第4話
五月。
子供の頃は運動会ってのは、10月のイメージがあるんだが、最近は5月に行われることが多いらしい。
10月は文化祭もあるから親睦会も兼ねての5月に行うというのは合理的だなとは思う。
仕事が分散する方が大変か、凝縮する方が大変かと問われれば、どちらも大変だと言う他ないが。
僕の務めている高校の運動会も5月だった。
新学期早々大忙しだが、それは生徒も父兄も同じだろう。親睦を深める上でも、乗り越えたいイベントだ。
「秋田先生」
「あぁ、宮先生。どうも」
学年主任の宮先生と職員室の出入り口ですれ違った。
「秋田先生、毎日ものすごい量のトレーニングをされていますよね。それでどうして、スポーツ系の部活動に立候補されなかったんですか?」
僕の筋骨隆々な腕を見て、そう言っているのだろう。
「スポーツが好きだから、筋トレしているわけじゃないんですよ。子供の頃のちょっとした約束の実現に、ある程度の筋力が必要だから、続けているってだけで」
僕は笑って話したが、言葉にすると、改めて子供の頃の約束に気持ちが引っ張られていることに気づいた。気にしないようにしているというだけでなかなかどうして、とても気にしているように思えた。
宮先生と別れ、グラウンドに並べる椅子を取りに体育館に急いだ。
もし、約束のあの子との出会いが、先生と生徒という形でなければ、あるいは。
いや、もうよそう。
そんな甘い考えを断ち切るように、頭を運動会の運営に切り替えた。
◇
春川をクラス委員に任命して良かった点。
クラスの団結力が目に見えて良くなったこと。これまでクラスの決め事はぐだぐだと時間をギリギリまでかけて、結局は僕がそれとなく案を言って、それに倣うという、消極的なクラスだった。
今回のクラス委員を決めるという案に、寝ている生徒を立候補させるというのも僕の案だった。言葉とテンションはぱっと見、前向きなのだが、方向性は僕が決めなければならなかったのに。
だが、今のクラスは、別物だった。
春川がクラスの決め事を決める際、適任とも言える人に意見を聞き、逆にその意見に反対意見を持つ人に意見を聞く。
そうして自然に討論の場になり、あれよあれよという間に、意見は磨かれ、より洗練された企画になる。
僕は、春川を甘く見ていた。
それが実を結んだのが、春川発案、クラス対抗パン食い競走である。
こんなパン食い競走は聞いたことがない。
ルールが洗練されている。
まず、第一のフェイズ。走者は自分のレーンに下がっている糸の所まで行き、その糸にぶら下がっている封筒を口で取り、中を読む。
その中には自分が求めているパンの種類が書かれている。「メロンパン」「ジャムパン」「クロワッサン」……などなど。
そして、それらのパンの絵を頭に付けた他クラスの生徒が、グラウンドの中に待機している。
第二のフェイズ。
レーンからグラウンドに入り、自分の取った紙に書いてあるパンの絵を頭に付けた人(以降、逃亡者と呼ぶ)が逃げるので、捕まえる。鬼ごっこみたいなものだ。
ここがなかなか戦略的なもので、逃げる人にとっては、誰が自分のパンの絵を追っかける鬼なのかはわからない。わからないから、誰が来ても良いようにと気を張る。
そして、鬼役の走者の求める逃亡者は一人だけ。つまり、逃亡者と走者は1対1となるはずだから、もし逃亡者を2人が追っかけている場合は1人がフェイクなのだ。メロンパンを追っかける振りをして通り過ぎ、後ろから本命のクロワッサンを捕まえる、というような戦略が生まれる。
逃亡者は走者とは違うクラスの人が担当するため、逃亡者は、自分ができるだけ逃げ切れればそれだけ自分のクラスが有利になる。パン食いレースに出ている走者の足の速さだけでは、この勝敗ははかれないのだ…。
そして、第三のフェイズ。捕まえたパンの絵を、グラウンドの隅にある「パン屋」に持っていくと、本物のパンが貰える。
そして、レーンに戻り、自分でそのパンを糸にくくりつけ、再スタート。糸を通り過ぎ一周して再びパンのぶら下がった糸に戻ってきた時に。
やっと、本当のパン食い競走が始まるのだ。
パンを口でくわえ、ゴールに走る。この一連の流れが競技となる。
春川曰く、「パン食い競走ではパンのありがたみが薄れている。パンにたどり着くまでにいくつか壁が欲しい。そうすればパンへの噛みつきももっとドラマチックになるはず」とのこと。
春川が発案し、企画を練り上げて言った結果、なんと運動会の新競技にもなってしまった。
おそらくパンを食べたいというだけだったのではないかと推測するが、その熱意はクラスを、学校を動かしたのだ。
競技名は『トライパンアスロン』となった。
同票で『パン食い
僕は『パン食い狂想曲』の方が好きだったが、残念。
そして、今日、見事『パン食い狂想曲』……じゃなかった、『トライパンアスロン』で走者となった春川は、ちぎりパンを口にくわえ、ぶっちぎりで1位となった。
我が2年D組は、運動会の総合成績で、2学年の中で2位という、なかなかの成績を収めた。
ちぎりパンを頬張りキラッキラの笑顔で1位の旗を持つ春川を見た時、自分がつまらないこだわりで凝り固まっているように思えた。
子供の頃の春川の性格と今の性格が真逆だろうと、あの子はとても魅力的な人間だ。
もし、あの時の約束を彼女がまだ覚えていてくれているというのなら…、いや、だとしても、だ。
好きか嫌いか、ではない。
先生と生徒は、倫理的に宜しくない。
それは、自分だけの話ではない。春川にとって、春川の御家族にとって、堂々と胸を張れる選択ではないと思った。
◇
運動会が終わり、春川がにやにやしながら近づいてきた。
「はい! 先生おつかれ! これあげる!」
はい、半分こ。と渡してきたのはちぎりパンだった。春川はレースで余ったちぎりパンを回収していた(大目に見た)ので、彼女のカバンにはちぎりパンがぎっしり詰まっているのだろう。
半分ことは言うものの、半分の半分くらいの大きさのちぎりパンをもらい、
「あぁ、ありがとな。今日はおつかれ、春川」
と、礼を言いつつすぐ食べた。
片手にちぎりパンがあっても、誘導の邪魔だしな。
生徒たちが帰路に付いてから、僕たち教師の後片付けや業務が始まる。
校門の前で生徒を送り出す。生徒の目に見える上では最後の仕事だ。
「あ、逃げちゃった。あの子、ちぎりパン食べないのかー、なかなかグルメね」
「おい、春川。寄り道してないで、さっさと帰りなさい」
校門の外でしゃがみ込む春川に注意した。一体何をしているんだか。
「はーい。あーつかれた。ねむい」
と、思っていることをそのまま呟きながら、春川とクラスメイト数名は角を曲がり、見えなくなった。
ふと春川がしゃがみ込んでいた道路を見ると、ちぎりられたちぎりパンが地面に落ちていた。
「これは……まさか、春川のやつ……」
ちぎりパンは、アリの巣の近くに置かれていた。
昔の思い出がよみがえって来た。
あの頃、二人でアリの巣を眺めていた頃のこと、あいつは覚えていたのか。
「あいつは、あの頃のまま、変わっていないのかもしれないな……」
僕はちぎりパンの大きさをスマホで撮影した。今後、このパンがどのくらいの速さで消費されて小さくなっていくのか、楽しみでしょうがなかった。
さ、運動会の残務、がんばろうか。
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