分心配になりながら
そっちへ向かって足を踏み出そうとした時、見覚えのある顔が目に飛び込んでくる。
あ……、あいつだ、
その顔を目にした瞬間、自分の中の
そろりそろりと歩き出した
「ご、ごめん」
慌てて謝った
やがて深々と祭壇に向かって頭を下げると、そのまま去っていてしまった女生徒に、
それでもそれ以上は追究しないことにして、用心深く
「
「そんなことおっしゃらないでください。これは私がやるべきことなんです。生前、
「どうかあの子を信じてやってください。あの子は、絶対に研究室のお金を取ったりなんてしません。そこだけは、疑う余地もないんです」
真っ赤に泣き腫らした眼から、こらえきれないように
「私だってずっと彼を信じていたんです。ただ、証拠が。それが出てくる前は私もまったく彼を疑ったことなどなかったんですが」
深々と
「彼がこんなことをするなんて、私だって信じたくない。父親と同じ轍を踏むだなんて……」
嗚咽が
「彼は幼い頃から私の傍にいたのに、私は彼を導いてやれなかった。でも、安心してください。あのお金は私が賠償します。どうかご心配なさらず」
一人残された
「
「兄さんがそんなことするはずない……」
「小さい時から僕に言ってたのに。自分のものじゃないお金に手を出しちゃいけないって。だから兄さんだって人のお金に手を出したりなんか」
「わかるよ。私だってそう信じていたんだ」
「安心しなさい。お兄さんに代わって、君の面倒は私が見るから」
「兄さんはいつもあなたのことを言っていたんだ」
顔を上げて
「君はお兄さんの幼い頃にそっくりだね」
胸元に巣食っている
息を止めて鳩尾を拳でえぐるように押さえながら、
駄目だ……、絶対に今、君を出すわけにはいかない……。そんなにあいつが憎いなら、まず僕の身体から離れろ! 母親と弟を残して自殺するってのは、君が自分で選んだことなんだぞ! あの悪党から離れることを選ばなかったのも君だ! 二人を守りたいなら、まず僕の身体から出ていけよ!
心の中で絶叫する。
もう二度と僕の身体を君には操らせない!
「あなた、大丈夫? 気分が悪いの?」
胸元にわだかまっていた
不意に、堰を切ったように悲しみが込み上げてくる。大粒の涙を目から溢れさせた
「あなた……、
目を真っ赤にしている母親に優しくそう問い掛けられ、どう答えていいかわからずに
「
微笑みながらそう言われ、
しばらくしてようやく声を絞り出す。
「
涙を拭い、
「
不意を衝かれたような顔になった
――――……無意識に彼女は自分の子供を振り返った。
ちょうど
足早に彼女は二人に近付く。
「
「うん」
立ち上がってこちらに走ってくる
「もし何かお手伝いできることがあったら、なんでも言ってください」
その提案に、礼儀正しい微笑みだけを彼女は返す。
「もう充分手伝っていただいていますから。学校の方もお忙しいでしょうし、こんなに毎日おいでいただいていては何か噂になるかも。
「そんなに他人行儀になさることはありませんよ。私達はこんなに長年、まるで家族みたいに過ごしてきたんですから。
「ご厚意に感謝します。私はあちらを手伝ってきますので、賀教授はどうぞお好きに」
会釈して
もしさっきあの男の子が唐突にそんなことを口にしなかったら、死ぬまで自分は
息子がそんなお金に手を出したりすることはないと彼女は信じていた。そして学校側の説明では、息子のいた研修室で金銭関係にタッチできるのは三人しかいない。
最後の一人は経理担当の若い女性。だが彼女の家はとても裕福だという。
自分の息子はそもそも経理には関わっていなかったのに、どうして疑いが掛かったのは
自分がシングルマザーで二人の子供を育てていて生活が困窮しているから。それが原因で
だが、今、ふと思わずにいられない。……
これまで一度として彼女が
だが、さっきのあの子、息子のためにあんなに泣いてくれていた男の子――あんなに大きな歳の男の子があんなにも泣いているのを見るのは初めてだった――がでたらめを口にしているようにも見えなかった……。
父親を失った時、
そして
愕然としながら彼女は祭壇の前に腰を下ろした。花に囲まれて飾られている息子の写真を見上げる。
「
泣きながら訴える彼女の悲しい声は、
※招魂についての解説を近況ノートに載せております。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます