第一章(2)以洋、千樺に遭遇する
大安分局署のロビーの椅子に腰を下ろした
大体の事情を
「家の人に迎えに来てもらうかい?」
そう言われて
「実家は
それに、お母さんにショックを与えるのも嫌だ。
「じゃあ学校関係とか友達とかで、君を迎えに来れる人は? なんなら誰かに車で送らせるけど」
穏やかな目でこちらを見ているこのおじさんは、たぶん自分のことを大学生くらいだと誤解しているんだろうなと
少し考えた
「あの……、だったら
「あれ? 君って
びっくりした顔で
「ええと、親戚ってわけじゃなくて、
ぎごちない笑みを
「ありゃ、そうですか、席を外している」
電話の向こうにそう確認して受話器を置いたおじさんが、
「
実に綺麗な顔立ちをした人だ。身体にぴったりと合ったサイズのスーツを着用したその姿は、まるで男性向けファッション雑誌から抜け出してきたように見えた。
「わかった、君、
にこやかに手が差し出される。
「初めまして。
「あの、初めまして。
慌てて椅子から立ち上がり、
「話は聞いてるよ。……ほんとに、あいつが言ってた通りだね」
そう言いながらも
「引ったくりにでも遭ったの?」
「違いますよ。飛び降り自殺があったんですが、墜落地点がちょうどこの子のすぐ傍で。押し潰されなかったのは幸運でしたよ」
ぼろぼろになっている
思い出したのだ、この「
「何事もなくてよかったよ」
慰めるように
「
大慌てで
「いいですいいです。自分で帰れますから。身体の方はなんともないんで」
この人に世話を掛けたくはない。立ち上がった
「お手数お掛けしました」
――――……遠ざかっていく
「子供みたいだって言ってたのは、なるほど見た目が子供っぽいってことか……。てっきり性格の方かと思ってたよ……」
「
意味ありげなその言葉に、
「なんでもないよ。先に上へ戻る」
軽く笑ってみせ、
想像してたより、もっと綺麗な人だった。……男の人だけど、綺麗、でいいよね……?
しかし、なぜ
あの若さで室長になってるんだから、超エリートだよね? それに背も高くて身体つきもすらっとしてかっこいいし。なんであの二人、恋人同士にならなかったわけ……?
分局署の玄関を出る前、ドア脇の鏡で自分の姿を見てみる。
う~ん、ほんとにずたぼろだ。思いっきり道に倒れ込んだし、その後はあれだし。服もズボンも真っ黒だよ。おまけに顔も手も汚れてる。大怪我はしてないけど、擦り傷なら二、三箇所はあるもんなあ。
しょんぼりと
せめて、
とぼとぼと分局署を出た後、タクシーを拾って帰宅する。今日する予定だった買い物をしていないことに気付いたのは、疲れた身体を引きずって熱いシャワーを浴び、着替えて擦り傷の手当ても終えてからだった。
ぼんやりとリビングに座り込み、あの時の状況を思い返してみる。目の前に横たわっている死体の双眸を見た途端、まるでそこに吸い込まれたようになり、屋上にいると思ったらそこから飛び下りていた。
あれはたぶん、自殺したあの人物の記憶だ。死の瞬間を追体験したんだ。
けど……、どうしてそんなことに? そりゃ、前にだって
他人の過去の経験に無理に引きずり込まれるっていうなら……、
ソファの上で小さくなって膝を抱え込む。重要なポイントはどうして自分がこんなにも怖いと思っているのかがわからないということだった。
ぼうっとしている間にかなりの時間が経っていた。家の中が暗くなってきたことで我に返り、
心拍数が一気に跳ね上がる。息を殺しながら背中を壁に張り付けた上で、
室内には何もいない、そう確認してからようやく息を吐く。ふと横を見ると、
「僕って役立たずだなあ……」
時計の針はそろそろ
どうして今日、あの人の霊が見えなかったんだろう……? あの人は死んでしまったのにどうして……。
冷蔵庫を開けようとして、ふと、背後に何かがいるような感覚に駆られる。ごくりと
冷蔵庫の取っ手を握っている手に、うっすらと冷や汗が滲み始める。呼吸が浅く早くなるのを感じながら、
もう怖がったりしなくなった、そう思っていた。なのに、なぜ……、どうして自分はまだ恐怖を感じているんだろう?
視線をかすかにずらし、横を見る。さっき焼香したばかりの關帝様の姿を視界に入れ、
さっと後ろを振り返る。
そこには何もいない。きちんと片付けられた食器戸棚が一つある以外、何もない空間だった。
ほっと息を緩めた後、床に座り込む。膝を抱えると、なんとも言えない憂鬱とやりきれなさが襲ってきた。
今生きている人間が目の前で死んでしまう、そんな光景を目にしたのは
あの時、あの人の口は、まだかすかに開いていた。いったい何が言いたかったんだろう……?
どんな風な絶望があの人を、あんなに少しの躊躇いも未練もなく、あそこから飛び下りさせたんだろう?
警察署であのおじさん警官に、飛び下りた人の名前を聞いておけばよかった。もしかしたら……、もしかしたらあの人の霊を助けてあげられたかもしれないのに……。
そう考えると、なんだかそんなに怖くもなくなってくる。そもそも一日中幽霊を目にしている状態なのに、いったい何がそんなに怖いのか、
大きく息を吸い込んで立ち上がり、冷蔵庫の在庫メモを改めて確認する。今夜は手の掛からない料理を複数作ることに決めた。どうせ何を作ったって
「チャーハンと……それから、……白菜炒めと……」
メニューをつぶやきながら、
「んー……やっぱり、ポークハンバーグの残りの種で肉団子作って、
時計を見るとまだ時間がある。冷蔵庫を開けて、使う材料を取り出した後、少し考えてから
流れているニュースはちょうど、午後のあの自殺に関するものだ。モザイクは掛かっていたが、布の下からはみ出した手がちらっと映っていた。
だが、それを目にした瞬間、フルスピードで地面に向かって落下していくあの感覚がまた甦る。慌ててソファの肘掛に摑まった
ニュースチャンネルをどの局も片っ端から一瞬でやり過ごし、いつもなら見ないバラエティチャンネルに変わったところでようやく止める。
荒い息を吐きながら
リモコンを放り出し、
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