第一章(3)以洋、幽霊を目撃する
しかもどこかあたふたして見える。
「あれ、なんでこんなに早いの? もっと遅いと思ってた」
笑顔を見せながらも、
「
若干ためらいながらも
「ああ、あれね。大丈夫」
ついているテレビの音声が、普段に比べて大きい。更に流れている番組は、いつもなら
「
「大丈夫なのか?」
「なんともないって。絶好調だよ」
そう言って笑った
「うん、いい感じ。すぐにご飯にできるから、先に着替えておいでよ」
どうにも安心できず、
「大丈夫なように見えないよ?」
何かを考えるように
「ほんのちょっと……驚いちゃって。けど大丈夫だと思うんだ……」
「その人に線香を供えに行きたいなら付き合うよ?」
「うん……」
目を閉じて、
別にそれでいいと、
ただ、今日、
「
「うん?」
「スープが煮立ってるよ……」
鍋がぐつぐつ言っているのが聞こえ、
「ああああ! 僕の
笑い出した
「先に着替えてくるよ」
「うん」
スープの救急救命に勤しんでいる振りで振り向かずに答えた
いつものようにたわいないおしゃべりをしながら食べる。今日の午後の出来事についてだけは二人とも話題にするのを避けて。
食後に
「見る? 同僚がくれたんだ。前に見たがってた映画だよね?」
「ああっ! 見る見る! 見たい~」
これ以上ないほどの速さで皿を洗い、
けど、と思う。
三度目に
「
「……あれ、もうエンディング?」
「まだだけど何度も居眠りしてるし、別な日にまた見たら?」
目を擦って訊ねた
「うん、じゃ、先に寝るね」
朦朧とした意識で部屋に向かった
『あんたのためなら俺は喜んで何でもするってわかってるだろ! けど、幾らあんたのためだからって俺がこんな真似しでかしたら、うちの母さんと弟はこの先いったいどんな顔して生きてきゃいいんだよ?』
『二人の面倒は私が見る。……頼む。私を助けられるのは君だけなんだ。もしばれたら、私は完全におしまいだ。そうなったら私は生きていけない。頼むよ、お願いだ!』
『……無茶言わないでくれ。この数年間、俺があんたのためにどれだけのことをしてきたと思う? けど、これだけはダメだ。小さい時から母さんに言われてるんだよ、自分のものじゃないお金に手は出すなって。これだけは俺は絶対にやらない。……あんただって知ってるだろ? うちの父さんは公金横領で自殺したんだぞ。頼むからこんなことで母さんと弟を傷つけないでくれよ』
『……わかった。すまない。こんな事を頼むべきじゃなかったな。自首するよ。けど、お願いだ。私が自首するまで、この件を口外しないでもらいたいんだ。……責任は私が取るから』
『わかった。誰にも言わないよ。俺はあんたの傍にいるから。何があってもそれだけは変わらないから。絶対にあんたから離れたりしないから』
『……ありがとう』
遠ざかったり近付いたりしながらもはっきりと聞こえてくる声。一階の家か駐車場で誰かが喧嘩中なのかもしれない。
それでも声は止まない。なんだか場面が切り替わったようなやり取りがまだ続いている。
『あんた、なんで俺にこんな真似するんだよ? この数年、俺がどんだけあんたのために動いたと? それに対して俺があんたに見返りを求めたことがあったか? なのに、まさか俺にあんたの罪を押し付けるだなんて!』
『仕方なかったんだ。私の未来を壊すわけにはいかなかった』
『じゃ、俺の未来は!?』
『君にこの先があるとでも? 私の研究室を離れられるとでも思っていたのかい? 君の未来は私の未来より有望だとでも?』
『あんたのここ数年の論文は、全部俺が書いたんじゃないか!!』
『それを誰が信じるんだね?』
『………………………………………』
『聞くんだ。私は本当に君を愛してるんだよ。ただ、この罪を私が犯したと認めることはどうあってもできないだけなんだ。今後は気を付けるし、二度とこんなことはしない。君のお母さんと弟君のことは私に任せてくれ。君のために最高の弁護士も用意する。君はまだ若いんだし、罪だってそれほど重いものじゃないんだ。刑は軽くなるよ。そんなに心配しなくてもいいんだ』
『……………許せない、……許さない!!!』
上掛けの中で
上掛けを抱き締めるようにしてベッドの上に起き上がったところで、ようやく気付く。もしかすると今の声は、近所から聞こえてきたものではなかったのかも知れないと。
「……ありえない……」
小さくひとりごちる。
どんな死者だろうとこの家には入ってこられないはずだ。玄関からすぐ見える位置に關帝様が祀られている以上、例外なく死者はこの家への立ち入りを阻まれる。
そして、何よりも
室内は静まり返っている。押し殺したような
それでもまだ恐怖は残っている。
窓に背を預け、
だが、まさにその時だった。背後に何かがいる、そんな感覚がして息が止まりそうになる……。
ごくりと
そこにあったのは歪んでしまった顔だった。鮮やかに赤い血が、目からも鼻の穴からも口からも流れ出している。頭の右側は大きく陥没し、そこからは脳漿と血が一緒に溢れ出ていた。
何か言いたげにぱくぱくと動いている口。不自然な形にねじ曲がった右手はそのねじれを更に大きくしようとするように腕までよじれつつあり、左手は何かを掴もうとするように前へと伸ばされている。
足に履いているのは――血と泥で汚れてはいるが――あの真新しいコンバースだ。その足も落下の衝撃でスニーカーの足首部分のすぐ上の組織が断裂し、骨が白く覗いていた。
そのまま床に転がり落ちた
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