第26話

 白虎は赤黒いシミを見つめたまま、昔を思い出し自身の唇をかんだ。

(そう、あれ以来、私は人との関わりを絶った。私は自分で自分が怖かった。何かをきっかけに、また私は大切な人を殺めてしまうのではないか。思考と行動が一致しない、自分で止めることのできない衝動。私が一番恐れているのは私だ)

 白虎に両親を殺したその瞬間の記憶は全く無い。肉を割き、突き刺したはずなのにその感覚は体に刻まれておらず、記憶がないということが白虎が自分自身を恐れる原因ともなっていた。

「愛している。だからこそ、傍には居られない」

 愛しているから傍に居ようとするクラウドの気持ちには絶対にこたえられない白虎。フリーの傭兵となり、このビルに住むようになってから、夜ごとうなされ続けた。苦しみの余り逃げ込んだ教会で神父に言われた言葉を思い出す。

「苦しむよりも、安らかな死を。死によってその魂は純粋なる無へと帰す」

 呟きながら白虎は呆れたように笑った。

(安らかな死、死ぬ事で魂は無になる。宝珠は、両親の死はそれに値するのだろうか? いいや、そんなはずは無い。苦しみ叫び喚いて死んだ者が死によって安らかになるわけも純粋になるわけも無い。私が死ねば私は救われるか……。それも違う。死によって救われる者は限られた者だけだ。そう、馬鹿馬鹿しい考えだ)

 微笑を浮かべたまま眉間にしわを寄せて目を閉じる。

(私は死によって救われる事を望んではいけない。家族はまだここで苦しみ叫んでいる。だから私も苦しまねばならない。それこそが私の罪に対する罰。死を望むのであれば、苦痛の中、誰よりも苦しんで痛みをその体に刻みながら死ななければならない)

 ひんやりとした空気が薄く揺れる中、静まり返った空間で時間は過ぎた。

(少し冷えるな。まるで私の心のようだ。誰も愛してはいけない、私の心は閉ざされなければならない。冷たくあらねばならない)

 そう思った白虎の瞼の裏に自分に向かって微笑みを向けるクラウドの姿が映り、白虎は瞼を開ける。

「宝珠……、私はどうしたらいい?」

 白虎が動揺し心臓がドクンと跳ねつぶやいた時、階段の方で物音がして顔を上げ、階段を見るとそこには黒龍が立っていた。

「黒龍? 寝ていたんじゃないのか?」

 白虎は慌てて立ち上がり黒龍に歩み寄ったが、点滅する蛍光灯に映し出される黒龍の姿に一瞬足を止める。寝入る前は大きかった服が丁度いいぐらいに黒龍はまた成長をしていた。

 白虎が見つめてゆっくり近づいていけば、黒龍の瞳から涙が零れ落ちる。その姿に白虎は歩み寄る速度を速めて黒龍のそばに行き、肩に両手を置いて黒龍の前でしゃがんだ。金と黒の瞳は涙でぬれて、吸い込まれるように美しく輝いている。

「黒龍、どうした。怖い夢でも見たか? それとも、何処か怪我をしたのか?」

 白虎の問いかけに、黒龍は首を横に振り、白虎は黒龍の涙を手でぬぐう。

「じゃぁ、どうして泣いているんだ?」

「白虎が苦しむから」

 真っ直ぐ白虎の目を見つめて黒龍が言った。白虎は言っている意味が分からず黒龍に聞く。

「私が? どうしてそんな事が分かる?」

「私は白虎の心を、触れなくても感じることが出来るから」

「黒龍、言葉遣いが。それに私の心がわかるって?」

「その理由、説明は多分、蘇芳がしてくれる」

「蘇芳って、あのメールの。何なんだ? どうして黒龍がその名前を知っている、一体どういうことなんだ?!」

 黒龍の口から蘇芳の名前が出たことや数時間での成長、さらに心が分かると言われた白虎は動揺した。一度に理解しがたい事が起こり、白虎の頭の中はパニック状態で、呆然としている白虎に黒龍が優しく言う。

「白虎は苦しまなくていいの。白虎が苦しむ必要は無いの」

「何なんだ。もう、何がなんだか。黒龍、お前は一体何者だ?」

 呆けながらも今の状況に笑いしか浮かばず、口の端に笑みを現しながら言う白虎の首に黒龍の腕が回され、黒龍は自分の額と白虎の額をくっつけた。一体何をされるのだろうと白虎が黒龍の瞳を見つめれば、黒龍は紅い唇をゆっくり動かす。

「奥底に封印された白虎の本当の記憶と真実を呼び戻してあげる」

「私の本当の記憶? 真実? どういうことだ。なぁ、黒龍、本当にお前は一体」

「私は使徒、伝え導く者。そして、白虎と同じ、神の憑代」

「使徒? 神の憑代?」

 白虎が眉間に皺を寄せて呟いた時、黒龍が青く輝き始め、その光は白虎を飲み込むように包んでいく。

(あたたかい。優しくて、心が静かになっていく)

 白虎は黒龍に包まれたまま、静かに目を閉じた。


 二十年前の真実。

「早く! 運び出せ! 子供はどうした?」

「一人はダメだ。もう一人はまだ一階に!」

「どうしてこんな酷いことに!」

 ビルの周りには多くの車と人だかりが出来、数台の車の後ろにはロープが張られ、ロープの向こう側は多くの人がざわざわと騒ぐ。

「どうしたんですか?」

「何だかあのビルの中で人が殺されたらしい」

「まぁ! それで、犯人は?」

「よくわからんですなぁ。でも一家心中のようだと誰かが言っていましたよ」

 ざわめきの中、体中を血で汚し、漆黒の髪を濡らした白虎が地下から連れ出された。しっかりとした足取りで、拘束されること無く地下から出てきた白虎は一台の車に乗せられて何処かへ連れて行かれる。

 白虎が連れてこられた先はシティのビルの一室。窓から見える景色はどこのビルよりも高く、部屋の二面はガラス張りになっていた。

 ドアから入ってきた女性に白虎は血だらけの服を脱がされて、白く新しいシャツを着せられる。顔や腕をタオルで拭かれ、全身が綺麗になると用事が終わったのか女性は出て行った。白虎は視点の定まらない瞳でその場に突っ立っていて、されるがままの状態だった。

 何をするわけでもなく白虎がその場所でぼんやり立って居れば、女性が出て行った扉から長身で細身の男が入ってきて、横を通り過ぎながら白虎を見おろし窓際まで行って立ち止まる。男は窓から外を見ながら、白虎に聞いてきた。

「名前は?」

「白虎」

 白虎が淡々と答えると、男は口元を上げて笑みを浮かべる。

 窓から差し込む光のせいで白虎からは男の姿が黒い影になって見えていた。確認できたのは、まるで骨しかないような細い体と、窓からの光りに照らされ輝く腰の辺りまである金色の長い髪。男は白虎のほうを見ることなく、窓から見える景色に瞳を細め腕組みをしながら話を続けた。

「どうして殺したのです?」

「宝珠を殺したから」

「どうやって殺したのです?」

「ナイフで刺した」

 質問に動じることなく答えていく白虎に男は嬉しげに微笑を浮かべる。

「では、最後の質問です。楽しんで殺せましたか?」

「別に。何も感じなかった」

「そうですか。少し残念な回答ではありますが、面白いですね」

 男は少しため息混じりにそう言うと、手を叩いた。すると、扉が開き、先程白虎を着替えさせた女性が現れる。

「この子を研究所に連れて行きなさい」

「かしこまりました」

 女性は静かに頷き、淡々と慣れた手つきで白虎の腕に注射をした。

 ちくりと体に走った針の痛みに白虎は小さく声を漏らす。それからほんの僅か、目の前の景色がゆがみ始め、遠のく意識の向こうで男の声がした。

「良い実験体になるといいのですがね…」

(実験体って。何?)

 男の言葉を疑問に思いながら白虎はその場に倒れこむ。体が持ち上げられる感覚を最後に白虎の意識は完全に失われた。


 何かを閉める大きな音が耳元で響き、白虎は意識を取り戻す。

(なんだろう、頭がグラグラする)

 一度完全に気を失ったせいか、意識が戻った白虎の頭の中はしっかりとしていた。浮上した意識の中で、白虎は自分が冷たい金属板の上に寝かせられ、腕、足、首、腰部分は板から出ている半円状の金属の枷拘束されていることに気付く。

 意識は戻ったが女に打たれた注射の影響か、口が上手く回らず言葉を発することができない。白虎が言葉にならない言葉を吐き出しもがいていると、若そうな女が頭の横に立った。女は栗色の髪を無造作に後ろでひとつに束ねて髪留めで上げ、うなじを覗かせている。着ている白衣からは大きな胸がこぼれそうになっていた。

 艶やかな女の匂いを辺りに撒き散らし眼鏡をかけ、真っ赤な唇をした女はにやつきながら白虎を覗き込む。

「無駄なことは止めなさい。分かるでしょ? 逃げられないわよ」

 綺麗に赤く染め上げた爪を持つ手で白虎の前髪を掻き上げ、息が届くほどの距離まで顔を近づけて女は言い、白虎の髪の毛に口付けをした。

「真っ直ぐで綺麗な黒髪ね、羨ましいわ。それに、赤茶色の瞳、色素が薄いのね。素敵、コレクションしたいくらいだわ。元からかしら? それとも、血で染まってしまったの?」

 女の香水なのか甘く噎せるような匂いが白虎の鼻を突く。

 女の「血」と言う言葉に白虎は瞳を見開いて女を見つめるが、女は顔を放すと白虎の頭にヘルメットのような物をかぶせた。一体何をするのかと言いたくて口を動かしたが出てきたのは言葉ではなくへにゃへにゃとした変なうめき声。

「無駄だって言っているのにお馬鹿なお猿さんね。薬が効いている間は何もできないわよ。そうね、今のはもしかして何をするって言いたいのかしら?」

 高飛車に笑う女を白虎は睨みつける。

「赤い瞳で睨まれるなんて、ゾクゾクして感じちゃう。あぁ残念だわ、上からの命令が無ければ貴女を私のペットにしてあげたのに」

 女は白虎の頬を舌で舐め上げながら、嫌らしく笑った。

「私を感じさせたお礼に今から何をするか教えてあげるわ。貴女のね、記憶を取り出すのよ。親を殺した記憶をね。その後は内緒、楽しいことは知らないほうが楽しめるでしょ?」

 白虎は口に猿轡をかまされ目隠しをされる。

「衝撃があるだろうし、間違って舌咬んで死なれても困るからね。じゃ、始めようかしら」

 女がそういうと、白虎の頭の上の方でモーター音が聞こえ、次々にスイッチが押されていく音がする。女のハイヒールの足音が遠ざかり、扉の閉まる音がしたかと思うと、白虎の全身を電気が走った。

 部屋の中に白虎の絶叫が響き、頭から発せられた強烈な衝撃は背骨を通って全身を何度も駆け巡る。激痛に金属板から体を浮かせて悶えた白虎は痛みに耐え切れずそのまま気絶した。

 白虎の居る部屋と隣の部屋の間にはガラスがあり、中の様子が見えるようになっていて、そこから様子を見ていた女は笑いながら呟く。

「あら、もう気絶しちゃったのね。残念、もう少し頑張るかと思ったのだけれど。ま、いいわデータは取れたから。私はこれから出かけるから、あの小娘を台から降ろして六号カプセルに入れておきなさい。薬を打つのを忘れずにね」

 女は部屋にいる腰が曲がり足取りもおぼつかない老人に命令し、老人は一言も喋らずうなずいて女は部屋を出て行った。


 男が一人部屋の中、窓の傍で眼下に見える町並みを眺めていると部屋の扉がノックされる。

「誰ですか?」

「わ・た・し」

 女は扉を開けて、男を誘うように腰をくねらせながら妖艶に入ってきた。そんな女の様子に男は少し瞳を細めてため息をつく。

「アイリーン。ここを訪ねる時ぐらいきちんとしたらどうです?」

「あん、冷たいのね。でも私、ディロードになら服従してもいいわよ」

 広い部屋にある大きな机、その机の近くにある革張りの椅子に腰掛けて男が言えば、女は鼻で笑って見せた。男はディロード、女はアイリーンという。

「で、用件は?」

 ディロードに言われアイリーンは歩み寄り、机の上に少し体をよじりながら座って足を組みつつ手に持ったディスクをちらりと見せた。

 胸の谷間を強調して、今すぐにでも男が欲しいと言った風にみせるアイリーン。ディロードはそんなアイリーンを横目にディスクを手に取る。

「白虎だったかしら? あの子の記憶がここに入っているわ」

「そうか、では再生してみよう」

 ディロードは一番上の引き出しを開け、無数にならぶボタンの中から緑色のボタンを三つ押す。

 すると、窓に暗幕がひかれ、天井からはスクリーンが降り、机上にディスクの再生投影機が現れた。

 アイリーンが自分の色気を強調しながら机に四つん這いでよじ登り、挿入口にディスクをねじ込んで、そのままディロードの太腿の上に腰をおろして腕を首へと回す。

 スクリーンに白虎の記憶が再生された。

 霧が晴れるように現れたその画像はモノクロで、コマ送りのように事実を浮かび上がらせる。

 父親が小さな子供を殺し、それを叫びながら見ていた母親が銃を持ち父親を殺した。そして、最後に母親はこちらへと近づいてきて何かを言って、自殺する。母親の血がスクリーンに飛び散って、モノクロな視界は真っ赤になって終わった。

 ほんの僅かな時間のその映像にディロードの表情は硬く、険しいものとなる。そう、映し出された映像は、ディロードが期待していた物ではなかったのだ。大きなため息をついてディロードは呟く。

「拍子抜けですね。結局、白虎は誰も殺していない」

「えぇ、狂った父親が妹を殺し、白虎にまで毒牙をかけようとした父を母が殺して自殺した。これが事実みたい。おそらく、白虎は記憶のすり替えをしたのね。目の前で自分以外の人達が殺し合い、母親が自分の為に殺人をして自殺。最後の母親の言葉で白虎の中の何かが途切れ、全てを自分の罪とすることで母の重たい言葉から逃れようとした」

「ほぉ、それはそれで面白いですね。母親の最後の言葉、あれは何です?」

「唇の動きから読み取れば、愛しているよ」

「重たすぎる愛から逃れる為に自分に殺人の罪をかぶせた。ほぉ、面白い、実に面白い」

 ディロードはにやりと笑うと、アイリーンの頬を優しく手で撫でながら提案した。

「では、彼女の偽の記憶をより鮮明に、いかにも彼女が行ったかのように彼女に思わせることは可能ですか?」

「そうね、やってやれないことは無いと思うわ」

「じゃぁ、彼女の調教はアイリーンに任せましょう」

 ディロードはそう言うと、アイリーンの首筋にキスをし、ゆっくりと手を下へとすべらせる。

「わかったわ。必ずディロードの好みに調教してあげるわ。あぁぁっ!」

「期待していますよ」

 ディロードはアイリーンと唇を重ね舌をゆっくりと差し入れた。

 待っていたとばかりに頬を紅く染めるアイリーンは激しくディロードの唇を求め、机に押し倒される。スクリーンから流れる砂嵐の音に混じって、部屋には怪しい水音とアイリーンのあえぎ声が響いた。

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