第29話

「な、なんだ? 黒龍か?」

 書類の燃えカスを水で流し、白虎は急いで黒龍が居るはずの三階へと登っていく。上がってすぐ、部屋を見回し黒龍を探せば部屋の一番奥の方でこちらに頭を向けてうずくまる黒龍の影が見え白虎は駆け寄った。

「黒龍、これは一体、何があってどうなっているんだ?」

 目の前でうずくまる黒龍の姿に驚き、思わず白虎は足を止め後ずさる。目の前の黒龍の背中から皮膚を破るように、艶のある漆黒の翼が生えかけていた。飾りではなく明らかに翼はうごめき生まれてきている。その姿はまるで変異体の変化が始まったときのよう。

 白虎はその場に座り込みただ、呆然としていたが、黒龍のうめく様な声で我を取り戻すと、四つん這いで黒龍に近づいた。自分で自分の肩を抱きかかえるように黒龍はうずくまり、涙とよだれを垂らしながら背中の激痛に耐え呻く。

「黒龍!」

 白虎の呼びかけに少し顔を上げた黒龍だったが、すぐにまたうずくまった。その間も、ヌルヌルとした液体がまとわりついて生まれ出てくる翼は蠢いて、恐らくその痛みが黒龍を苦しめているのだろうと白虎にも想像できる。

 頭を抱え込むように自分自身を抱きかかえる黒龍を、白虎はそのまま自分の胸に引き寄せた。

 白虎に引き寄せられた黒龍は震えながら白虎の背中に腕を回し、きつくしがみつく。翼がズルズルと生えるごとに黒龍は白虎の背中に爪を立て、胸の中で絶叫する。黒龍に立てられた爪が肌に食い込んで白虎の背中部分の服に血がにじんだ。

 どれくらいの時間が経ったのか。

 黒龍の悲鳴を聞き、駆けつけてからかなりの時間、ビル内には黒龍の叫び声が響き、翼が全て生えると黒龍はそのまま気を失う。しかし、翼は黒龍の意識とは関係なく、大きく開いて、濡れているその羽を乾かそうとしているようだった。

「漆黒の翼。これは一体?」

 黒龍を抱きかかえたまま、白虎は黒龍の背中に生えた翼を撫でる。少し湿った感じのその翼は柔らかく、艶やかだった。

 苦しんでいた黒龍を二階に運んで布団で寝させようと思ったが、動かして良いものか分からない。白虎はそのまま黒龍に膝枕をして寝かせると、近くに散らかされている物の中から古着を引っ張り出し、上半身のシャツを着替えた。

 脱いだシャツの綺麗な部分で黒龍の涙とよだれにまみれてしまっていた顔を拭いてやる。

(苦しかったんだな……。無理も無い、こんな物が皮膚を突き破れば誰だって)

 白虎は黒龍の頭を優しく撫で、意識を失っても眉間に皺を残している黒龍のことを気遣い、体が寒くないようにとあたりにある古着をかけてやった。

 窓から見える日の光はスッカリ赤くなり、それが夕刻であるという事を知らせている。

 黒龍が目を覚まして小さな声を漏らした。黒龍の頭を撫でたまま、そっと黒龍を見つめて聞く。

「黒龍? 大丈夫か?」

「白虎、痛!」

「まだ痛むのか?」

「……うん、少し」

「じゃぁ、暫くそのままでいると良い。私はかまわないから」

 白虎の言葉を聞くと黒龍はゆっくり白虎の胸の中に顔をうずめ呟いた。

「白虎。聞かないの?」

「何を?」

「背中の事」

「そうだな、聞きたいとは思うけど、黒龍が苦しんでいる中で問い詰めるほど私は非情になれない。それに黒龍、私の心の中が見えるんだろう?」

「うん」

「じゃぁ、その話は無しだ。私には知りたいことが多すぎる。それを知るには蘇芳を待つしかない。だから、私は待つ」

 白虎がそういうと黒龍は何も言わず白虎が重ねている手を握り、白虎も黒龍の手を握り返し、もう一方の手で優しく頭を撫でる。

 静まり返った部屋の中、何も喋らない二人だったが、二人は共に何か流れ出て相手に入って行く感情を感じていた。日が全て落ちて、部屋が暗くなり冷えてきた頃、黒龍が顔を上げる。

「寒くなってきたね」

「そうか、じゃ、下に降りようか。ここにはエアコンが無いから。立てるか? 黒龍」

「うん」

 返事をした黒龍は立ち上がったが、まだ背中が痛むのか、その場で肩を抱えた。白虎は黒龍を支えると、そのまま、降りて行き布団の上に座らせる。

「やはり痛むんだな。痛み止めの薬を飲むか?」

「ううん、薬は嫌」

 薬という言葉を出したとたんに黒龍の顔がゆがむ。

「薬は嫌いか?」

 白虎の問いかけに黒龍は答えることなく、布団に横たわった。冷蔵庫から水を出し、黒龍に持っていったが既に目を閉じて静かな寝息を立てている。

「体力を消耗したのか? まぁ、寝られるなら寝たほうがいい」

 白虎は手に持っている水を自分で飲み時計を見た。

「八時か……。予定の時間にはまだ時間があるな」

 ソファに白虎も寝転がり、天井を見つめながら考える。

(黒龍の翼はあの痣から生えてきたように見えた。きっかけは何だ? 成長か? いや、考えられない。成長が関係あるのならとっくに私の背中に生えているはずだ。私の背中にもあれと同じ痣があるのだから……)

 目を閉じ、腕で目を覆うように額に両腕を乗せ、視界を暗くして更に考え込んだ。

(分からないことだらけだが、一番分からないのは私の存在だ。朱雀と同じように人とは思えぬ回復力があり、黒龍と同じように背中に痣がある。私は、私は一体何者なんだ? 私も人ではないのか?)

 何故か一筋の涙が目から零れ落ちる。

「クラウドに会いたい」

 白虎は呟いて眠ってしまった。

 ガチャンと言う大きな音がビル内に響いて、白虎は飛び起きる。黒龍の布団を見てみれば、そこに黒龍は居なかった。

「黒龍?」

 黒龍を探そうとソファから立ち上がった時、一階の方で物音がする。

「下に居るのか?」

 なんだか嫌な予感を抱え階段を降りて、駐車場と車の中を確認して見るがそこには誰も居ない。

「まさか、地下室」

 ゴクリと唾液を飲み込み、白虎を変な緊張感が襲っていたその瞬間、携帯のアラームが鳴り響く。それは蘇芳との待ち合わせの時間。

「そうか、もう時間だったのか…」

 白虎はアラームを止め、扉が開いたままの地下室へと降りていった。血の染み付いた地下室の更に奥にある扉が開け放たれていて、白虎は驚き駆け寄る。

「扉が開いている! あの扉は父さんしか開け方を知らないはず。それに私がここを使い始めてからは一度も開いたことは無いのに」

「だろうな。そこは遥か昔に閉鎖された通路に繋がる扉だ」

 呟いた白虎の後ろから低く重たい感じの声が響き、振り返ってみれば体の大きな男とその傍らには黒龍が立っていた。チカチカと点滅する蛍光灯の光の中、男に近寄りながら白虎は聞く。

「お前が蘇芳か?」

「そうだよ、白虎」

 質問に黒龍が答え、男の目の前で白虎は立ち止まった。男は体全体が岩のように大きく、顔の半分には仮面のような白いマスクをかぶっている。その威圧感にはなんだか覚えがあると思った白虎は、蛍光灯が一瞬明るく瞬いた時、仮面に隠されていないほうの顔を見つめた。そこには見覚えのある顔があり、白虎は思わず呟く。

「……源武」

「久しいな」

「本当に源武なのか? だが、蘇芳と」

「そう、今の俺は過去に源武であった者、現在は蘇芳だ」

「過去? いや、しかし、その顔は源武だろう。変な仮面をかぶってはいるが」

「白虎、蘇芳も来たし、全部説明するからとりあえず二階へ行こう」

 黒龍に促され、蘇芳に視線を送った白虎に、蘇芳も頷き地下室から上がって二階のソファまでやってきた。

(説明。そうだな、とにかく全てを明らかにしてもらおう)

 大きな体の蘇芳はテーブルの近くの床にそのまま座り、黒龍はソファに腰掛けている。

「水は?」

 白虎が聞くと、二人は頷き、コップにミネラルウォーターを注いでそれぞれの前のテーブルの上に置いて、白虎はテーブルを挟んだ蘇芳の目の前の床に座った。

「で、私には聞きたい事が山ほどあるんだが、何から説明してくれるんだ?」

「そうだな、では、白虎は何から聞きたい?」

 白虎の問いかけに蘇芳は逆に聞き、白虎は暫く考えた後、口を開く。

「先ずは蘇芳、あんたの存在は一体何なんだ?」

「先ほども言ったが、俺はかつて源武と呼ばれたものの記憶と体の一部を受け継いだ者だ」

「悪いがもっと分かりやすく言ってくれないか。それではさっき聞いたのと変わらない」

「源武はあることを調べていた。それは白虎も知っているはずだろう?」

「あぁ、知っている。詳しい内容までは教えてもらってないがな」

「うむ、それは源武が白虎に危険が及ばないようにと配慮したからだ。なぜならそれはゲートに関することだったからな。しかし、その調べ物の最中に源武はゲートの連中に気付かれ攻撃を受けて、瀕死の状態におちいった。先ほどの扉の先に広がる通路は遥か昔、この地にあった地下道の様なもので、地下に張り巡らされている。何とか源武はその通路に逃げ込んだが、外に出ることなく、虫の息になった」

「死んだのか? 源武は」

「いや、かろうじて助けられた。虫の息の源武を助けた、その人の手により源武は別の個体との融合を果たす。そのままでは死んでしまう恐れがあったためだが、結論として、源武と言う一個体の存在は無くなり、二つが一つになった現在の俺という存在が生まれたのだ」

「なるほど、融合か。だからかつて源武であったものという言い方になるわけだ」

 そう呟く白虎を蘇芳は横目で見て、水を一口飲んだ。

「そんなに、驚かないのだな」

「あぁ、そりゃそうだろう。これ以上、何に驚けというんだ? 既に私の日常は非日常へと移行し、更にそれが日常になりつつある。何がおきても不思議でもなければ驚く事もない。ただ、確実にそれには理由がつくはずだ。私はそれが知りたい」

「そうか、そうだな」

「それに……」

「何だ?」

「その先の答えには恐らく私が私で居る意味が待っているような気がする。私という存在の」

 蘇芳と黒龍はその白虎の言葉を聞き、互いに視線を合わせて頷く。

「白虎は源武が思っている通りに頭が良いな。初めに聞いておこう。白虎、お前はそれを、己の存在理由を知った時どうする?」

 視線を蘇芳の方へ向けた白虎は、微笑して言った。

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