第38話

 会話が途切れ、その空間は静寂に包まれ、静かな空気は澱みも無く、澄んだ清らかな空気が漂って、この場にいる全ての人がその空気を感じ一体になっているようだった。

 ゼファーを照らすように暖かな光が広がって、ゼファーは瞼を閉じる。

「我の役目は終わった。一人の想いより与えられし命達よ。その命をどのように紡いで行くのかは貴様達の自由。誰にも進む道を定める力はない。だが、忘れるな。貴様等のその命は誰によって鼓動しているのかを」

 ゼファーが羽の少なくなった翼を大きく開くと、その後ろの空間が歪み、楕円形に何処に続いているのかわからないが闇色をした底の見えない穴を空けた。ゼファーは背中の翼からその中へとまるで吸い込まれるようにゆっくりと入って行く。

「白虎の! 白虎の体まで持っていってしまうつもりなの!」

 ナスカは黒い空間へと消えていこうとする姿を見て思わず叫んでいた。

「有があってこその無。その逆も然り。有無相生。白虎は私であり、私は白虎である。彼女は我と共に無の意識の中で常しえの眠りにつく」

「でも、でも!」

 ナスカは両手で顔を覆ってその場に崩れ落ち、涙を流した清風がナスカ傍に寄り添うように肩を抱く。

 静かな空間にまるで白虎を見送るかのような啜り泣く声が響きだし、誰もが皆、隠すことなく涙を流し続けて白虎の体を見送った。

 このまま白虎の体が空間に飲まれてしまうと誰もが諦めに似た感情の中でいた時、クラウドは走り込んで白虎の腕を掴んだ。クラウドの体に白虎の腕を伝って電流のように激しい痛みが走って行く。薄くゼファーは目を開けて、冷たくクラウドに言い放った。

「離せ……」

「嫌だ」

「離せ。これは貴様の為に言っている」

「絶対に離さない! もう二度と離したりしない」

「我に触れればその体には焼かれるような痛みが走っているはず。その痛みは体中の神経を冒していくぞ。離せ、貴様の命が無くなる」

「しつこい神様だな。嫌だっていっているだろう。離さねぇよ」

「愚かな。輝きが与えた命を自ら無に帰すとは。白虎の想いを素直に受け取る気は無いのか」

「俺は死なない。白虎も渡さない」

 クラウドは白虎の腕を握ったまま自分の方へ引き寄せ、白虎を抱きしめて耳元で囁いた。

「白虎、言ったろ? 俺を愛していると。俺はお前の全てが欲しい、俺はいつまで我慢すればいいんだ?」

 クラウドの全身は針で突き刺されるような痛みが走っていたが、更に白虎を抱きしめる力を強め、微笑みながら白虎の顔を覗き込んだ。

 鋭い視線をクラウドに見せていたゼファーの目が一瞬泣きそうに潤む。

「……クラ、ウド」

 声はゼファーの鈴の様な声だったが、桃色をした唇から出てきた言葉はクラウドを呼んでいた。クラウドの体は、目に見えない刃物で切られていくように赤い切り傷が増えていく。

「白虎? 白虎なのか?」

「クラ、ウド。離し、て、お願……」

「嫌だ、何があろうと離さない。俺を想ってくれるなら帰って来い、俺の所に!」

 痛みに耐えながらクラウドは白虎にそう言い、涙でぬれていく瞳を揺らがない視線で見つめた。

「お願……、離して。クラウ……、が、死ん……、しまう」

 途切れ途切れに自分の口から飛び出してくる白虎の言葉にゼファーは驚いていたが、二人のやり取りをとめることはせずその動向を観察する。

 クラウドが呼びかけた瞬間、白虎の体に入っていたゼファーの意識体を押さえつける強い力が生まれ、その力によってゼファーは白虎の体の奥へとその意識を押し込められた。押し込められた場所から出ようと力をこめるが出ることは出来ず、ゼファーは奥底で思考する。

(何故だ? 白虎の意識がここまでやって来たのか? いや、白虎の意識は確かに遥か常しえの無の中にある。では、これは何だ?)

 ゼファーの困惑にゼファーの中の朱雀の意識が答えた。

(これが人の意思の力。想いの力よ)

(想い? そのようなものにこの我が押し込められていると言うのか?)

(そのようなもの? それを貴女が言うの? 貴女自身も同じ『そのようなもの』なのではないの?)

(作られた存在のくせに言ってくれる。そうか、だが、我より強いあの力は)

(そうね、無の中で常しえに過ごして居る貴女にそれは分からないかもしれない)

 朱雀はクスクスと笑いながらゼファーに答えると、ゼファーは押し黙る。そのままゼファーの意識は暫く様子を見ていたが、小さく頷くように瞳を閉じ、今まで以上に強い力を発して白虎の意識を飛ばした。

「白虎? 白虎!」

 呼び続けるクラウドの体に突き刺さっていた痛みが消え、クラウドは首をかしげる。

「体の痛みが消えた。どうして?」

「我が我以外の者に対する力の放出を抑えたからだ」

「貴様、ゼファーだな。白虎をどうした?」

「少々我にも知りたいことが出来た為、白虎の意識は飛ばした。貴様は何故そこまで白虎を求める?」

「白虎は俺の全てだ。彼女が居なくなるということは俺が居なくなるのと同じこと。俺は彼女を愛している」

「……愛。どのような形で残しても、必ずしもそれがそこにあるとは限らない不確かなものの為に白虎を求めているのか。愛というものは幻想のようなもの、心を強く掴んだかと思えばいつの間にかそこには存在しなくなる」

「そうだな、薄っぺらい愛ならそうかもしれない。でも、俺は違う。白虎の声、しぐさ、笑顔、髪の先まで、全てに俺は魅せられ、俺の心は白虎の物になった。白虎は俺を照らし出せる唯一の光だ。白虎が居るから俺が居る。あいつが居ないなら、何処でも俺にとっては闇と同じだ」

(クラウド)

 ゼファーの意識の奥からクラウドを呼ぶ白虎の声が聞こえる。

「そうか、貴様らは互いに有無相生というのだな」

 ゼファーは瞳を閉じて、背中の翼を大きく羽ばたき始めた。

 それと同時に白虎の体から、ひとまわり小さな体が抜け出てくる。ほのかに桜色に輝くその体は白虎の体から抜け出ると、ふわりと空中を舞い、クラウド達を包み込んだ。

 力なく崩れ落ちる白虎の体を支え抱きしめたクラウドの体の傷は桃色の光によって治癒していき、全ての傷が綺麗になると白虎から抜け出た小さな体は再び、空に開いた黒い穴のほうへと舞い上がる。

「貴様に白虎を預けよう。ただし、黒龍と朱雀は我と共に行く。彼女達は白虎も同然、本人を連れてゆかなくても理は守られるからな」

(クラウド、白虎を幸せにしてあげてね……)

(えぇ、私達の分まで白虎を幸せに……)

「我はこの銀河の意思、貴様達がこれからどのように歩んでゆくのか、常しえの無の中から観てゆこう」

 桜色の光は少し微笑むと黒い穴へと吸い込まれるように入っていき、閃光のように強烈な光りを放った。

 光が消えると空間は閉じており、桃色の存在は無く、いつも通りの景色がそこにある。ぐったりと体をクラウドに預けたままの白虎がクラウドの腕の中に居た。

「白虎?」

 クラウドが呼びかけるが、白虎は動かない。白虎の体を抱きしめて、クラウドは耳を胸に当てる。小さく、トクトクとした鼓動が聞こえ、ホッと肩をなでおろした。

「心臓は動いている。意識がまだ戻ってきていないのか? 白虎、目を開けてくれ……」

 クラウドはそっと、白虎の顔にかかっている髪の毛を手で払い、白虎の頬を優しくなで、人差し指で白虎の紅色の唇を円を描くように一周なぞり、自分の顔を近づける。

「白虎、愛している。戻ってきてくれ、俺の所に……」

 軽く唇を触れさせて、一度離れたが、すぐに深く唇を重ねた。白虎の唇を包み込み、温めるように揺れ動く感覚に白虎の唇が動く。

 クラウドと重なり合う唇の隙間から白虎の声が漏れ、瞼がゆっくりと開いた。白虎はぼやけた視界の中、呆然とし意識がまだはっきりとしない。視界が徐々にくっきりとしてくると、白虎は頬に流れる空気と、唇にある温かくやわらかい感触を感じていた。大きな手が自分の頭を包み込んで、肩も力強く抱かれている。

(誰? この温かさ、私は知っている……。これは)

 唇で揺らいでいた温かさが離れると、耳元で優しい声が聞こえてきた。

「白虎、白虎。分かるか?」

(優しい……、声。私の、私の愛する声)

 クラウドの頬に白い白虎の手が添えられ、細い指が輪郭に沿って流れて、指先はクラウドの唇に辿り着く。

「白虎?」

 指先の添えられた唇が動いて、白虎の手の上から大きく温かい手が重なってゆっくりと手を握った。

「ク、クラ……、ウド?」

「あぁ、そうだ。お帰り、白虎」

「あぅ、ごめ……、なさい。クラウ、ド」

 クラウドは涙を流しながら謝る白虎の頬を手でぬぐうとそこに唇を落として囁く。

「謝る必要は無い。俺がお前でもきっと同じ事をした。もういい、帰ってきたんだ。それで良い……」

「クラウ……、ド。愛して、いる……。貴方を」

 今まで見せた事の無い優しく、暖かさの感じる微笑みを浮かべながら言う白虎の顔を見つめ、クラウドは頷いた。

「あぁ。知っているよ。お前のことはなんだって」

 クラウドは白虎の体を優しく包み込みながら、ゆっくりと仲間の方へと歩き出す。

「お帰りなさい」

「お帰り、白虎……。本当に良かった」

 皆の言葉の中、白虎はクラウドの温かさの中で、目を閉じ笑顔を浮かべて眠った。

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