Stray to...

影沼いど👁

Kill or Die

 姿見にうつった体を見て私は思わずため息をつく。おおよそ年頃らしくない背丈、肉付きの悪い体――それはいい。いや全然よくはないけれど、今は置いておく。

「羽かあ……」

 くるりと後ろを向けば、肩甲骨の辺りから一対の白い翼があった。力を込めれば動いたのでどうやらこれはちゃんと生えているタイプの翼らしい。

 大きさは鶴くらいだろうか。小鳥くらいなら制服を無理やり上から着てしまうことも出来ただろうがこれでは無理だ。

「ふぬぬぬぬ」

 はばたいてみようとするものの、肩甲骨や肩自体が動いてしまって上手くいかない。小指のようなもどかしさがある。訓練次第では動かせるだろうが、背中がつる方が先だろう。

 あの後輩がこれを見たらさぞかし狂うんだろうなあ、と私は二度目のため息をついた。



「はぁぁぁ……」

 私の姿を見るなり彼女――天千院てんぜんいん黎火れいかはとても大きく吐息した。

「先日の体が16色ドット絵になってしまった時にも思いましたが、やはり神様はいらっしゃいますのね」

 ヤバい。目が逝っている。しかし私もこの後輩がいなければ生きていられない身の上。ある程度は許容する所存である。

 しかしあまり詰め寄られてはまずい。今の私は羽のせいで下着の上からシーツを巻き付けただけの防御力低下状態である。無理やりそういうことをしてくる性格ではないと知っていてもさすがに心もとなさがある。

「ところで先輩、知っています? かつて天使というのは両性具有――つまり、男性器と女性器の両方を兼ね備えた姿で描かれていたということを」

「え、待って。なんで解説しながら脱ぎだした」

「先輩だけ脱いで頂くのは失礼かと思いまして」

 その足元にさらりと制服が落ちた。ここまでぐいぐい狂うのは久々だ。よほどツボを押さえてしまったのか。後輩はこのミッション系女学院に初等部からズブズブのズブだから仕方ないのだろうか。制服も修道女モチーフの黒ワンピだし。

「そういう脱ぎにケーションはよくないと思うよ。すくすくと育ちやがって。なんだそのおっぱいは。なんだその尻は。そしてなんだその細い腰は。ふざけるなよこのお嬢め。わからせてやる」

「んっ……ちょ、ちょっと先輩、どこに指を」

「へそですけど」

 つんつくつん。少し縦長の綺麗なへそだ。つつくたびに力が入ってしまうのか腹筋の形が分かる。普段からある程度トレーニングしていると前に言っていたっけ。こうなるなら私も腹筋くらいしようか。いや無理か。翼が邪魔で寝転べないし。やめたやめた。

「あ、あのっ、先輩っ? 触りすぎではないですの?」

「はー? 自分から脱いだくせに何言ってるのー? 触られたかったんでしょー?」

 美しい肌を白磁のようだなどと例えたりするが、後輩の体は触れてはいけない芸術品のようにも思えた。安っぽい室内灯で照らしているのが勿体ない。もっと適した照明があるのではないか。間接照明とか。あ、

「後輩に一番似合うのは月明かりかな」

「なんの話ですの?! 野外露出はわたくし立場もありますしさすがに抵抗があぅんっ」

 こんな脳内ドピンク敏感女が世界に名だたる天千院グループのご令嬢なので世も末だ。そもそも異常体質の私を拾って裏口でねじ込んだ時点で大概スキャンダルだよ。

「でも後輩、そういうの嫌いじゃないでしょ?」

「先輩がきちんとご主人様としてわたくしのことだけかわいがってくださるならアリですけれどきゃうん!」

 尻を挟み込む形で叩くと、後輩はその場にぺたんと尻もちをついた。太ももに両腕を挟み込むような形でそんな体勢になっているから谷間の深みがやばみで指が吸い込まれそうになったが私はその手の人ではないのでぐっとこらえた。

「要求が激しいんだよ後輩は。いいから服を着なさい服を」

「着ないとどうなりますの? もう一度くらい頂けます?」

「顔でいい?」

「顔に頂けますの?」

 えー。

 なんで上目遣いで見てるのこの子。無敵か。

「あっ、すごく嫌そうなお顔! ご褒美! ご褒美ですわね! 先ほどのように悪戯されるのも嫌いではありませんけれど、やはりゴミのように見下される方が響きますわ!」

 後輩はその手の人で難病を併発している。治らないやつだ。出会った頃はわざとキャラを作っているのかと考えたこともあった。永世名誉ぼっちの私はとにかく失礼極まりない人間なので合わせるためのキャラクター性を演じている可能性を考慮しないこともなかった。今消し飛んだ。

「さ、先輩。いつでもかまいませんのよ」

 差し出すように顔を向けて目を閉じる後輩である。少女漫画で見たことある。ラブラブカップルがちゅーねだるやつだ。そんなことを下着姿でしたら暗転挟まって次ページでお風呂場で体洗ってるかピロートークしてるかどっちかだぞ。私は詳しいんだ。

 しかしどうしたものだろう。思惑通りにぺちんとしてやるのも釈然としないし面白くない。いっそ逆にちゅーしてやったら不意を打てるのではなかろうか。いや待て私。不意を打つためだけに私のファーストちゅーを消化するのか。愚かな。

 私がこれだけ熟考しているにも関わらず後輩は散歩を待つ犬のように浮かれた様子で目を閉じたまま待っている。

「黙ったまんまならホント女神みたいにキレイなのにね」

 あっ、ニヤけた。この後輩チョロすぎる。



 私が後輩と出会ったのは半年前の冬。骨の髄まで冷えるような、私が人生で二番目に死にたくなった日。

 産まれた頃から、私には異常な体質があった。今日みたいな翼が生える程度の平和なものや――触れた物を焼き尽くすまで消えない炎を点けてしまうようなものまで。

 私を産んだ母は精神を壊した。母が入院して父は私に家政婦をつけて追い出した。家政婦は支度金と共にいなくなった。それから私は一人だった。当然のことだと思った。

 その日の私は帯電していた。アラームを止めようとしてスマートフォンは壊れてしまったし、ページが勝手にめくれて読書をするどころではなかった。

 普段ならば体質が出ている日は外に出たりしない。ただ、その日は退屈していて、とても大きな満月が出ていた。

 人気のなくなった深夜の街を歩き回り、もう少しあのお月様に近づけたらいいなと思って錆びた鉄階段を登った。普段運動をしてこなかった私には重労働で、五階建てくらいのビルだった。途中で雪が降り始めた。雪は私の回りで弾けて消えた。これでは人前は歩けない。登り切って止むのを待つしかなかった。

 頭が重たかった。屋上までたどり着いたらいっそ飛び降りてしまおうか。この帯電がいつまで続くかもわからない。まばたきをしたらなくなっているかもしれないし、死ぬまでずっとこのままかもしれない。

 誰の手も握るに値しない、そんな手。

 人の間と書いてにんげんと読むのであれば、私はきっと人外だ。

 こんなにお月様が綺麗なのだから、死んだっていいのだろう。

 そんなことを考えていたから、私はその屋上に先客がいるなんて考えもしなかった。

 雪吹く風に金色の髪をなびかせて、

 真っ青に冴えた満月を背に、

「あら――わたくしも迷子なんですの。よければご一緒しませんこと?」

 そう言って、彼女は私に手を差し出した。



 まあ後に本当に迷子だと思われていたことを知るのだが致し方ない。わたしの見た目が見た目だ。特に後輩のあの体を見たあとでは、いっそ自分ながらに年齢が見た目と一致していてほしいと思うくらいだ。成長期の可能性をまだ信じていられるから。

「それにしても、今回は平和なものでよかったですわね。そこまで生活に影響もなさそうですし、わたくし安心しましたわ」

 紅茶を傾け、それを音もなくソーサーに置く後輩。動作の一つ一つが丁寧で優雅。さすがは本場のお嬢様。おおよそ十分ほど下着姿でニヤついていた女と同一人物と誰が信じるだろう。

「ま、そーだけど。邪魔だよコレ」

 この学院に入学してから、私たちは放課後に毎日お茶をしている。先ほど後輩が今日のお茶に関しての解説をしていた気がするがあまり覚えていない。多分下着姿のままお茶を入れ始めたせいだろう。お湯が跳ねると危ないからとエプロンを着用しているが、

「いや服を着てよ服を」

「正直に申し上げますと」

 こほん、と一つ咳払い。何を改まることがあるというのだ露出狂め。

「ここ半年で色々と刺激があったせいか、今の制服は窮屈でして。あ、もちろん先輩の前でなければこんなはしたない真似はしませんのよ?」

「その特別感は求めてなかった」

 そうかー。育ったのかー。そうかー。ふうん。

「いつでも触って頂いて結構ですのよ。先ほどは少し心の準備ができてなかったので戸惑ってしまいましたけれど、そのためにお肌の手入れも欠かしておりませんから」

「確かに超手触りよかった」

「ありがとう存じます。先輩にそう言って頂けるだけでわたくしは報われますのよ」

「ふーん」

 後輩はいつだってストレートだ。こんなに金髪でこんなにロールしてて釣り目で巨乳の癖にツンデレでも悪役令嬢ムーブもしない。理性さえ溶けていなければ理知的で穏やかな巨乳である。

「手触りと言えば……その、お羽を触ってみたいのですけれど」

「まあそうなるよね」

 かたや私はと言えば小学校の半ばですっかり発育が止まってしまった。夕方以降に出歩くと必ず迷子かと呼び止められるので非常に忌々しい。

「別にいいよ。全然感覚ないし」

「まあ! それではさっそく失礼させていただきますわね!」

 席を立ち私の背後へと回る後輩。尻尾があったら振ってそうだ。あまり人とのコミュニケーションに慣れていない私にとってはわかりやすいのはありがたいけれど。

「それでは……あら、意外と見た目よりしっとりしていますのね」

「ふわさらーっていう感じではないよね」

「感覚は本当にないんですの?」

「触られてるなーっていうのがわかるくらい」

 なので振り向かないと後輩がどういう触り方をしているかはわからない。この後輩のことだからとんでもない触り方をしているのではないかと肩越しに様子を覗けば、

「え、何してるのそれ……」

 羽の中に顔を突っ込んでいた。さすがに予想外。

「んっ……ええ、先輩を吸っていましたわ」

 達成感あふれる笑顔。ご満悦だ。全然嬉しくない。げんなりした。とはいえこの住処や学院のことまで世話になっている身である。先輩として許容すべきだろう。後輩の口が何かもぐもぐしている様子があるが怖いので聞かないでおこう。触らぬ後輩に祟りなし。

「ちなみに先輩、こちらは動かせますの?」

「それね。練習してみたんだよ私」

 何も出来ずに暇だったから。正直言うと背中側にかなり疲労感が溜まっている。

「練習ですの?」

「そう。だって後輩も羽とか動かしたことないでしょ」

「ありませんわね」

「コツがあったんだよ」

 少しドヤる。このコツを見つけたのはお昼前だ。少しお高めのカップラーメンに冷凍のから揚げまでチンしてしまったくらいには達成感があった。

「いくよ? ひらけーーーーーー!」

 両手を横に伸ばして思いっきり叫ぶことで、なんとか開く。そして息が切れるとすっと閉じていく。朝はぴくりとも動かなかったこれを動かせるようになった満足感にドヤって振り向くと、

「かわ、かわわ……」

 語彙を完全に失った後輩がいた。あれ。おかしい。さすが先輩こういった異常事態も乗りこなしてしまわれるのですね的な反応が来るはずでは。あれ。

「あっ、だめ、先輩、あ、わたくし死にますわ」

 私のベッドにダイブして悶え始める後輩である。ちょっと待った。え。

「あっここだめ先輩のにおいで追加20デスしましたわ。死んだので動けませんわ」

「軽い。後輩の命が羽のように軽い」

 なんつって。いやそれはいいとして。

 あの紅茶で音一つ立てなかったお嬢様が、ばたばたと足を振り乱して悶え散らかしている。補足すると裸エプロンで。

 ああいう限界状態に入った後輩はたまにみる。私が自発的にあざとい行動を取る等するとチョロい後輩はすぐにああなる。足ばたばたは珍しい。よほど刺さったのだろう。

「え、待って後輩」

「待つのは先輩ですわよ。ひらけーって。そんな両手思いっきり伸ばして」

 あ。

「普段落ち着くどころか斜に構えて後方厭世面してる先輩が、そんな無邪気に」

 あー。あーあーあー。

「先輩、しかもそのご様子ですと自覚せずにやりましたのね? ドヤりたくて意識せずにやっちゃったのですわね?」

「やめろ。確認するのはやめろ後輩。そこで死んでいろ」

 あ、過呼吸起こしてる。本当に死ぬんじゃないのあの後輩。くそう。



 その夜。私は翼のせいでうつ伏せで寝ることとなり。あれだけ悶え倒していたのだから当然と言えば当然だけど、後輩の香りがすっかり染みついていて――少しだけ、あの満月の夜を思い出した。

 私は寛大な先輩なので、仕方なくワンキルを譲ってあげることにする。

 絶対に教えてあげないけどね。

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