第2話

「はるかわさくらこちゃんって言うんだ。じゃあ、らこちゃんって呼ぶね」

「えー、なにそれ笑 おもしろいね、ヨウ君」



 ◇



 僕にとって初めてのマイスイートハニー。それがらこちゃんだった。

 僕はその頃アリの巣を観察することにハマっていて、日がな一日ずーっとアリの巣を見ていた。

 今だったらアリの巣キットのようなものが売っていて、アリが巣を作る様子を、側面から観察できる。僕が子供の頃はそんな気の利いたものはなく、かと言って家にアリを持って帰って研究するという熱意を持っていた訳でもなかったから、土に空いたアリの巣から、アリが出ては帰り、出ては帰りという様を、ただ見ているだけだった。

 時には角砂糖を置き、それがどのくらいの日数で無くなるかを観察していた。

 まぁ、無くなる前に雨が降って、角砂糖は溶けて流れてしまい、結局その実験は失敗に終わったけれど。


 僕がよくアリの巣を観察していた公園には、でっかい桜の木があった。

 ちょうどらこちゃんと自己紹介をしあっていた時に、小さい竜巻ができて、アリと桜の花びらを巻き上げていったっけ。僕はアリを追いかけて、その自己紹介を途中で切り上げてしまったんだけど、彼女はそれを見て、「ふふふ」と上品に笑っていたのを覚えている。


 そう、その、らこちゃん。

 と、同じ名前の子が生徒にいる。


 春川桜子。

 だが、思い出の中の彼女は上品で大人しくて三歩下がって後ろを歩いてくれる女性、という感じだった気がするのだが、目の前のアイツは授業中は寝るわ、起きていたかと思えば早弁しているわ、五十歩も百歩も前を歩いて道を切り開いているようなアクティブな女子生徒である。それは、昨年一年間、担任をしていたからわかる。


 悪い子ではない。困っている人を見かけたら体が動いてしまうヒーロー気質であるし、友人も多い。彼女を悪く言う人も少ないだろう。

 だが、恋愛対象として考えるかと言われれば、それは否だ。もちろん、女子生徒にそういう感情を抱くのはお門違いだとも思う。


 思い出の彼女は思い出のままでいよう。と考えていたから、春川に思い出の件は伏せていた。向こうからもこちらに思い出の公園の約束のことを尋ねられたことはなかった。もう十年以上前の話だし、忘れてしまっているのかもしれない。


 忘れてしまっているのなら、そのままでいいと思う。

 約束を実現させることは、難しい。


 社会的にも、現実的にも、だ。


 さて、思い出話もそこそこに、仕事をしよう。

 クラス委員からの日誌を見る。


 たいしたことは書いていない。「今日は桜がきれいでした。」以上。

 ははは。まったく春川ときたら。何も書かないよりかはマシだが。


 ふと、窓の外を見る。

 あの思い出の公園は学校のすぐ近所にあった。

 ここからでも見える。桜は満開だ。あと三日もすれば桜の花は散ってしまうだろう。


「今のうちに、見ておくか」


 今日の帰り道に、少し寄り道することにした。


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