第22話 「嫌ですねえ、それじゃ化け物ですよ」
「何であなたはそう思うんですか?」
上体を起こしたナギは彼の目を手で覆ったまま訊ねる。
「私がそうである証拠があるというのですか?」
「君はいったい幾つなんだ?」
シルベスタはナギの独り言のような質問には答えず、別の質問を投げかけた。
「私? 幾つに見えます? だってあなた、私を中等学校の高等科二年の少女と思っていたのでしょう? ……幾つと言えば信じますか?」
「……判らん。だけど君は見た目通りの歳じゃないだろう?」
「どうしてそう思います?」
「『皇后』とはそういうものだから」
「それじゃ答えになってない」
「だけどどう答えようがある? 君は切りつけられても、多少の血を流してもたちどころに治ってしまう。いや、治してしまう。自分でだ!確かに人間にも自然治癒能力はある。それは常識だ。だけど君のは」
「異常だと?」
そして彼女は片方の手を下に回す。
「人間とは立ち直りの早いイキモノですよ」
彼はう、とうめく。急な刺激に頭が追いつかない。
「……でも、それとこれとは別だ。普通の人間はそういう治癒の仕方はしない。そうじゃないのか? 帝国における皇帝と皇后というものは…… だから皇帝と皇后なんじゃないのか?」
「何だか面白くなってきたな。言えたら言って。続けて」
平然とナギは受ける。彼は思考が定まりにくくなっている自分に気付いた。
「俺の専門はそれだから…… 帝国の裏の歴史、女性の歴史を研究するのが俺の……」
「そんな大したもんではなかろうに? わざわざそんなことを知らずとも」
「表だけでは矛盾が生じる。君たちの表向きの歴史は片手落ちだ。皇后にしたって……」
「皇后にしたって、何?」
「今もその代々の皇后が何処かで生きているとかいうじゃないか!」
「嫌ですねえ、それじゃ化け物ですよ」
「そうだよ化け物だ」
彼は言い切る。彼女の手がふと止まる。
「俺はずっとそれが変だと思ってきたよ。帝国は歳を取らない化け物に支配された国だ。あまりにも変なのに、あまりにも堂々としているからそれを誰も口にしない。それが普通だと」
「ではあなたは私も化け物だというのだな?」
ぎゅ、と彼女の手の力が強くなる。彼は顔を歪める。
どうされるのだろう、と彼は思う。奇妙なことに、またも身体が自由に動かない。彼女の自由にされていて、抵抗しようという気すら起きない。
「そうだ」
彼女は静かに言った。
「でもあなたも妙なひとだ。建物の歳は判るくせに私の歳は判らないという」
「それは……」
「そうだよ、私がそうなんだ。私は化け物だ。私は人間じゃない」
歌うように彼女はつぶやく。
「私が当代の、『皇后』だ」
そして彼女は彼を自分の中に埋めた。
*
「たまたま、最初の客が、その化け物だった訳だ」
彼女は言った。
「二十二年前の秋のことだ」
シルベスタはぐったりと肢体を投げ出していた。どのくらい経ってしまったのか、彼には記憶がない。
もう終わりか、と彼女は言ったが、さすがにもう無理だった。
頭もぼうっとしているので、彼女が言う年月の計算をするのもおっくうだった。
一方の彼女は、何ごとも無かったかのように彼の隣で平然と話をしている。
「その化け物は、お忍びでやってきた、身分の高い者、ということは言っていたが、本当に『誰』であるかは決して漏らさなかった。そりゃ当然だろう。当然だ」
「そうだよな」
「私はその前の日、母親の葬式があったばかりでな、できれば数日間は喪に服していたかったし、実際少なくとも三日はできたはずなんだ。帝国の風習としては。下手にそれを怠ると死者がたたるとか何とか言って」
「……」
「ところが金を積まれたらしいな。その葬式の列に居た私を見つけたらしい。不信心な宿主は、私の喪服を無理矢理脱がせて、その化け物のベッドへ押し込んだ訳だ」
「……ひどい話だ」
「それ自体はそうひどいものじゃないさ。十四だ。それまでそういう仕事をさせられなかっただけでももうけものだ。中には本当に子供を売り買いするところもあった。それよりはマシかもな」
「それでも」
「とにかく私はそこで最初に破られて、何が悪かったのか、その化け物の種を宿してしまった訳だ」
「化け物…… 皇帝の」
「ああ」
彼は息を呑む。
「奴は、名乗るべきだっんだ。そうすれば私は今頃後宮で楽に暮らしていたさ。死んだ母親には、故郷にきちんとした墓も作ってやれたろうし、別に気に入らん男と寝る職業に居る必要もなかった筈だ」
「……あ、でも君、だからと言って君が『皇后』になるとは限らなかったんじゃないか? ……いや、それより、君のその宿した…… それは」
「流したさ、そのあたりの掟通り」
彼女はあっさりと言う。
「冬になった頃かな、気付いて、気付かれて。私も嫌だったし、宿主もそうしろと言った。ところがその流した子には既に性別があってな」
「男子だったというのか」
「よく知ってるな。そうだ。外見はともかく、結果として私はそれを知ってしまった」
「結果として」
「ねえシルベスタ、医者がやってきて、いきなり突っ込んで、かきまわすんですよ? そりゃ最初の日から毎日のように『仕事』はさせられていましたがね、……それとこれとは別でしょう?」
彼は何と言っていいのか判らない。男の彼に判れというのは難しい話である。
「私が必死で騒ぐからそっちもそうするしかなかったとか言ってましたけどね、たかが十四の子供がそういうことされて、身体壊さない方がおかしいと思いませんかね?」
「……思う」
「けど私は平気だった。全くもって平気だった。医者は言いましたよ。何て丈夫な子だ、こりゃめっけものですよ。きっとあそこが分厚くできてるんしょうな…… 馬鹿か全く。ヤブ医者め」
「確かにその言いぐさはひどいな」
「ひどいさ。だがヤブだったからこそ私の正体には気付かなかった。もちろん私も知らなかった。知ったのは、十二年前だ。見かけはそうだな、今よりは一つかそこら若いくらいかな。その頃カラ・ハンに居たんだ」
「……ああその時に」
「どういう訳か、当時の族長候補が、私を好きになった」
「まあそれもおかしくはないな」
「そう思うか?」
「……喋らなければね」
くす、と彼女は笑う。
「まあ別にそこにずっと居てもいいかなとも思ったんだ。奴は優しかったし、住み心地は良かったし」
「でもそうしなかった?」
「あいにく。私はそこで私の正体を知ってしまってね」
「そこで?」
「親切な人々がいたんだよ」
とても彼女の口振りでは親切な人々には聞こえない、と彼は思う。
「別に知らずに済むなら知らなくても良かったんだ。そうすれば私は勝手にのたれ死ぬにしてももう少し気楽だったかもな」
「そういうもんじゃないよ」
「気楽におっしゃる」
ナギはくっと笑う。
「一度も死のうなんて思ったことのない人のいうことだな、そりゃ」
「無い訳じゃないさ」
「感傷で言うものなんて一回に含めやしないさ。……私を殺してみる?」
「……できる訳ない」
「そう。できる訳ない。そういう化け物だからな」
「……違う、そういう意味じゃなくて」
「どういう意味だというんだ? 私が好きだからできないとかいう冗談じゃなかろうな」
しまった、と彼は思った。一瞬何か開きかけたと思ったのに、また閉じてしまった。
「好きじゃいけないのか?」
「別に構わんが、私には好きなひとがいるからな」
「妬けるな。でも俺と寝てるじゃないの」
「先程も言ったろう? 嫌いな奴でも寝られないことはない。だがそういう場合は何かしてやろうなんて気はさらさら起きないな。あなたは嫌いじゃないから、けっこうやってて楽しいのだが」
「でもあれじゃ、俺の方が強姦されてるみたいだ」
「多少は女の気持ちが判ったか?」
くくく、と彼女は喉の奥で笑った。
「じゃあ一番好きなひとにはどうするんだ?」
「それは秘密です」
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