第79話 良心は宗教と同じで実体のない存在

 ジュリエットが詳しい経緯を説明するとラファエルは「何事にも不測自体はあるものだ…超能力というおまえの存在を含めて、な」と悪化する事態を事実のまま受け入れる様相を見せた。


「高等弁務官も馬鹿じゃない。おまえが身近にいる間は気づいていないふりを続けるだろう」


「だがおかしなことを聞かれたぞ。私がラザフォードにやって来たのがいつだとか、その年にフレーザー最高執政官が辞任しただとか」


「フレーザー?」そのような最高執政官の名前は聞いたこともない。「それでおまえはどう答えた」


「来たのは三年前、最高執政官については肯定的な返答をしておいたが…何か問題でもあるのか?」


「フレーザーという名の最高執政官は存在しない。どうやらおまえは自分が人工生命体であることを自分自身の口で認めてしまったようだな」


「人間にしてはなかなか味な真似をするものだな。私はあの女を過小評価していたようだ」


「感心している場合じゃないぞ」ジュリエットは鋭い目をラファエルに向けた。「こういう事態に備えての代替策はあるのか?」


「私の台本に変更はない。高等弁務官というフィルターを失うのは手痛いがお前という超能力者が存在する限り計画に支障はない」


「高等弁務官をどうすればいいと思う?」


「愚問だな。おまえは解決策がひとつしかないことを知っているはずだ」


 ジュリエットの鋭い目は半ば怒りに満ちた突き刺すような視線をラファエルに浴びせた。


「これ以上誰も殺すな。もしおまえが高等弁務官を殺せば俺がおまえを殺す」


「見事な博愛精神だな。できることならその対象を私にも適用してもらいたいものだ」彼自身には皮肉を言っているという自覚はなかった。「おまえには何か考えがあるのか?」


「テレパシーで心理操作をおこなう。だから殺す必要はない」


「ではなぜすぐに行動しない? あの女のテストに私をつきあわせるためなのか」


「俺には俺なりの計画がある。おまえのペースで物事を考えるな」


「そうではないだろう」ラファエルの口元にお決まりの冷笑が浮かんだ「…おまえが超能力を出し惜しみする理由が少しばかり理解できたよ」


「………」


 ジュリエットはラファエルから視線をそらして機外のミレアを眺めた。腕を組んだ姿勢で彼を見るその姿にはかわりがない。


 そろそろ不審に思いはじめていることだろう。


 人工生命体と何を話し込んでいるのか、と。


「良心は宗教と同じで実体のない存在だ。まやかしと言っていい。おまえほどの力を持つものがくだらぬ規範に縛られてるとは思わなかったぞ」


「俺は弱い人間だ」ジュリエットは視線をもどすと苦々しく口を開いた。「自分が進むべき道を照らだす明かりがないと不安だからな」


「良心とは社会支配のためにつくりだされた価値観だ。おまえはそれにしがみつき偽りの安心感で自分が間違っていないと思い込もうとしている」


「おまえもレティシアも…人工生命体というのは哲学に長じているようだな」


「そうではない。その場限りの感情でしか物事を考えられない人工生命体も存在する」ラファエルはこの場に来た本題を切り出すことにした。「私がここに来たのはその人工生命体についておまえの助けが必要だからだ」


「俺の助け…?」意外な話題転換にジュリエットは首を傾げた。「どういうことだ?」


 ラファエルは順を追ってリリスのことをジュリエットに説明した。エルフの容貌をしているために地上に連れて行くことが不可能なこと、このまま放置すればいずれ生け捕りになる可能性もあり今後の逃亡に支障をもたらすこと、魔法を使用できる人工生命体であること等々…。


「…結局おまえは何が言いたい?」


「リリスとの戦いは避けられない。だが私といえども魔法に勝てる自信はない。だから…おまえには超能力でバックアップを頼みたい」


「これ以上誰も殺すなと言ったはずだ」


「高等弁務官とは違ってリリスをテレパシーでコントロールしても地上の連中を誤魔化すことはできないぞ。エルフの容貌は隠すことができないからな。おまえが良心とやらにこだわっていれば我々全員が滅びることになる。他に何かいい考えがあれば私はそれに従うが…ありはしまい」


「全員が滅びる? おまえが考えているのは自分のことだけだろうが」


「それは否定しない。だがいいのか。リリスを放置すればレティシアも巻き添えをくらうことになるぞ」


「………」


 それが事実なのは認めざる得なかった。


 しかし自分が攻撃されたわけでもない相手を殺すというのは正気ではできない。


「良心を抱えて死ぬのもよかろう。だがそれではレティシアを守ることはできまい。真に誰かを守ろうと思えば自己の存在と自己の価値観を捨て去るべきだ。そのためにはときとして心を鬼にするしかあるまい」


「おまえが口にするセリフとも思えないな。俺の力を頼らずに自分ひとりの力で仲間に手をかけたらどうだ」


「たしかにおまえの言うことが筋だ。本来ならば私ひとりの力で解決すべきことだからな。だが私が敗れ去った場合のことを考えてみろ。リリスはあらゆる方法で復讐をおこなうぞ。あれはそういう女だ」


 ジュリエットはコクピットシートに深く身を沈めて両目を閉じた。


『人の心をコントロールするだけではなく、人工生命体を殺さなくてはならないのか…この男の言うとおり人を守るためにはすべてを捨てなければならない。それはわかっている。師匠がこれを知ればどう思われるだろうか…俺は道を踏み外そうとしている』


 徒労感のようなものを感じるとジュリエットはこのまま眠りについて現実から目をそむけたいという欲求に突き動かされそうになる。


「私の価値観ではおまえの気持は理解できそうにもない」目を閉じるジュリエットにラファエルはやんわりと語りかけた。「しかしその罪悪感を少しは和らげることができる」


「………」


 ジュリエットは答えない。何もかもが嫌になりはじめていた。


「私には催眠術の特殊能力がある。それはおまえも知っていよう。テレパシーほどではないがある程度人の心をコントロールできる。私がおまえに代わって高等弁務官の心を操作しよう。リリスも私がとどめを刺す。おまえは私に何か至らぬことがあった場合にだけ超能力を使えばいい。これで少しは気が楽になったか?」


「………」


 目を開いたジュリエットは探る視線でラファエルを眺めた。


「物事を成し遂げるにはときとして汚れたことにも手を染めなければならない。それが現実だ。おまえは偉大な力を有してはいるがその方面での意思は限りなく弱い。おまえの弱点と言ってもいい。だから私はおまえにそういう役割を期待しないことにした。汚れ役は私が引き受けよう」ジュリエットの性格を掌握したラファエルは恐ろしく理解のあるところを示し行動に無駄がなかった。「おまえは良心という名の幻想にしがみついて私をサポートすればいい。その超能力を小出しにしてな。私はおまえの力を賞賛するがおまえという人間を軽蔑する。良心に教条的となり何もせず、その役目を他人に押しつけようする者は汚れた行動を自覚している者より立派だとは思えないからだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る