第25話
電話を切った白虎は体の力が全て抜けたようにだらりと運転席に座る。
動くのも面倒に思えるほどに脱力し、車の天井を見上げている頬には未だ涙がつたい落ちた。赤い瞳はさらに赤く、溢れる涙で輝く。
(そう、知っていたのか。全てを知っていて私を)
白虎の頭の中に、クラウドの「俺はお前を愛している! 」と言った言葉が何度も木霊して、その言葉が涙を誘っているようでもあった。目の奥が熱くなりくらくらと貧血のように頭の中心が揺れ始めた時、ふと、視線を落として、膝の上に乗っているクラウドのジャケットを見つめる。持ち上げてぎゅっと抱きしめれば鼻の奥にふわりとクラウドの香りが漂った。
(クラウド。私も、きっと貴方を愛している。想いが叶うなら死んでもいいと思える程に)
すっかり冷え切ったジャケットは、まるでクラウドに答えることをしなかった自分の冷たい心のような気がして白虎は助手席にジャケットを置き涙をぬぐう。大きく深呼吸をして羽織っているコートの前をしめ車を降りた。
車を降りた白虎は黒龍のいる二階への階段があるのとは反対の方向へ歩く。歩いていった先には赤茶色の鉄の壁があり、その前には数個のほこりまみれの箱が積み上げられていた。埃を気にすることなく箱をどければ、赤茶色の鉄の壁の近くのコンクリートの壁に錆びたレバーがあらわれる。
「ここに来るのはあの時以来だ……」
呟いてレバーに手をかけ、レバーを下ろした。
錆び付いているレバーは軋みを立てゆっくりと下がり、最後まで下ろされると何かのスイッチが入るような音がする。それと同時に鉄の壁が上の部分を軸にして、弧を描くように下部が向こう側へと上がっていった。
鉄の壁に見えたそれは壁全体が扉となっていて、扉の向こうの空間は真っ暗な地下へと続いている。地下室に車で入るための幅広いスロープと、人が通るための階段が設けられたその通路は、開くと同時に設置されている照明が点灯した。白虎は無言のまま階段を降りていく。
点灯した蛍光灯は寿命がきているのかパチパチと音を立てて点滅。足元があまり見えない中、地下室に降り立った白虎は、階段横の壁にもたれかかり、そのまましゃがみこむ。
地下室に物は何も無く、階段の先の奥の壁に扉が一つあるだけ。しかし、その地下室の床には大きく水溜りのような、赤黒いしみがあり、同じようなしみが床から壁に大量に飛び散っている。
(私はここで……)
白虎は地下室中にあるしみを見つめながら過去の忌まわしい記憶を思い出していた。
二十年前。
朝、白虎が目覚めると、いつも聞こえる家族の声が聞こえず、白虎はまだ眠い目をこすってベッドから起き上がる。この頃の白虎は艶やかな黒い髪に赤みの強い茶色の瞳を持った、近所でも可愛いと評判の子供だった。
「お母さん、お父さん、宝珠、ねぇ、皆居ないのぉ?」
当時、白虎はこのビルで武器製造業を営んでいた両親と妹の四人で生活していた。姉であるのに白虎は誰よりも起きるのが遅く、何時だって起こされていたのだが、その日に限って起こされること無く、いつも付きまとって煩い妹まで自分の所にやってこない。ビルの中を裸足で歩き回り探してみたが、部屋にも、居間にも誰もいなかった。
二階の柵から一階の車庫になっている所を覗いてみれば、車が置いてある。出かけたわけじゃないと思い、もう一度、探しに行こうとしたその時、下の方で何かが倒れる大きな音がした。
「お父さん? 皆、下にいるの?」
白虎は裸足のまま一階に降り、開いている地下への階段を降りていく。
地下は父親の武器製造の作業場。普段は父親以外立ち入りを許されない場所だった。見つかったら怒られるかもしれないと思ったが、皆が居るかもしれないならと、恐る恐る階段を地下へと降りて行く。ひやりとした空気が白虎の体に当たって。ぶるっと身を震わせた。一歩一歩降りていった階段が終わる頃、白虎の瞳には赤い色が映り込んでいた。
地下室の床に広がる赤い水溜りの真ん中には妹の宝珠らしい塊が横たわっている。床だけではなく壁も全てが赤く染まっている地下室の入り口に呆然と白虎は立ち尽くしていた。
「ほ、宝珠……?」
震える足を何とか言う事を聞かせ裸足で赤い水の上を歩いて近づけば、塊に近づくほど水に温かさを感じ、白虎はその塊をじっと眺める。ナイフで顔もわからない程刺され、体も傷だらけだった。
(な、何、これ。本当に宝珠なの?)
目の前の光景に視界がぼやけてきそうになる。
しかし、そんな白虎に「あら、まだ居たわ」という聞き覚えのある声が浴びせられ、白虎は恐ろしさで頭の中心が凍りつくのを覚えて、声のするほうを見た。
そこには鋭い大きなナイフを持った父親が立ち、母親は煙の立ち上る銃を持って厭らしい微笑みを浮かべて座り込んでいる。
恐ろしいその光景に白虎は叫び声を出す事もできずにいると、父親と母親がゆっくりと近づいてきた。よだれを垂らし、何処を見ているのか分からない目つきで二人が呟く。
「本当だ。まだ居る」
「弾、全部撃っちゃったわ。他に何か無いかしら? ぶち殺せる物って」
「嘘。お父さん、お母さんなの? これは宝珠なの? 宝珠をどうして二人が?」
搾り出すような声でにやける父親に問いかけたが、父親は足で宝珠の体を踏みつけ床に擦り付けて言った。
「宝珠? このゴミの事か?」
「や、やめてよ! 宝珠をそんなにしないで!」
父親の足を払い、血にまみれた宝珠の体を抱きしめて叫ぶ白虎の姿を楽しそうに眺める二人。
「そのゴミが欲しいならくれてやる。楽しかったぞ。止めてぇ痛いよぉと泣き叫んでいた。止めるわけがないのによ!」
大きな声で笑い出した二人はその毒牙を白虎に向ける。
殺気を帯びた二人の瞳を見た、その瞬間、白虎の中で何かが弾けた。無意識に近くにあったナイフを拾うと父親に向かって走り、切りつける。
「ぎゃぁ!」
父親は腹部に白虎のナイフを刺したまま後ろに倒れ、痛みに腹を押さえながらも白虎に抵抗しようとする父親のナイフを取り上げた。白虎は父親に馬乗りになってそのナイフを何度と無く突き立てる。吹き出す血が白虎を染め、白虎が父親を殺している姿をみて母親は楽しそうに笑っていた。
「何が、可笑しい?」
「馬鹿な男ね、そいつも。私だったらそんな風に無様にやられやしないわ」
「……お前はお母さんじゃない」
白虎は呟いて、ゆらりと立ち上がる。
白虎のあたりの空気はゆれ、銃を構える母親に向かってナイフを握り締め走り寄った。
一瞬の出来事。
弾丸の入っていない銃を構えた母親が引き金を引くより先に、その喉元は斬り割かれる。その間、白虎の目に映るのは真っ赤な光景だけ、何も聞こえなかった。
辺りが先ほどより赤黒い血溜りで染まって暫くした後、白虎はふらりと立ち上がる。宝珠の遺体を背負って、階段を登った。だらりと力なくぶら下がった宝珠の指先からたれる血が道を描く。
涙すら流さず、無表情なまま一階にたどり着くと、車の近くに座り込み、抱きかかえた宝珠の頭を撫でた。どの位時間が経ったのか、シャッターの外が騒がしくなる。明るい光がガレージに差し込み、悲鳴や叫び声が白虎の耳に入ってきた。
(あぁ、人が入ってくる……)
そう思って暫く、力いっぱいに腕を捕まれ宝珠と引き離された白虎は後ろ手に地面へと叩きつけられる。大きな大人たちがよってたかって自分を押さえつけ、枷を付けていく様を眺めている白虎には何の感情も湧き出してこなかった。
放心しているのではなく、本当にただ、心の中が真っ白になった感じで清清しさすら感じている。
そうして、白虎は何の感情も表さないまま食事の時以外は拘束服を着せられて、窓も照明も何も無い真っ暗な部屋に幽閉された。
幽閉場所から出されたのは事件から二年が経った時。軍事要員として軍に引っ張られ、傭兵教育を受ける。その頃には、漆黒だった白虎の髪は白髪に近い銀色へ、瞳は燃えるような赤色へと変わっていた。
毎日、厳しい訓練が続いたが、拘束服を着させられ、寝そべっているしかない日々に比べれば楽しくも感じる日々だった。目に見えて戦闘に対する能力の高さを見せた白虎だったが、軍の厳しい規律に嫌気が差し、軍を辞めてビルに戻りフリーの傭兵として働くようになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。