第30話 無用の用

「私の本職は教師であって大使では御座いません。ときに王女殿下、お食事でもいかがですかな?」


 その言葉にいままであまり意識していなかった空腹感が現実感をもって痛切させられた。留置室で意固地になり、ハンガーストライキを決行していたエルフは、これまでほとんど食事らしい食事を摂っていなかったのだ。


「天界人の食べ物は正直理解できぬが…」


「基本的にこの世界のものと変わらないのでご安心ください」


 ジャファルが合図をすると給仕アンドロイドが盆にグラスと皿を乗せて入室してくる。瞬く間に配膳が終了するとその手際のよさにサミーラは感心した。


「では地球とエルシオンの友好を祈願して…」


 二人は食前酒で乾杯をあげた。だがサミーラには釈然としないものがあった。なぜなら彼女が天界人の街に来たのは「イリシア」のためであって「エルシオン」のためではないからだ。


 ほのかに甘い食前酒を楽しむエルフの王女様は子竜がその細長い首を伸ばしてスープ皿に口をつけているのを目にした。


「リース!」


 まるで自分自身のマナーがなっていないような錯覚にとらわれてサミーラは思わず声をあげた。


「良いではありませんか、王女殿下」


「この者は食べることしか頭にないので、周囲のことが見えてないのだ」


 ジャファルは微笑ましい光景に笑みを浮かべ給仕アンドロイドに子竜のための配膳を指示した。


「ジャファル殿は教師が本職だと言われていたが何を教えておられるのだ?」


 サミーラはリースのことが恥ずかしくなって話題を反らせることにした。


「いささか哲学と文学に嗜みが御座いますので大学で教鞭をとっておりました」


「私は魔法学一筋だったのでその分野には通じていない。われらの世界に共通する真理があるのならご教授願いたい」


 ジャファルは食前酒のグラスを眺めながら頭を大使から教授に切り替えた。


「『無用の用』ですかな…この世にあるすべての有用なものは無用の存在を前提としており、それゆえに真に無用なものは存在しないということです」


「あまりに抽象すぎて私には理解できぬ」


「ではこういう例えはどうでしょうか。戦いに勝つことができるのは負ける者が存在するから…というのではご理解いただけないでしょうか」


「それは詭弁だ」


「しかし世の中すべてが強者だけで弱者が存在しなくなれば、やはり強者という存在自体が成立しないのではないでしょうか」


 サミーラは「う~む」と呟きながらスプーンを手にした。子竜が懸命にスープを口に流し込んでいる光景が横目ながらにわかる。


「私の即物的な性格ではジャファル殿の教え子にはなれそうにもない。やはり魔法学が性に合っている」


「地球連合でもこのような考え方は少数派ですよ」


 サミーラはスープを一口静かに啜るとそろそろ言うべきことを言わなくてはいけないと心を緊張させた。

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