第23話 男爵が持ちかけてきた条件

「すみません、デカダ様」

「はい?」


 翌日、彼はフロントから呼び止められた。


「郵便をお預かりしております」

「郵便?」


 何だろうな、と思いつつ、彼はそれを持ったままホテル内のレストランへ向かった。

 そう言えばここで夕食をとるのは初めてだったな、と彼は思い返す。昨日はあの騒ぎで、結局夕食というよりは夜食と言った方が正しいものをルームサーヴィスで注文する羽目になってしまったのだ。

 彼は昼過ぎになって目を覚ました。

 途中で時々口にした酒のせいで、いまいち食欲がおきなかったので、とりあえず食事は夜に回すとして、お茶だけに済ませておいた。

 浴室には染み抜きをされたタオルが掛かっていた。どうやらそこを使用したかったので、ナギは干していったらしい。

 確かにすぐに処置をしたのが良かったらしい。血の染みはあらかた消えていた。もしもホテル側がそれに気付いたとしても、せいぜい他の意味でとられる程度だろう。

 ナギは部屋から姿を消していた。

 だが彼女の部屋に帰っていた訳でもなさそうだった。テーブルの上には、夕食を一緒にしましょう、と時間を書いたメモが残されていた。

 タフだなあ、と彼は思わずにはいられない。まあ彼女が明かした正体が本当に本当ならば、当然と言えば当然なのだが。


「や」


 彼女はぴょい、と手を挙げてみせる。そして何やら嬉しそうな笑顔になると、彼を指す。


「何かひどい顔してるぞ」

「誰のせいだと思ってるんだ」

「私でしょう?」


 彼女はそのままくすくすと笑う。そうだよ、と彼はややふてくされたようにつぶやくと、彼女の正面についた。


「君はいつまで寝てたの?」

「私ですか? 少なくともお昼前には。お風呂にも入りたかったし、まだ図書館で少し調べ物の続きもしたかったし」

「またあの少女が」

「いえいえそれはないでしょう」


 ナギは軽く否定する。


「やけに自信ありげだな」

「彼女はあれが自分の役目、と言ってたでしょう? 彼女は私にケガをさせるのが役目。それもある程度大きな傷を」

「彼女は、ということは、彼女以外も居るってこと?」

「ええ。なかなか勘がよろしい」


 二人は口をつぐむ。ウェイターはやや大きめのグラスに、軽く柑橘系の香りがする水を注いだ。


「ご注文は?」


 シルベスタはナギに何にするか、と先に訊ねた。彼女は中程度のコースを選んだ。


「じゃ俺も同じもので」

「はい。お飲物は何に致しましょう?」

「ジャム入りの紅茶を」

「俺はミルクコーヒーを」


 かしこまりました、とウエイターは完璧な礼をして足音一つさせずに立ち去る。


「それでもコーヒーか」

「それでも甘い紅茶ね」


 何となく彼女は肩をすくめる。


「紅茶が好きなの?」

「まあな」


 ナギはうなづく。


「別に好き嫌いはないが、まともな紅茶が飲めるようになってからは、紅茶が好きだな。本当は乳茶が好きなんだが、どうもここいらでそのメニューを見たことがない」

「乳茶?」

「茶の葉を煮出してすごく濃い、茶のエキスみたいのを作ってな、それをミルクで薄めて呑む。……カラ・ハンのような華西区で塩味にしてスープがわりにするのが基本らしいが、中央に伝わった時には、甘くする嗜好品になってしまった。まあ私はどっちも好きだが……」

「確かに俺も見たことはないな」

「あなたはコーヒーしか目に入らないんじゃないですか?」


 彼は言葉に詰まる。確かにそうかもしれない。と、彼女は彼がテーブルの脇に置いた封筒に目を止めた。


「何ですかそれ?」

「ああこれ?」


 そう言えば、誰からの郵便かも確認していなかった。速達であることは貼ってある濃い桃色のラベルを見れば判る。


「親父からだ」


 彼はごそごそとその封筒の口をやぶく。中には書類が入っていた。第三の資料だった。

 ナギは努めて無関心を装っている。彼はその態度に甘えて、ざっと目を通した。

 途端、彼の表情が険しくなった。目が細まり、眉を寄せ、無意識に指がこめかみをひっかく。

 読み終わったのを見計らったように、ナギはどうした、と声をかけた。


「……ちょっとね……」

「悪い知らせだったんですか?」

「悪いと言うか何と言うか……」


 彼は資料をテーブルの上でとん、と揃えると、再び封筒に入れた。

 サラダが運ばれてくる。角切りの色とりどりの野菜と、つぶしたゆでじゃがいもが独特の香りを持つドレッシングで和えられ、そのまわりをひだが美しい葉野菜がとりまいている。

 ガラスの器がよく冷えている。


「あまり食事時間に言う話じゃないが……」

「私は構わんが」

「そうだね」


 シルベスタ自身は、やや構いたい気分だった。


「資料がまた届いたんだ」

「ほう」


 スープが運ばれてくる。緑色のポタージュである。真ん中にベーコンのいためたのがちょこんと浮かんでいるのがやけによく目立つ。


「豆だな」

「そうだね」


 やや黙々と二人ともスープを片付ける。


「どんな内容だったんだ?」


 パンの盛り合わせがやってくる。もちろんバタもジャムも蜂蜜も添えられている。そしてパン自体もよく暖まっている。ナギはその一つにバタを塗りながら訊ねる。


「目的、だよ」

「目的」


 彼はスプーンを宙に浮かしたまま答える。


「ホロベシ男爵が、こちらに持ちかけてきた条件」

「と言うと?私は一体何と引き替えに売られようとしたんだ?」

「独占権だよ」

「独占権?」


 彼女もまた手と口を止める。


「何の、独占権なんだ?」

「海だよ。東海ルート」


 東海? と驚いたように彼女は繰り返す。


「ちょっと待て、それは無謀じゃないのか?」

「うん、俺もそう思う。取ったところで何の利益があるのか、と俺も思った。それに、とりあえず、だが、君をどうこうする条件は書いてないんだ。つまり、あくまでただの取引」

「……そんな筈はない」

「と、俺も思う。俺は男爵のことは知らないが、まさか物見遊山で君を連れてきた訳ではないだろう。しかも彼は君の正体を知っているんだろう?」

「ああ。私は彼と二年前に再会したんだが、その時に、父姓を手に入れる交換条件で、私を好きに利用してみろ、と言ったんだ」

「再会?」

「二十二年前、最初に居た町を飛ひ出す直前に奴に会ってはいるんだ。やっぱり客と商品でな」

「だけどさすがに同じ人物とは」

「最初は親子かと思ったらしい。それでもなあ……」


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