6.
クローゼットにある兄の服は、僕が持ってきた服と入れ替えて収納ボックスにしまっておく。そうしておくつもりだったけれど、冬用の上着をしまうだけでやめてしまった。
僕の好みと兄の好みは微妙に違う。だけれども、どこがどうというのは難しい。兄が持っていた赤いフランネルシャツを僕は持っていないし、僕が持っているカーディガンの類を兄は持っていなかった。明確な信念があったわけではないだろう。人生のどこかのタイミングでカーディガンを着ようと思わなければクローゼットの中にカーディガンが提げられることはない。さらに僕の方では、兄の服と被らないようにという意識があったように思う。一緒に歩くわけではなくても、ペアルックのように思われるのは嫌だった。兄の存在は気が付かないうちに僕にささやかな制限を与えていたのかもしれない。
兄の持ち物には丈が長いスプリングコートがあった。それを羽織った兄の姿を僕は知らない。試しに姿見に自分を写して、梓川さんに画像を送ってみたら、「すごく似ている」と褒められた。梓川さんが部屋に着たときにも羽織り、再び同じことを言われた。声音が重なると、梓川さんが感動してくれていることがよくわかった。
兄の着る服の組み合わせを梓川さんから教えてもらった。着こなした兄の姿を知らなくても、姿見に映る僕の姿は、少なくとも僕自身とは異なると思えた。少し背を丸めればなおさら兄に近づく。兄の仕草は変わっていなかったんだなと思って少し安心する。
部屋の隅に置かれていた段ボールが少しずつ解かれて、僕の荷物が増えていく。兄の荷物が少なかったせいもあるだろうけれど、僕の物が兄の領域を次第に掻き消していくようだった。
梓川さんがよくうちに来て、僕の片づけを手伝ってくれた。部屋の片づけから物の配置、家事の仕方まで教えてくれた。梓川さんも一人暮らしだからよく知っていたらしい。住んでいるのは電車で二駅程度。僕の感覚だと、歩いてもいける距離だ。
「でも寛也さんは一度も来なかったな」
梓川さんは不貞腐れたようにつぶやいて、僕の右手に手を触れた。最初は了解を得る手順があったけれど、そのうち簡略化されていった。梓川さんが兄のことを思い出したときは、僕の右手に気のすむまで触れるのだった。
たぶん梓川さんは兄にも一人暮らしの指南をしてくれていたのだろう。直接質問したわけではないけれど、右手に身を寄せる梓川さんの姿を見ているとそんな確信が生まれた。
兄の行方は杳として知れない。これがせめて国内なら探しにも行けるけれど、フィリピンは遠かったし、領事館が把握できない人の流れを素人が見つけられるとも思えない。フィリピンの土砂の下に埋もれているのだとしたら、見つかるかどうかもわからない。
口に出さない不安は僕の右手に託された。梓川さんがさすってくれる間、僕も右手に手を触れていた。兄はそこにしかいなかった。そこにだけでもいることがせめてもの救いだと思った。
〇
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