第80話 高等弁務官への反逆を選択
「あら、いい男が二人で何を話し込んでいたの?」
笑顔を繕うミレアは機動歩兵から降り立った二人に興味津々の眼差しを向けた。笑顔は嘘だとしてもその質問内容だけは嘘ではない。
それに瞳の奥は笑ってはいなかった。
ラファエルとジュリエットは随分と話し込んでいたから、ミレアにしてみれば人工生命体かもしれない相手にジュリエットが何を話し込んでいるのか、まったくもって不可解であった。
「いろいろ有意義なことを話し合っていたのですよ、高等弁務官」ラファエルは言った。「フレーザー最高執政官は存在しないという正しい回答を含めて」
「政治に興味がなければ国家元首の名といえども間違えることはよくあること…ではなくて」
ミレアはチラリとジュリエットに視線を向けた。この男がいらぬ答えを教えたということだろうか。事前に意思統一しておくべきだったと後悔する。
「高等弁務官は私をテストされた」ラファエルはやんわりと切り出した。「私が人工生命体かどうかを確認するために」
ミレアの背筋に薄ら寒いものが走った。
いまこのような言葉がでるということは質問に隠された意味をコクピット内での会話で気づいたに違いない。
彼女は再びジュリエットに視線を向けた。会話の怪しげな流れに何らかのフォローを視線で促そうとするが、機動歩兵少尉はまるでラファエルのように無表情で微動だにしなかった。
「ユーモア溢れる発想ね」ミレアの口元はぎこちなさが避けられなかった。「この状況下では悪い冗談にしか聞こえないわ」
「時間の浪費はよそう」ラファエルは額にかかる前髪をかきあげた。「高等弁務官の判断と結論はまちがっていない。たしかに私とレティシアは人工生命体だ。所内メールまでは私も頭がまわらなかった」
ラファエルの口から人工生命体であることを告げられるのは、その正体がわかっていただけにそれほど衝撃的なものでもなかった。
ミレアにしてみれば所内メールの存在を人工生命体の口から聞かされることの方がよほど衝撃的であった。なぜならばそれは彼女とジュリエットしか知らないことであり、本来的にはラファエルが知るはずもないからだ。
なぜ知っているのか。
『まさか…』
ジュリエットがその情報を人工生命体に話すはずがない。しかしミレア自身が話していないのだからそれしか考えられない。
「ルクレール君」ミレアは唯一頼れる人物に声をかけた。「彼を拘束しなさい」
ミレアの頭ではジュリエットがレーザー銃を手にしてしかるべき行動をおこなうのを想像していた。だが現実には頼れるべき相手は無言のまま動こうとしない。
「ルクレール君」まったく予想しないジュリエットの態度にミレアは内心焦り初めていた。「私の命令を直ちに実行しなさい」
「残念ながら」ラファエルは口を挟んだ。「その命令は実行されそうにもない。なぜなら彼はわれわれ人工生命体と共闘関係にあるのだからな。彼は私とレティシアを地上へと連れ出すことに同意した」
ミレアがその言葉の意味を理解するのに少し時間を必要とした。文字通り信じられないという驚愕の表情を浮かべジュリエットを見つめる。
彼女には無謀と思えるこの行為の動機がまったくもって理解できなかった。
「なぜなの…」ミレアは自分を救出に来たはずの男が豹変したことにショックを受けていた。「なぜ人工生命体の味方を…」
ジュリエットは呵責に耐えきれなくなり目をそむけた。
「おまえを殺すのは容易い」ラファエルは一歩踏み出すと右腕を伸ばし五本の指先をミレアの喉元に突きつけた。「この手を少し動かせば真空現象がおまえの首を切り落とす」
ミレアは後ろへ退こうとするが恐怖心に金縛りとなった体は意思通りに動かず、声ですら喉元に留まって口にすることはできない。
思い出される首なし死体。
床と壁面を塗装する血糊。
『高等弁務官殿、いずれはあなたもこうなりますよ』
床に転がる哀れな首は生気のない瞳で訴えていた。もちろんミレアはそれを忘れたわけではない。
「待て!」ジュリエットはラファエルの右肩を掴んだ。「殺すなと言ったはずだ」
「勘違いするな、殺すつもりはない」ラファエルは右腕を伸ばした姿勢のままジュリエットを見やった。「地上の権力がこの状況では通用しないことを警告しただけだ。馬鹿げた幻想が死を招くことをな」
「おまえこそ馬鹿げた行動は慎むことだ」ジュリエットの瞳は先程の気弱さが消滅しており、一転してドスの効いた鋭い光を放っていた。「おまえの心はいつでも透視できる。だから俺に嘘や陰謀は通用しない。行儀よくしていることだ。さもなければその報いを必ず受けさせる」
「おまえに対する最大の敗因は…」ラファエルは右腕をおろして自然の体勢になった。「…私が女に生まれてこなかったことだな」
「それは短絡的な分析だな。たとえおまえが女であっても容赦はしない。勘違いするな」
「価値観論争で時間を浪費するのはよそう…私は成すべきことをしなければいけないからな」
ミレアには二人の間でかわされる会話の意味が理解できずにいた。特にジュリエットが口にした「心を透視する」とはどういう意味なのだろうか。
「…高等弁務官と二人きりにしてくれないか」
ジュリエットは呟くように言った。
「時間がない」
「話はすぐに終わる。必要な処置も俺がする」
「…随分前向きな心変わりだな。私としてはこれを手放しに喜ぶべきなのか、あるいは何か偽計を企てていると考えて警戒すべきなのか」
「おまえは人を煽るのが上手いからな」
ジュリエットの視線とラファエルの視線が一瞬だが衝突する。生与殺奪を人工生命体と機動歩兵少尉の両名に掌握されたミレアはただ事態の成り行きに身を任せるしかなかった。
「よかろう」ラファエルは譲歩した。「私にはおまえの心を透視することはできない。だからおまえが私を裏切る算段をしていても事前に察知するのは困難だ。それに正面切って勝てる相手ではない。だが警告しておく。おまえを殺すことはできなくてもおまえ以外の者を殺すのは簡単だ。それを忘れるな」
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