第19話

 顔をつかまれて、驚きの表情を見せた黒龍だったが、白虎の目を見て徐々に表情の無い元の顔へと戻った。急に腕を払われ、敵ではないと説明する白虎の姿に何が起こったのかわからない清風は驚き聞く。

「白虎? 僕は何かやっちゃいけないことやってしまったのでしょうか?」

「いや、そうじゃないんだ、すまなかった。黒龍はまだ、私以外の人に慣れていない。あまり近づかないでやってくれるか?」

「あぁ、そういうことですか。それは悪い事をしてしまいましたね。その子がエンジェルウィングスって言うものですから、つい」

「エンジェルウィングスって一体何だ?」

「これですよ」

 清風は尋ねてくる白虎に小さなビニールを見せた。中にはスカイブルーの粉末が入っている。受け取った白虎が粉末を眺めていると、クラウドが付け足した。

「チーム呉が手に入れてきたらしい。バーのマスターから変な連中が連れ立って空き店舗に入って行く、あれは何かする気だと事前情報があってな、薬を使う前に乗り込んで手に入れたんだと」

「なるほど、飲み屋には怪しい連中を見たら通報しろと通達が行っているからな。薬ってことはH.Dか? にしては今までと色が違う気がするが」

「そう、見た目が違うので持ち込まれたこの薬を僕達研究員総出で調べてみたんですよ。そうしたら、これが新しい変異体の大きな原因になっている事が分かりまして。投与したラットが例の変異体になったのです」

 クラウドは白虎の手から薬の入った小袋をとり、眺めながらため息交じりに言う。

「あの変異体はこの薬が原因ってことが確実になったんだ。で、その名前がエンジェルウィングス」

「チーム呉が持っていた奴等に聞いた名前だそうです。持っていたやつらはH.D中毒だった為今は隔離治療中。手に入れた場所は教会とのことでした」

「やっぱり、教会なのか」

「恐ろしいですよ、この薬。今までのものとは本当にいろんな面で全く違う。ラットに投与した途端、変態が始まって、ガラスの外に出ようとしました。でも、出る事が出来ないと分かると、回りの個体と融合しだしたのです。今までの変異体と違って知能があるみたいなのですよ。今回はラットに投与したからラットの持っている知能程度だったわけですが」

「じゃぁ、人間だと、どうなる?」

「そうですね。白虎が今考えている以上のことが起こりうる可能性がありますね。とはいえ、薬を服用した時点で脳障害が発生するからそれ相応の知能が備わるというのが妥当な考えでしょうね。まぁ、ただ、どんな馬鹿でも人は人、他の動物とは違います」

「つまり、どうなろうと厄介なのには違いないってことか」

「更に厄介な事を言ってしまうようで悪いのですが、そのエンジェルウィングスはクラウドさんや白虎が出会ったものよりも進化している物のようです。銃は無理、火も無理」

「なんだって? じゃぁ、その実験ラットはどうしたんだ?」

「急激な体の変化はそれなりに負担になるみたいなのです。今回はラットだったので自然にというと語弊がありますが自ら活動に限界を来たして死んでくれました。ま、その前にガラスを破られて所員に感染、なんてことになったら困るので神経毒をガラスケース内に注入しましたけどね。どうやら、別個体の細胞とは何らかの信号でやり取りしているようで、神経毒が回るとそれぞれの体細胞が活動を停止。それもリミット限界を早めに迎える要因にはなったようですが、暫くの間はラット他での投与実験は中止ですね。これから有効な手段を見つける為に薬自体の構造を調べないと」

「できるのか?」

「出来る出来ないじゃないでしょうね。というか所長からはすでにやれと命令されていますし。今有効だろうと思えるのは神経毒ですけど、いつ耐性ができるか分かりませんからね。クラウドさんと白虎がであった物とはすでに違うタイプの物が出回っているのですから」

 清風は深くため息をつくと、胸の前で腕を組み下を向いた。丁度そのとき、白虎の部屋に春日がノックもせずに入ってくる。

「あれぇ、皆ここに居たのか。なになにぃ~? 清風、白虎に悩み相談?」

「全く、頭に栄養の行っていない戦闘要員はコレだから嫌になります。こちらの気持ちも考えて欲しいものですね」

「あ? 使う戦闘要員が居てこその技術開発じゃん」

「技術開発があってこそ武器が使えるって言うものでしょうに」

「あぁ言えば、こう言うだから頭でっかちは嫌いだ。ま、頭でっかちの清風はどうでもいいんだ。白虎、所長が呼んでいたよ」

「所長が? わかった、ありがとう」

「あと、クラウド。ナスカが探していたよ。今後の事、話したいのにすぐにふらふらと居なくなるってものすっごい怒っていた」

「アイツはあんななりなのに真面目すぎるんだ。OK、今から行くよ」

「では僕も研究室に戻りますよ。早く対抗策を考えないと」

 清風はエンジェルウィングスの粉末の入った袋をクラウドから受け取りポケットにしまうと、「何? その袋何? 」と付きまとってくる春日と連れ立って部屋を後にし、クラウドも部屋を出た。白虎はベッドでボーと座っている黒龍に、目を見つめて言う。

「黒龍、私は少し部屋を留守にする。鍵をかけていくからここでおとなしく待っていられるか?」

 黒龍は白虎の瞳を微動だにせず見つめ返していたが、暫くして目をそらすことなく見つめてくる白虎にこくりと頷いた。

「こくりゅう、まつ、びゃっこ、まつ」

「絶対にここから出るなよ。待っていれば必ず帰ってくるから」

 ベッドに座って白虎の様子を見ている黒龍の頭を優しく撫で白虎は部屋を出る。ドアに鍵をかけて、所長室へと行こうとした白虎にクラウドが後ろから話しかけた。

「クラウド、まだ行ってないのか? ナスカが怒るぞ」

「既に怒っているから同じだ。それより、黒龍だが、清風は戦闘要員じゃないから気づかなかったのだろうが、さっきの黒龍は確かに……」

「あぁ、清風を殺そうとしたのだろうな」

「あの殺気は異質だ。まるで、そう、まるで変異体の殺気だった」

「分かっている。だが、今の所私が居れば大丈夫なようだ」

「しかし! その制御が利かなくなれば、誰よりも先にお前が」

「クラウド。私はボランティアのつもりで黒龍と居るわけじゃない。自分が助けたからと言う責任感からでもない」

「では、どうして……」

「すまない、今は言えない。だから、何も言わず私の好きにさせてくれないか? 頼む」

「……言い出したら聞かないからな、お前は。所長室、ついていかなくていいのか?」

「大丈夫だ、痛み止めが効いている。それにゆっくり行くから」

「分かった。白虎、俺にとってはお前が一番大切な存在だ。お前を守るためならお前に憎まれる事もするだろう。それは分かっとけよ」

 クラウドは白虎の肩に手を置き、軽く額にキスすると歩いていってしまった。クラウドの後姿に一瞬泣きそうな顔になって見つめた白虎は、深く深呼吸を一つして所長室へとゆっくり体をかばいつつ歩き出す。白虎が壁に手をつき、所長室に向かっていると、向こうからチームクラウドのナスカがやってきた。

 ナスカは源武が居なくなった時、新人としてチームで訓練を受けていた最後に源武がスカウトした新人達の一人で、源武が居なくなってから暫くはチーム白虎でやっていたが、チームクラウドが出来た時にそちらに配属される。

 判断力も確かで、本来ならばチームを持てる程の腕の持ち主。だが、身体は男でありながら心は女でもあり、自分好みでえこひいきし、女を嫌う等問題行動が多かった為チームは持っていない。本人もチームを自分で持つよりもクラウドの下で働く方が良いと自ら申し出るくらいだった。BOBに所属している女性の中でナスカが認めているのは白虎だけ。白虎よりナスカの方が女性らしい物腰と、風貌をしている。

「あら白虎じゃない! 大丈夫なの?」

「あぁ、ナスカ。とりあえず生きているよ」

「もう、びっくりしたわよ。白虎が重症って言うじゃない、殺しても死なないと思っていたのに重症なんて」

「相変わらず酷いな」

「あら、ごめんなさい。だって、クラウドったら白虎が重症って聞いて飛び出していってから帰ってこないんですもの。ちくりと言いたくもなるわ」

「どうして?」

「まぁ、しらばっくれちゃって。ふんだ、そんな態度で居るとあたしがさっさとクラウドを頂いちゃうんだから」

 まるで少女のように怒ってみせるナスカが白虎には可愛く見えて口元に笑みを浮かべた。

「もぅ! 笑ったりして失礼ね!」

「ごめんごめん」

「あ! それ所じゃ無いのよ。白虎、クラウド知らない?」

「クラウドだったら、ウチの春日が呼びに来て、私より先に部屋を出たけど」

「えぇ~。じゃぁ、行き違いだったのね。ぅん! もぉ~」

 ナスカはその場で地団駄をふんで、体の向きをかえると白虎に手を振る。

「じゃ、白虎も気をつけるのよ! サプリメントじゃなくて、しっかり小魚食べなさい! 骨にいいんだから。じゃあね」

「骨って、骨は折れてないのだがな。相変わらず、そそっかしい」

 走り去っていくナスカを見て白虎は笑い、また壁に手をつきつつ所長室へ向かった。いつもの倍以上の時間をかけてやってきた所長室をノックすれば中から所長の声が聞こえる。

「すみません、遅れました。白虎です」

「あぁ、来たか。入れ」

 白虎が所長室の扉を開き、中に入ると所長が歩み寄って白虎の腕をとり支えてくれた。所長はそのまま白虎を椅子へと連れて行って座らせ、コーヒーをカップに注いで白虎の前に置き、自分もコーヒーを飲みながら隣の席に座る。

「白虎。あの少女……、じゃなかったな、黒龍はどんな様子だ?」

「えぇ、私の言う事は聞きます。ただ、私以外の人となると少々問題があります」

「そうか、あの子自体何者か分からん上に、何故かお前の言う事だけを聞く。不思議だな」

「所長、そのことなんですけど、所長は朱雀を覚えていらっしゃいますか?」

 急な白虎の質問に所長は質問の意図が分からず、少し面食らったようになりながら頷いた。

「あぁ、覚えている。源武の娘だな。本当の娘ではないが……。あの事がきっかけで源武がここを去ったから忘れようとしても忘れられない。可愛い子だったしな。朱雀がどうかしたのか?」

「朱雀は私を『銀狼』と呼んでいました。私の髪と瞳の色が、朱雀が好きな童話の狼に似ていたからです」

「銀狼か、お前にピッタリな呼び名だな」

「実は、黒龍が私をみて『銀狼』と言ったんです」

「なんだって? 本当なのか?」

「はい。始めはあの廃屋から飛び出した爆発音の響く中で。次は拘束室で」

「どういうことだ? 黒龍は朱雀だって言うのか? いや、でも、朱雀はお前たちの目の前で……」

「えぇ、砂になって死にました。だからと言うわけではないですが、多分、朱雀ではないと思います。朱雀は見事なブロンドでしたが、黒龍は黒髪で容姿も違います。あの童話はすでに絶版していて、黒龍が持っているということも、誰かから聞いたということも考えにくいでしょう。朱雀が私をそう呼んでいたのは源武の家だけでしたし、源武は私を白虎と呼びます。何よりも黒龍は言葉を余り知らないようで、誰かに教えてもらうという事は」

「うむ、そうだな。そうか、白虎が確認したい事というのはそういう事か」

「はい、それもありますが、実は源武が……」

 そこまで言って白虎は言うのを戸惑い、所長の源武がどうしたっていうんだと問いかけて小さく息を吸い込み覚悟したように話し始める。

「数年前ですが、スカウトに出た際に源武の家に行きました。すみません、勝手な事をして」

「かまわん、そうだろうと思っていたからな。時間が出来れば行くだろうと思っていた」

「すみません。それで、家を訪ねた時、源武は私に置手紙をしていました。しかも、家を厳重に締め切り、私にしか入れないだろう入り口を用意して、まるでそうなる事が分かっていたかのように。手紙の内容は言えません。というより、源武も確実に情報を掴んでいるという風ではなく、ぼかしていたので」

「まぁ、私が内容を聞いた所で動けるとは限らんからな。そのことも調べようというのか?」

 白虎が頷くと、所長は腕組をしながら考え込んだ。

「お前がしようとしている事、私にも分からないわけじゃない。源武がここを去ったのは身動きが取れないと言うこともあっただろうが、私やBOBの皆に迷惑をかけまいと思っていたこともあるだろう。これは私個人の意見だが、危険すぎる事はやるな。探ってもお前に待っているのは死だけだ」

「……所長」

「と、本来なら言いたいが、お前との付き合いも長く、性格も知っている。どうせ止めた所で言う事をきくような奴ではない。分かったとも言わず、頷く事もせず、ここを出てどうせやってしまうのだろ。手紙も無しで源武より酷い別れ方でな」

「すみません」

「だから、止めはしない。ただ、死ぬ事は許さん。例え先に死神が見えようとも、最後まで生にしがみ付け」

 所長は白虎のほうを見ることなく、ただ前を見据えたまま言う。

「忘れるな。お前は昔の、ただ一人でいつ死んでも誰も何も言わずに居た頃とは違う。今のお前にはお前自身を受入れ、理解している仲間が数多くいる。お前を想う者達がいる限り、その者達を悲しませることは許さんぞ」

「……はい」

「休暇の手続きはとっている。留守中のチームメンバーの他チームへの委託は自分でやるように。ってまぁどうせ皆クラウドのところに行くんだろう」

「多分そうなるでしょうね」

「しかし、本当にこんな体で大丈夫なのか?」

「明後日には治っていますよ。多分」

「ま、白虎のことだからそうだろう。あぁ、そうだ」

 思い出したように席を立つと自分の机の引き出しから茶色い書類封筒を取り出し、首を傾げて待っている白虎の所へ戻ってきた。

「これを渡しておこう」

「何ですか?」

「中は一人で見ろ。私も色々気になって無いコネをかき集めて使って取り寄せたのだが、極秘事項も含まれている。見終わったら人目につかないように処分しろ」

 白虎は封筒を受け取ると、所長室を後にする。所長室を出て休憩室を横切ると、春日が缶ジュースを飲みながら壁にもたれていた。

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