第3話 高等弁務官と超能力者

「…何かあれば連絡を頂戴」


 突然の気まぐれで昼に帰宅することを思い立ったミレアは構内回線でその旨を秘書に告げた。午後からは高等弁務官としての業務予定は何もなかったので、久しぶりに自由な午後を過ごしたくなったのである。


 高級幹部専用のエレベーターに乗り込むと2階を指定する。帰宅するはずの彼女がなぜ2階を指定するのかといえば、人の出入りが激しい1階に降り立つと高等弁務官の存在に気がついた職員らが視線の集中砲火を彼女に浴びせ、二つに分かれた人混みの間を「大海の亀裂を渡るモーゼ」のごとくお辞儀の嵐に見舞われるからである。


 都市に君臨するナンバーワンといえども、白昼堂々と帰宅するのにはやや抵抗感があったから、人目を(特に部下の目を)避けて帰宅したかったのだ。


 2Fでいったん降り立ち階段を経由して一階非常口の扉から外に出ると、そこは高等弁務官府の裏通りに位置していた。


「……?」


 どういう移動手段で帰宅しようかと考えはじめたところに、裏通りをウロウロしている軍人の姿が目に映る。何やら周囲の建物をキョロキョロ見わたして「私は迷子です」というのを背中に書いてるようなものであった。


 まだ年端もいかぬ男性のようだ。


『女の私よりも肌が綺麗!』


 相手の顔が目に入ったときミレアは心のなかで驚愕の声をあげざるえなかった。





 高等弁務官府の裏通りで迷子のように彷徨っていたジュリエットは、ふらりと裏口から姿を現した文官服の女性と視線がかち合うこととなった。


「あの…」最初に口を開いたのはジュリエットだった「…憲兵隊本部がどこにあるのかご存知ですか?」


 ボーイソプラノの美声に肌の美しさも重なり合ってミレアは何かドキッとするものを感じた。そして彼女が思っていた私は迷子ですという印象は間違っていなかった。


「憲兵隊本部?」


 ミレアはほんの少しばかり「えっ?」と驚きを含んだ声で相手の口にする場所を復唱した。


 というのも憲兵隊本部は高等弁務官府の裏隣り…すなわち目前の建物がそうであり、その本部前で「…憲兵隊本部がどこにあるのかご存知ですか?」と訊ねられると、相手の美しさと愚問のギャップに少しばかり戸惑いを感じざるえなかった。


『…きっとこの前の宇宙船でラザフォードに来たばかりなのね』


 ミレアは相手の愚問から自分なりの結論を導き出した。それに普通の意味でラザフォードに駐留する軍人ならばここの最高指揮官である彼女のことを知らぬはずがないから、迷ったとはいえ場所を訊ねるのにわざわざ高等弁務官に声をかけるはずもないだろう。


 ミレアが黙って憲兵隊本部の建物を指さすと、ジュリエットはバツの悪そうな表情で「有り難う御座います」とお礼を言いその場から立ち去ろうとした。


「…この前の宇宙船で来たばかりなのでしょう?」


 立ち去ろうとする相手に声をかけると、男は振り返って「あ、はい…」と答えた。


 ミレアの心のなかでは相手を少しからかってみたいという悪戯心が芽をむき出していた。仕事以外ではあまり人と関わり合いたくないという心情にならないのは相手の美しさゆえといったところだろうか。


「連いて来なさい。私が案内してあげる」





「憲兵なの?」


 通りを横切り高等弁務官府に隣接する憲兵隊本部へと足を進めるときにミレアは訊ねる。しかし質問した彼女自身は相手が憲兵とは思えなかった。この男は憲兵にしてはあまりにも雰囲気が柔らかすぎる。


「いえ…機動歩兵のパイロットです」


 ジュリエットには相手の行動が不審に思えた。どうしてわざわざ目前にある建物まで案内を買ってでたのだろうか。だがあまり深く考えないことにした。いずれにしても受付に文書を手渡して基地に帰投すればいいだけのことだ。


「機動歩兵…? ああ、あの大きな人型ロボットのパイロットなのね。…それでどうして憲兵隊に用があるの? 誰かの身元引き受けにきたとか?」


「別に悪いことで来たわけではないですよ」相手は苦笑しながら「文書の配送に来ただけです。憲兵隊長への文書が誤って機動歩兵隊に誤配送されていたので」と答える。


 憲兵隊長という言葉がミレアの心のなかに芽生えていた悪戯心をさらに成長させた。


 憲兵隊本部の入口まで到着するとジュリエットは「本当に有り難う御座いました。あとは一人で結構ですから。受付に文書を手渡して基地に帰投します」とお礼を口にしてその場で相手と別れようとした。


 ミレアは相手の言葉を無視するとそのまま憲兵隊本部のなかへと足を踏み入れた。


 さすがにこの行動はジュリエットも予想できず、内心慌てふためくと急いで建物のなかに続いた。


『いったいこの人は…』

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