大震災の後で

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大震災の後で

「震災があって、わたしたちが住む世界は、違うものになってしまったんですね」


彼女の名前はサツキさんと言った。ハンドルネームだ。本名は知らない。Twitterで相互フォローになって、1年か2年、やりとりをした。冒頭のは、サツキさんの言葉で、そうすると大震災の前からすでにやり取りがあったのかもしれない。3月11日の大震災だ。私は当時Twitter上で小説サークルを主宰していて、サツキさんは人を介して知り合った。サツキさんを紹介した人は程なくしてアカウントを消したので、どんな人なのかもおぼえていない。そもそも知り合いですらなかった。


そういうわけで、サツキさんとのつきあいの方がずっと長くなった。話しぶりからすると女性のようだが、本当のところはわからない。アイコンはぴったりとした服を着た、女性の首から下の写真で、靴箱の上に足を投げ出している。手首にスカーフを巻いている。Twitterは顔を出す人があまりいないから、不自然ではなかったが、靴箱の上に座っているのは妙だった。しかし敢えてそれには触れなかった。


サツキさんも何度か自分の作品を投稿したが、そこまで頻度は高くなかった。スティングの歌のタイトルをそのまま話のタイトルにしたものがあった。オンラインの読書会には自身の作品があってもなくても参加し、感想を述べてくれた。私の小説を読んで「笠奈はイヤな女。主人公もだけど」と言っていた。


新型コロナが世界中に流行して、サツキさんの言葉を頻繁に思い出すようになった。震災のあと、私たちの世界は断絶されたのだ。余震が徐々におさまり、少しずつ以前と同じ生活が戻ってきても、そこはもう、かつてとは違う世界だった。


サツキさんはそう言いたかったのだろうが、私には何が違うのかはわからなかった。私にとっての世界は、震災以前から、ぼんやりとしていた。ヘリから映す津波の映像も、あまり熱心には見なかった。見られないのではなく、興味を抱けなかった。当日会社は停電にはなったが、幸い家に帰ることはできた。都内では、地下鉄で、死を覚悟した人もいたようだ。新宿の勤め先で、倒れた備品棚の下敷きになってケガをし、TwitterでSOSを出している人がいた。後にそれはデマだとわかった。最初からデマじゃないかと思ったが(だってまずは119番するだろ?)それを指摘できる空気ではなかった。余震が起きる度に私のタイムラインが動揺し、行方不明の家族やペットの情報は始終リツイートされた。あと何があったっけ? もう色んなことを忘れてしまった。絆とか、私には理解できなかった。それでも、計画停電になって嬉しかったことは、おぼえている。被害者の痛みの一端を、引き受けられた気がしたのだ。公民館のそばに住んでいると、停電から除外されるが、そういう人は後ろめたそうにした。私は堂々と

「寒いから風呂も冷めちゃうし。スマホの充電もなくなっちゃうから寝るしかないよ」

と文句を垂れた。しかし、まったくへっちゃらな人もいた。


サツキさんはスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」をタイトルにした話を書いていた。かろうじてサイトが残っていたので、私は読み返した。女性のピアニストが演奏していたら、酔った日本の政治家に胸元に手を入れられて憤慨する話だった。いつでも日本の政治家は悪者だった。女性のピアニストは外国人で、スケベな政治家を殴ったが、店のマスターに咎められ、謝罪までさせられた。ミュージシャンなら暴力に訴えるのではなく、演奏にぶつけるべしと諭された。しかし、帰りがけにバーテンが、感情を演奏にぶつけるのはよろしくないとたしなめる。

「あなたの演奏するイングリッシュマン・イン・ニューヨークは、いつだって素敵ですよ」

いつだって、自分の思いも寄らないところで、自分が認められるのは清々しい。自分が認められたいところだって、もちろんいいけれど、それって半分は自分が要求した結果みたいで、すっきりしない。ピアニストは横断歩道の手前で空を見上げ、今夜はイングリッシュマンを演奏しようと思うのである。きっと季節は秋である。


「会長は優しいんですよ。優しすぎるぐらい。だからみんな、心を許すんですよ」

サツキさんは、私のことを「会長」と呼んだ。私が小説サークルを、主宰しているからである。しかしサツキさん以外に、そんな呼び方をする人はいなかった。

「私は自分が優しいだなんて、思ったことありませんよ。弱いだけです。弱い人間は、誰の力にもなれない」

「同じことです。それに会長は弱くありません。弱いというのはわたしのような......」

サツキさんは言葉を濁したが、言いたいことはわかった。私の周りには、何らかの疾患を抱えていることが多かった。直接聞かなくても、投稿の端々にそれが感じられた。日々睡眠薬の量に気をつけている人が何人もいた。うかつなことを言って、トラブルになることは何度かあった。私はそれ以上我を通すことを諦めた。

「会長、でも、これだけは忘れないでくださいね。どんなに優しくしても、いずれはみんな離れていくんです。その人のことをどんなに想っても、届かないどころか、傷つけてしまうこともあります」

「そうだね」

「会長が本当に孤独になってしまったとき、わたしがそばにいてあげられればいいんだけど」

私はそのときサツキさんに会いたいと、激しく思った。お互い顔を合わせれば、より関係は強固になると思ったのである。実際私はTwitterを通して、何人かの人には会っていたから、それほど難しいことでもない気がした。だが、結局言い出せなかった。サツキさんは、そういうタイプではなかった。



新型コロナによる緊急事態が発令されても、私の気持ちに変化はなかった。しばらくスマホで新たな感染者数をチェックしていたが、途中で飽きてしまった。検査数もセットで公表しないと意味がないらしい。「意味がない」という意見もどこまで信憑性があるのか、わからない。英語が読めれば、また違うのだろうか。遅かれ早かれ私も感染するようだ。そう考えると、何もしなくても同じな気がする。仕事は当たり前のように続いている。相変わらず私は人に振り回され、誰の力にもなれずにいる。


Twitterは、その後、仲の良かったアカウントも消えてしまったり、関係が変わったりするうちに、私も飽きてやめてしまった。サツキさんも、徐々に投稿が減り、ある日見に行ったら、違う人のアカウントに入れ替わっていた。


サツキさんが言うように、世界はまた違うものになってしまった。

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