第27話
白虎が再び金属板の上で目を覚ますと体は金属板に固定されたまま、ガラスに囲まれたカプセルの様な中に入れられ、ガラスの向こうには、一人の老人が立っている。
「お爺さん、ここはどこ? これから私はどうなるの? ねぇ、聞こえているんでしょ?」
白虎がいくら叫んでも老人は返事すらせず、ただそこに立っているだけ。
下を向き全く動く気配の無い老人の姿に白虎は不気味なものを感じて背筋が寒くなる。
どうしたものかと考えていると廊下からハイヒールの靴音が近づいて扉が開き、乱れた髪の毛をかき上げながらアイリーンが入ってきた。チラリと視線を白虎のほうへ流してその様子を見た後、近くにいる老人を蹴り飛ばす。
「薬を切らすなと言っておいたでしょ! まったく、使えない奴等ね!」
「お爺さん! いきなりなんてことを」
蹴り飛ばされたお爺さんを見て思わず白虎が心配げに声をかけると、アイリーンは嗤笑した。
「なんてことをするんだって私を非難したいの? フン! 言っておくけど、こいつ等に同情したり、呼びかけたりしても無駄よ。彼らはね、見た目は老人だけど、年齢は二十歳を行かない少年よ。薬の実験でこんな姿になった挙句、既に自我は崩壊して、自分で行動するなんて出来ないの。ま、命令をキチンとこなすならまだ使いようもあるけど、命令もこなせない用になれば本当に木偶の坊。廃棄処分よ!」
アイリーンは老人を足蹴にして高笑いをしながら言い、近くの注射器を手に取ると、カプセルに繋がっているチューブに注射器を刺して、中の液体を注入する。暫くすると、白虎の入っているカプセルの中に白い霧が充満した。
「また、意識が。今度は何を、する、つもり……」
白虎は遠退いていく意識の中でアイリーンに向かって聞き、アイリーンはカプセルに寄りかかりながら「あの人好みに調教してあげる」といって、カプセルに軽く口付けをする。
「ちょう……、きょう?」
白虎の霞んで行く瞳には艶笑し、獲物を見つけた獣のように唇を舌で舐めているアイリーンが見えた。
それから白虎は、幾度となく深い意識の底から浮かび上がってきたが、その度にアイリーンの声が聞こえて意識を失う。繰り返されるその行為に時の感覚はなくなり、一体あれから何時間、何日、何年経ったのか、自分は幾つになったのかすら分からない。自分が自分であると分かることが唯一の救いのようにすら思えていた。
意識を失った時、必ず見る夢の様な記憶。
ニヤニヤと笑う両親、足元にあるのは宝珠の血だらけの死体。そして、次に見えるのは、両親を殺している白虎の姿。休み無く繰り返され見えてくるその映像に、白虎は気が狂いそうだった。
カプセルの中で苦しみもだえて暴れる為、体を固定している枷部分の皮膚は赤くずる剥け血がにじむ。苦しむ白虎のカプセルの前でアイリーンは頬を寄せ呟く。
「いいわぁ。この表情がたまらない。本当にこの子は私を感じさせてくれる。もうすぐ私のお人形が出来上がる。そして私はよりあの人に愛されるのよ」
白虎は栄養剤を注射され、最低ラインでの生命を維持された状態で、ただ記憶の刷り込みが続けられた。白虎をカプセルに閉じ込めた状態で行われた記憶の刷り込みは、その苦痛と恐怖から白虎の髪を白く、銀髪へと変える。
カプセルから出された白虎は、筋肉が衰え、自分では歩くことの出来ない状態で、言葉も喋れず、時折見える両親の幻覚に叫び、恐怖していた。
舌を噛み切らないように猿轡をかまされ、筋肉をつける為の電極を付けられた状態で拘束服を着せられて窓の無い部屋へ白虎は閉じ込められることになる。
初めの数ヶ月は薬が投与された。
薬の投与が終われば、何故か白虎はその薬が欲しくてたまらない衝動に駆られ、それでも与えられない状況に狂いそうになりながら耐える日々が続く。
そんな生活が続いたある日、扉にある小さな窓から中を覗き込むディロードが居た。
「アイリーン、やりすぎたのではないでしょうね? 使い物にならなくては意味がありませんよ」
「大丈夫よ。だって見て。一年間、薬と恐怖にさらされて、更に今、監禁されている状態で未だに瞳の奥に光を宿している。まだ自我を持っている証拠だわ」
「だからこそ言っているのです。薬に対してのあの耐性、初めて成功した実験体とも言える。だが、使えなくては意味が無い……。時間をかけすぎたのではないですか?」
「あら、それじゃ、駄目よ。あれだけ処置を施しても自我を持っているのよ? 短くしたら記憶の刷り込みは出来ないし薬も投与できない状態になって、それこそ意味が無くなるわ。それに、私に任せるって言ったのは貴方でしょ?」
アイリーンはディロードのワイシャツのボタンを外し、シャツの前をはだけさせ、胸を指でなぞりながら心臓の辺りに唇を寄せる。ディロードはそんなアイリーンを見下ろしながら、微苦笑して言った。
「確かに私は任せると言いました。が、失敗を許すとは言っていませんよ。私は別に貴女を特別扱いしていたわけではありません。役に立たない物を手元において置く程、私に執着心はありませんからね」
ディロードはアイリーンの顎をすくって、青ざめていくアイリーンの顔を自分の方に向けると、にっこりと微笑を浮かべる。口元の微笑みとは裏腹に見下したような瞳を向けてアイリーンに静かに語りかけた。
「その位、わかっていますよね? アイリーン?」
「え、えぇ。もちろん、分かっているわ……」
「そうですか。それを聞いて少し安心しました。それでは、いい報告が聞ける事、楽しみにしていますよ」
小さく震えだしたアイリーンを体から放し、シャツのボタンを閉じて、身だしなみを整えたディロードはゆっくりと歩いていった。
残されたアイリーンは血が出る程に唇を噛み締め、青ざめた顔のまま、ディロードが歩いていったのとは反対の方向に歩いていくと、ドアを開いて怒鳴る。
「鍵を! 鍵を持ってきなさい!」
アイリーンの怒鳴り声に奥から両手で鍵をもった老人がそろそろとやってきた。
「遅い! さっさと持ってきなさい!」
老人の手から鍵をひったくるように取り上げ、苛立ちをぶつけるかのように老人を蹴飛ばして、アイリーンは白虎のいる部屋の方へ歩き出す。唸り声の聞こえる部屋の鍵を開けて、中へ入ったアイリーンは白虎に馬乗りになり、白虎の涙と涎にまみれた顔を平手で何度も叩いた。
「さっさと覚醒なさい! でないと、アンタのせいで私が殺される!」
アイリーンはひとしきり白虎を平手打ちすると、肩で息をしながら立ち上がり壁にもたれかかる。
「嫌よ。愛されるはずだったのに。嫌、捨てられたくない、死にたくないわ」
頭を抱えながら、ちらりと白虎を見つめ、拘束服の端を持ってアイリーンは白虎を引きずりながら部屋を出た。自分の研究室へ白虎を運び込んだアイリーンは拘束服から出ている電極に機械を接続して、低周波を流す。
「データ上では十分目覚めてもいいはずなのよ。早く、早くなさい!」
アイリーンが作業を進めていると、研究室に電話の音が鳴り響き苛つきながらも受話器をとった。
「誰!」
「おや? どうしました? 偉くご立腹ですね。アイリーン」
「ディロード! 何の用?」
「いえ、特別に何かあると言うわけではないのですが。……白虎はいかがですか?」
「善処しているわ」
「そうですか。元凶を殺して逃げる準備でもしているのかと思いましたが、安心しました。では、白虎の今後ですが」
「今後? 何の話?」
「いえね、考えて見れば貴女には十分時間を与えましたし、あと少しであるならこちらで引き取った方がいいと思いまして。それに、善処して大丈夫だと貴女が言うのです。目覚めまでそう時間はかからないのでしょう? なら、当然、先の事は必要じゃないですか」
静かに答えるディロードの声を聞きながら、アイリーンは苦虫を噛み潰したような顔で親指の爪を噛み、背筋に走る寒気を必死で我慢する。
「それで、先のことですが、白虎が回復しましたら、軍隊へと送ります。戦闘の能力を上げておきたいというのもありますが、そちらの方面でのデータも取りたいのです。ですから、できれば白虎は通常より運動能力を高く回復させてください。貴女ほどの人物です。それくらい造作も無い事でしょうし、言わなくても良い事だとは思ったのですが、一応、念のために」
「……それくらい、承知していたわ」
「上々。それでは、ごきげんよう」
ディロードの電話が切れると、アイリーンは苛立ちで受話器を叩きつけた。
「あの、クソが! どちらにしても私を切り捨てる気なのね!」
殺されると言う焦りと馬鹿にされた怒りがわきあがっているアイリーンとは別に、ディロードは静かに受話器を置いて呟く。
「アレはもう駄目ですね」
「ぁぁん、アレ? アレって何のことぉ?」
ディロードに絡みつくように抱きつき、首筋に口付けをしている女が聞くと、ディロードは女に口付けを返しながら、「何でもありませんよ」と微笑んだ。
それから一週間。
白虎は自分で歩行できるまでに回復していたが、目隠しをされ、いまだ拘束服に身を包んだ状態で独房のような部屋に閉じ込められていた。思った様に回復していかない白虎の体にアイリーンは苛つくよりも怯え始める。ディロードの思っているように回復させなければ確実に自分は切り捨てられ殺されるのがわかっていたからだった。そんなアイリーンの研究室に電話の呼び出し音が鳴り響く。
「も、もしもし?」
「やぁ、アイリーン。久しぶりだね、その後いかがですか? 彼女の様子は」
「だ、大丈夫よ。あの子自身の回復力には目を見張るものがある。ディロードの期待にこたえてくれそうよ」
「そうですか。それはタイミングが良かった。本日夕刻にこちらから人をよこします。彼女を彼等に引き渡してください」
「今日? 夕方にですって?」
「先日も話したでしょう。彼女を軍隊に送ると。回復したのならそれも可能でしょう? 違いますか」
「え、えぇ、そうね。分かったわ。了解」
アイリーンはディロードに何とか返事を返すと受話器を置いて、その場に座り込んだ。
「回復はしている。人並み以上の回復よ、でもそれはディロードの希望通りではないわ。白虎の護送という名目とともに夕方やってくる連中は私を殺すことも命令されているはずだわ」
アイリーンは呟いて青ざめ、唇をかみしめながら立ち上がり電話の受話器を再びとる。
「はい、こちら守衛室です」
「私よ」
「博士? どうかされましたか?」
「えぇ、ちょっとお願いがあるの。今日の夕方に本社の方から数人くるから、その人達が来たら研究室の十七号室を開けて、中に居る子を引き渡してくれるかしら?」
「はぁ。別にかまいませんが」
「十七号室の鍵は私の研究室の机の上に置いておくわ」
「博士は? お出かけですか」
「えぇ、用事があって対応が出来ないのよ。それじゃ、お願いね」
アイリーンは電話を切ってすぐに着ていた白衣を脱ぎ捨てた。
シャツの胸ポケットから鍵を出し、自分の机の引き出しを開ける。引き出しの中には小さなペンの様なものが一本入っているだけだったが、それを自分の服のポケットにしまうと、引き出しの中に携帯電話や財布など、自分が今身につけているものを全て放り込み引き出しを閉めた。
(逃げなければ。こんな所で殺されるなんて真っ平よ。もし殺されなくても実験体にされるわ、あの老人のような少年と同じ道を辿るなんてごめんよ)
アイリーンは足早に研究室を出て、そのまま裏口へと歩いていく。裏口のドアノブに手をかけて振り返り研究室を睨み付けた。
「許さないわ、ディロード。私がこのままおとなしくしていると思ったら大きな間違いよ。いつかきっと」
捨て台詞を呟いて、アイリーンは見つからないうちにと研究室から逃げ出した。
アイリーンが逃げ出してから数時間後の夕刻。
研究所の前に黒塗りワゴンが止まり、中から黒いスーツに身を固め、サングラスをかけた三人の男があらわれた。
「おい、本社から命令されてきたが、聞いているな?」
警備員室の小窓から中に居る警備員に男の一人がIDカードを見せながら話しかけると、座っていた警備員が頷き、研究所のドアを中から開く。
「お疲れ様です。用件は博士に伺っています。こちらへどうぞ」
警備員はそのまま男達をエレベーターへ案内し、三階へと向かった。エレベーターを降り、研究室の前まで来ると、警備員は少し待つように言って、研究室へ入って行く。
中に入るとアイリーンが言っていたように、机の上に鍵が置いてあり、それを手にした警備員は、男達を連れて白虎が入っている十七号室へと案内した。
鍵を開けると、黒服の男が二人、白虎を拘束服のまま抱きかかえて運び出す。その間、もう一人の男が警備員に尋ねた。
「博士はどうした?」
「はぁ、何だか用事があるそうで、対応できないから私が頼まれたんですよ。私はてっきり本社の方へ行っているのかと思いましたが?」
警備員の答えに男は少し考えて、二人の男と警備員に先に行くように伝え、携帯電話を取り出す。
「もしもし、どうかしましたか?」
「ディロード様、どうやら博士は逃げたようです」
「おや、そうですか。案外まだ頭は良かったと言う事ですかね」
「いかがいたしましょうか?」
「放っておきなさい。研究室あっての博士。何も持っていないただの女に何が出来ると言うのです。何も出来やしない。それより、彼女はどうしました?」
「はい、今から第六部隊の方へ輸送します」
「丁寧に扱う必要はありません。彼女はあくまで実験体です。いいですね」
「了解いたしました」
男は電話を切ると、車へと向かった。
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